どうか男らしく
最近は、男女平等、男女差別禁止というスローガンのもとに、いろんな現象が起こっている。
たとえば、昔は、小学校のクラスには会長、副会長あるいはクラス委員長、副委員長がいたものだ。しかし、それは不平等なので、最近ではそういいった役割をなくしているという。
また、運動会では、足の遅い子供と足の早い子供とを差別しないために、運動会前にタイムトライヤルをさせて、遅い子供同士、早い子供同士で競争させるという方式をとっている。
まったく奇妙な現象だ。そんなことをしたら、走る前から順位はもう決定しているのだ。子供はみんなぎりぎりで走っているので、早いもの同士でもすでに順位は決定しているのだ。早いもの同士のビリは本番もビリなのであり、本番で番狂わせなど絶対に起こらないのだ。それこそ、不平等な調整だ。
人間なんてもともと、ひとりひとり能力は異なっているものだ。ある点では優れている子供もいるし、別の点で優れている子供もいる。多様だ。
だから、子供も馬鹿ではないので、戦略的に生きてゆくものだ。足が遅い子供は足が遅いなりに生きて行くことを学ぶだろう。勉強が嫌いな子供はそれなりに生きようとするだろう。こうして、人間は戦略的な知恵や知識を育むのだ。
それは生物界と同じだ。ライオンだけが生きているわけではない。弱い動物も生きているのだ。みな戦略的に生きているのだ。
こういうことをいうと、平等原理主義者に怒られるかもしれないが、私はとくに男子諸君にいいたい。意味はわからないかもしれないが、「とにかく男らしく行動してくれ!」、「男らしく堂々と行動しほしい!」、「ずるい行動はしないでくれ!」
「どうも最近の男子諸君の行動は・・・・ブツブツブ・・・」
アッツ!!!!
いま、気づいた。自分が、若い時、嫌っていた年寄りになっていることに。しまった!
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