不条理からの脱出
不条理とは、合理的なのだが、不正である現象、あるいは合理的なのだが、非効率的な現象である。これは、個別と全体の不一致が生み出す現象でもある。個別的には合理的だが、全体としては不正であったり、非効率的であったりする現象である。
個別と全体の不一致は、「取引コスト」が存在するときに発生する。
たとえば、スポーツを考えよう。あるラグビーチームが、これまで伝統的にFWを中心にひたすら前進する戦法で勝利をおさめてきたとしよう。しかし、時間ととも、他のラグビーチームの戦法も近代化し、戦法が新しくなり、前進するだけの戦法ではもはや理論的には対応できないような時代になったとしよう。
このとき、どうするのか。そのラグビー部の監督は、伝統的な戦法を非効率的な戦法として放棄し、新しい戦法に変化できるのか?社会的観点からすれば、伝統的戦法は非効率的に見えるが、そのチームにとってその伝統的戦法を守ることは合理的になってしまうかもしれない。
変化するには、そのチ―ムをめぐる利害関係者を説得する必要がある。OBやファンなどとの間に高い取引コストが発生するのだ。そのコストがあまりにも高い場合には、変化しない方が合理的なのだ。
こうして、このラグビーチームは不条理に陥ることになる。合理的に、非効率的な伝統的方法に固執することになる。ガダルカナルで、3回連続、機関銃部隊の米国軍に対して、銃剣突撃した日本陸軍と同じだ。
では、どうすればいいのか?
私は、これまでその原因となっている取引コストを節約すればいいと思った。それは、理論的には正しい答えだ。しかし、それは不可能かもしれない。
まったく、別の次元の解決案が必要なことに、最近、気づいた。その答えは、カント哲学にあることがわかった。
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菊澤先生
取引コストを節約することは、極端に考えますと取引コストがゼロであることを理想とする解決を目指すことを意味するのかも知れないと気づきました。
取引コストがゼロということは、利己的利益追求によるバランスを目指す新古典派の想定する世界観とも言えるのかも知れません。また、菊澤先生の新しい理論に当てはめた場合、物理的な世界観に基づく解決を試みることに近いのではと思われます。
私たち実務者が目指すのは、現在はこのアプローチが主流であると感じます。時に他律的に判断をゆだねることも多々あります。
きっと先生は、このような前提から疑問を考え、論理性に基づく哲学的なアプローチから新たな解決策を検討されるのかと想像しています。
また、良いヒントを頂ける予感がいたします。
今後の先生の論理展開を楽しみににしております。
投稿: Sato | 2009年1月15日 (木) 午前 12時37分