取引コストは知性的世界3の住民か
拙著『戦略学』で、私はポパーの世界観にもとづいて取引コストの本質は知性的世界3の住民だとした。
ポパーによると、世界は以下の三つに区別される。
物理的世界1=物理的肉体的世界、貨幣の増減、資産の増減、会計上の損益
心理的世界2=心理的状態の世界、心理的損益
知性的世界3=知性によって理解できる世界、観念、知識、理論内容の世界、取引コストの増減
この点に関して、いろんな意見をいただいている。取引コストは物理的世界でのコストではないか?心理的コストでもあるのではないか?
確かに、物理的コストに反映された取引コスト、心理的にコストに反映された取引コストが存在するという言い方もできるかもしれない。しかし、取引コストの存在自体は世界3であり知性的世界である。そう言いたい。
(1)たとえば、いまある大学生3年生が米国のどこかの大学に1年間私費留学をしたいと思ったとしよう。留学をするためには、事前に米国の大学の情報を集め、大学と交渉し、そして手続き・・・という膨大が無駄が発生することを、だれでも理解するだろう。このときの交渉・取引をめぐる無駄が「取引コスト」であり、それはいまだ物理的なお金として計算できない「観念上のコスト=知性的世界の住民」である。
(2)ここで、この取引コストを節約する制度として、仲介業をしている会社があるとする。彼らは物理的なコストを計算し、仲介料として30万円を要求するものとしよう。
(3)このとき、仲介料30万円は取引コストを反映するものとして、それを取引コストと呼ぶ人がいるかもしれない。
(4)しかし、30万円は厳密には取引コストではない。われわれは、自分たちが描く観念としての「取引コスト」とこの「物理的コスト30万円」を比較して、もし「取引コスト」>「物理的コスト30万円」ならば、仲介を依頼し、「取引コスト」<30万円ならば、依頼しないで留学をあきらめるかもしれないのだ。
このように考えると、知性的世界3の「取引コスト」と物理的世界1の「コスト」とは異なるのだ。
●取引コストが知性的世界の実在であるという点についてのさらなる説明について、もう少し時間をください。
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