個人と組織
数日、お盆休みを取ったが、仕事のメールがどんどん入ってきて驚いた。多くのビジネスマンがお盆でも働いているのだなあ~と感心した。
さて、先にも述べたが、戦後、日本人には全体主義的な考えが浸透しており、それが日本人の悪しき行動原理になっていたという固定観念がこれまでわれわれ日本人にはあった。それゆえ、全体よりも個人や個を大切するということさえいえば、大抵、もっともらしい教訓や結論になっていたのだ。
しかし、実は、現在の日本人はかなり個人主義化してきているのだ。その理由は、古い言い方をすれば、アメリカナイズされてきたからであり、最近の言い方をすると、ネットや携帯が浸透し、一人で楽しめる時間が多くなったからであろう。
問題はそこなのだ。私は、学生を見ていて、むしろ組織や集団のことを考えてほしいと思うことがある。
個々人は個人がもっとも大事なのだと思っているかもしれない。しかし、現実世界は実は組織の時代でもあるといえるのだ。ほとんどの人は、実際には何らかの組織に属しているのだ。学校組織、会社組織、クラブ組織、同好会組織、町内会、・・・・・この観点からすると、むしろ現代は組織の時代であるとさえいいたい。
このギャップがいろんな問題を起こすのだ。どうせ個人の自由なんだと思って、軽犯罪を犯すとしよう。しかし、その責任は個人でとどまらないのだ。その人が所属している野球チームが甲子園に出れなくなるかもしれない。また、その家族が仕事を辞めることになるかもしれない。・・・・組織に迷惑をかけることになるのだ。
自由とは何か?これは難しい問題だ。自由というのは極めて個人的なものだと思うかもしれない。
しかし、もう一度、イマニエル・カントの自由の意味を考えてもらいたい。人間個人の自由というのは、他人に迷惑をかけない程度で、自由でしかないということだ。
確か、K.R.ポパーがいっていたように思うが、ソクラテスの自由の概念に組織の概念を加えたのが、カントの自由だと。
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