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2009年7月23日 (木)

一つ上の才能をみた

 先週の日曜日に子供たちのピアノの演奏会があった。子供たちは、いつの間にか、習っている先生のグループの年長者になっていた。

 子供たちも大きくなり、私も何回も聞いているので、最近はそれほど興味を惹かなくなったというのが、本当のところである。今回は、演奏会の第二部で先生と子供たちがいろんな有名人の曲を弾くというプログラムだった。

 何気なく聞いていたが、驚いたことがある。今回、いろんな有名人の有名な曲を比較して聞くと、私にとってはチャイコフスキーの「白鳥の湖」と「くるみ割り人形」は別格だと思ってしまった。彼の才能は他の有名な作曲家より一つ上だと思った。何か、突き抜けているのだ。

 その音楽はわれわれに白鳥やくるみ割りといった光景を抱かせるのだが、そんなことはどうでもいいのだ。その音楽自体が美しく、シンプルだ。すごい。彼の音楽は、現実世界や心の世界の模写ではない。それ自体がシンプルで美しいのだ。それは発明というより、発見だと思った。

 そこに、才能というか、プロというか、私のような凡人には近づけない何か天才を感じて、それだけでとても有意義で幸せな一日となった。

 このことと関連して、どう関係しているのか、まだ自分でも整理できていないのだが、次のニュースが私を惹きつけた。

 マイケル・ジャクソンの追悼コンサートで、マライヤ・キャリーが登場し、歌を歌ったが、少し声の出が悪かったらしく、それを彼女がやたらに気にしているという記事だ。追悼記念なのに、マライヤ・キャリーは自分のことしか考えていない、いやな不謹慎な人物といった感じの内容だった。

 しかし、私は、逆にマライヤ・キャリーはすごいと思った。一つランクが上のプロだと思ってしまった。あれだけのキャリアをもっていても、いまだこのようなことを気にすることに、驚いたのだ。すごい。

 こんな小さいことなど・・・と思う人は、その道のプロではないのだ。まったくの凡人だ。凡人は進歩する気がないので、年齢とともにただ鈍感になってしまうだけだ。彼女は、いまだにより高い世界へ向かっているのだろう。その道に終わりはない。

 実は、私はマライヤ・キャリーのことを必ずしも好きではなかったが、これでファンになってしまった。「I'll be there」 はマイケル・ジャクソンもいいが、彼女もいい。

 

 

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