昨日はOBと
昨日は、私の慶大小島ゼミOB会会長(元役員)のTさんが、会社の人事の方を連れてゼミに遊びにきてくれた。昨年来、不況なので、私も学生にとってもありがたい。
T大先輩は、私が大学院のときからお付き合いさせていただいており、またわれわれのような後輩を上手に扱ってくれるので、いつも楽しい。
来週は、昨年、菊澤ゼミを卒業したOBのH君がゼミにきてくれるので、どんな話をしてくれるのか楽しみだ。学生も参考になるだろう。昔は、よくゼミに社会人を呼んでいたが、これからまたきてもらおうかなあ~という気になってきた。
しかし、社会人の方の会社の説明を聞いていると、ときどきわれわれわれのような教師はつらいときもある。「10月、11月、12月から積極的に会社の説明会、ゼミナーなど言った方がいい」というのがほとんどだ。そこには、(大学の講義を休んでも)だ。
昔の就職の流れと異なり、最近の学生はかわいそうだ。勉強している時期が3年生の前半のみだ。3年秋から就職活動が始まる。そして、4年の5月に決定する。その後は、内定先の企業から資格試験を受けておけと命令がくる。これでは、大学の存在意義が問われる。
私は、実は就職活動したことがない。しかし、人生を生きていることは同じだ。私が、学者として現在それなりに生きているのは、実はまじめに経営学という現実的な学問を研究したきたからではない。
私の若いときのことを知っている年配の先生は私のことをわかっているのだが、そしてもちろん私自身もわかってるのだが、学部と大学院のときに、近視眼的に経営学を勉強してないことが、いまになって本当に役立っている。
私は、科学哲学と呼ばれる分野で、K.R。ポパーの批判的合理主義を研究していた。「経営学は科学かどうか」を研究していたのだ。ポパーは、カント哲学を洗練化した哲学者である。また、カント哲学を受け継き、社会科学に導入したのはM・ヴェーバーである。だから、私の学問の基礎はすべてカントとヴェーバーとポパーなのだ。これは、私にとっての御三家なのだ。
当時、私には彼女がいていつも喫茶店で哲学の話しをしていた。文学部でもないのに、なんでそんな研究をしているのか、ときどき聞かれた。私は、当時、若く、「企業のための御用学者にはなりたくないんだ。会社がもうかろうとつぶれようと関係ないんだ」といっていた。自分の研究がもっと高尚でどんな大学の同期の大学院生よりも上をいっていると思っていたのだ。
しかし、それは妄想ではなかった。いま、振り返ると、結局、現在の私の基礎はすべてそのときのものだ。学問に行き詰ったとき、人生に悩む時、結局、そこにもどっていくのだ。そして、運命に導かれるように、いま、慶応MCCでのアゴラの講座でM・ヴェーバーを社会人の方々と議論している。
私は、これまでいくつかの本を書いてきたが、その本の内容背後には必ずポパーとヴェーバーとカントがいる。読者のみなさん、わかっていただけますか?
最後のオチ。つまりのところ、私は大学時代からまったく成長していないのだ。たぶん、「意匠」だけが発達しただけなのだと思う。
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