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2009年2月13日 (金)

CGSと最近の若者

 K.R.ポパーは世界を三つに区別した。物理的肉体的世界1、心理的世界2、そして知性によってその存在を理解できる知性的世界だ。

 このような多元的世界観にもとづいて、三つの世界へ働きかけて生き残りの道を探るというのが、私が提案しているキュービック・グランド・ストラテジー(CGS)だ。

 この戦略思想からすると、最近の若者は肉体を鍛え、知性も鍛えている。しかし、心理的世界が弱いように思える。肉体は強靭で、知性もあるのだが、心理的に弱いのだ。

 肉体はスポーツなどで鍛えることができるだろう。また、知性的世界は勉強すれば豊かになるだだろう。しかし、心理的世界は、どうのように鍛えればいいのか?

 強靭な精神、強靭な心。

 戦後最悪の組織といわれた日本軍の得意とした点だ。

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11)戦略学(CGS)」カテゴリの記事

コメント

「戦後最悪の組織といわれた日本軍の得意とした点だ。」
に大変疑問です。
これは絶望が常識化した状態での精神力ではないでしょうか。
理性的な状態で、引くことも出来る自由度がある状態で、私たちに精神力が備わっているとは思えないのです。「捕虜になれない(恥)」の状態で精神力を発揮してもそれは本来の精神力(実用的な精神力)でしょうか?
フィクションの世界しか知りませんが、101空挺隊の精神力こそ私たちが学ぶべきもののような気がします。

菊澤先生。お久しぶりです。
(長いので、お暇なときに読んで下さい)

自分も落ち込みやすいほうなので是非知りたいです。心理学の本(専門書ではなくビジネス書)を、よく読むのですが、例えば元早稲田大学の加藤諦三教授は、人間が精神的に病む原因は、過度な「規範意識」と「罪悪感」と言っています。

規範意識とは、「~でなければならない」という意識で、プロスペクト理論的に言えば、まさにレファレンス・ポイントと言ったところでしょうか。大学は東大か医学部でなければならないとか、職業は医者か官僚にならればならないという規範意識が、多くの学生を精神的に苦しめてきたように思います。姑が「嫁とは~であるべき」なのに、あなたは嫁失格だなどと言われてノイローゼになったという話を昔はよく聞きました。

それに加えて良心的な人間には「罪悪感」というものがあるそうです。良心的な人間(そのように教育された人間)は、周りの期待に自分を合わせなければならないという意識と、自分だけ幸せになってはいけない(利己的ではいけない)という意識をもっています。それゆえ、周りの期待=規範に自分を合わせようとし、利己的に振舞うことに罪悪感を感じ、自分の欲望を抑えるから病気になるらしいです。それゆえに、過度な規範意識から脱却し、ある程度利己的に行動することが、精神的な健康を取り戻す方法だといっています。

旧日本軍については、あまり知識がありませんが、おそらく昔の日本人は現代人よりも良い意味で馬鹿で利己的だったんだと私は思います(語弊があれば申し訳ありません)。現代人は情報の波に飲まれています。マスコミが大量の規範を垂れ流し、インターネットの登場により、ますます多くの規範意識を現代人は持っています。ある意味で現代人の方がモノは知っています。逆に言えば、あまりに情報(レファレンス・ポイント=あるべき規範)が多すぎて余計な心理コストを負担しているのでしょう。

逆に戦時中の日本人は心理的には楽でした。天皇陛下への忠誠と皇国の勝利こそが至上命題で、個人的な思想やファッションに悩む必用が無かったのだと思います。また、戦争という大きな物語の上で個々人が利己的に力を発揮したからこそ日本軍は強さを発揮したのだと私は思います。日本の勝利という唯一レファレンス・ポイントに向かって力を発揮していったから強かったと思いました。しかも個人が利己的といっても当時の日本人は靖国へ行くことが最高の名誉だと教えられているので、自分から命を投げ出すことも惜しみませんでした。

先ほどの続きです。思いついたので書きます。
(本当にお暇なときに読んで下さい)

まったく話は変わりますが、「CGSと最近の若者」と聞いて以下のような話を想像しました。我が家では、父と妹(18)の仲が大変悪くて困っています。というのも、妹は私と真逆の性格でヤンキーなので、髪を染めたり、ピアスを開けたり、異性を誘惑するような派手な格好をします。それを見て父と妹が何時も口げんかになります。子供の気持ちも親の気持ちも分かる私は実家へ変えると何時も仲裁役です。それでも確かに妹の話にも一理あるし、父の主張にも納得がいくのです。

年頃の親と子供がお互いに理解し合えない最大の要因は、お互いの住んでる世界が違うのだと思います。親は物理的な世界に生きているのではないのでしょうか。物事を費用対効果や物理的な機能や効用で判断します。一方で、娘の世代は知性的世界や心理的世界に生きています。よく子供が親から見れば価値の無いオモチャを欲しがることがあります。親から見れば「前に買ったオモチャと機能が似ているので必要ない」と思うのに対して、子供は「○○君も持ってるから欲しい」と主張します。子供にとってはオモチャの持つ物理的な性能が欲しいのではなく、最新のオモチャを持つことによって得られる心理的効果が欲しいのだと思います。自分は所属するグループの一員であるという安心や、友達の○○君よりも優れているというグループ内でのシグナルが欲しいのだと思います。逆に、オモチャを持てない事によって心理的に大きなマイナスになります。

そのことが分からないので親と子はいつも喧嘩になります。私の父親はいつも妹の派手な格好に文句をいいます。「娘は、本当は清楚な格好をすれば綺麗になるのに、あんな奇抜な格好をして容姿を損なってるなんて、もったいない」と。しかしながら妹の属すコミュニティーでは、むしろ奇抜であれば奇抜であるほど、集団のレファレンス・ポイントの上を行くので、心理的ベネフィットは逆にプラスになっていくようです。そのことが父は理解できないようで困っています。

妹に関しても、自分が不必要なシグナリング・ゲームによって資源を浪費していることがわかれば、つまり物理的世界で損をしていることに気付けば、もっと良い友達集団を見つけ、そこで自分らしさを発揮できればと思います。このようにCGSは親子関係にも当てはまるのではないかと思いました。

物理的・心理的・知性的世界をバランス良く住み分けることが不条理な世の中を生きる戦略になるのではないかと思いました。

いつも通り長い文章になってすいません。何か間違えがあれば、ご指摘下さい。拙い分析ながら、何かCGS研究の、お役に立てれば光栄です。

ab様 
三谷君へ

菊澤です。コメントありがとうございます。

 誤解があったかもしれませんが、旧日本軍の精神主義を礼賛しているわけではありません。それは悪しき精神主義であった可能性は高いと思います。

 しかし、私が心配しているのは、戦後、それを批判ではなく、否定してしまって、精神や心理的世界そのものの実在性をも否定してしまっているのではないかという点です。

 これは哲学的問題(存在論の問題で経験的に決着はつきませんが)ですが、私は物理的世界とは別に心理的(精神的)世界は存在し、さらに知性的世界も独立して存在しているという多元論を支持しています。

 このような多元論に立つと、確かに三谷君がいう親子の対立も分析でき、非常に興味深い事例分析が可能だと思います。

 ただ私は心理学者ではないので、三つの世界のうち心理的世界をどのようにして豊かで強靭なものにしたらいいのか、わからずに、いま思案しているところです。現在、多くの企業で静かに蔓延している問題はこの問題です。

 ポパーによると、とにかく知性的世界との相互作用を通して心理的世界(自我)は形成され、強くなると主張しているのですが、この点、もう少し研究しようかと思っています。三谷君のいう「利己的」との関係も面白いと思いました。

失礼なコメント申し訳ありません。
それを承知した上でもう一言書きます。
戦前の精神は
「知性的世界との相互作用を通して心理的世界(自我)は形成され、強くなる」 
精神ではなく、
知的世界を心理的世界で押さえ込む相反するものだったと私は思います。
現在の日本人も心理的世界は知性的世界との相互作用する世界と考えていないために心理的世界を無視するのだと思うのです。
この意味で日本人は昔と全く変わっていない。
知性的→軟弱 が 心理的→無知蒙昧 に言い換えただけです。
「知性的世界」と「心理的世界」を協力させる関係を持つために必要な「何か」が私たちに欠落しているように思います。そのために、知性的世界を優先させるか心理的世界を優先させるかの困った状態に陥っていると思います。
少し話が飛びますが、
カントの「自律」も多くの一般の日本人には、「自分を押さえ込む」に解釈され、命令違反にはたどり着かないように思います。
ボタンが何処か掛け間違っている可笑しな社会だと思うのです。この違和感の要因を先生の著書より得たと思っています。
先生のご活躍を心から期待しております。
不釣合いな物ですので
削除していただいてもかまいません。
失礼いたしました。

ab様
菊澤です。
コメントありがとうございます。

拙書等をよく読んでいたき、かつまた理解していただき、とても感謝しております。

今回のコメントと関連して、私自身実はまだ完全な確信をもっているわけではないのですが、果たしてわれわれ日本人がカントやポパーなどの西洋人の思想を理解でき、実践できるのかという点は気になっています。

しかし、最近、経営史の大家、由井先生とお話する機会があり、私にとってとても良い話をききました。

すなわち、戦前に生まれ、昭和を支えてきた日本の優れた経営者、特に東大出身者の経営哲学や経営倫理の基礎は渋沢栄一でも福澤諭吉でもなく、カント哲学だというのです。

当時の東大や東大生はカント哲学にものすごい影響を受けて実社会にでていったというのです。まさに、デカンショの時代ですね。

いろいろと、文化的問題はあるとは思いますが、私は今後はカントにこだわりたいと思っています。

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