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2009年1月 2日 (金)

速読か精読か

 最近の人々は、本を速読し、しかもたくさん読むことに忙しいように思う。いかにして本を多く早く読むかといったテクニカルな本も多く出版され、しかも売れているようにも思う。

 私は、これまでそのような本の読み方を習ってこなかった。良い本を選んで精読するというやり方を、若い時に学んだ。「ダメな本をたくさん読むと、逆に頭がダメになるぞ!」といわれてきた。

 私は、大学3年生のときに、ゼミでみんなで音読し、かつ精読したのは、K・R・Popperの『科学的発見の論理』と同著『歴史主義の貧困』だ。これは本当に難しい本だ。一行一行声をだして読み、そして解読して行く作業だった。表現は大袈裟だが、ロゼッタストーンの文字を解読するような作業だ。

 しかし、この2冊を解読すると、精読する癖と忍耐力と解読力がついた。だから、その後はイマニエル・カントの『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』『プロレゴメナ』『啓蒙とは何か』その他カントの著作は、自分で精読できるようになった。

 さらに、ヘーゲルの『歴史哲学』もおもしろかった。バートランド・ラッセルの『西洋哲学史』は最高に素晴らしい本だ。その他、カントの解説書としては、岩崎武雄の本が素晴らしいと思う。

 また、丸山真男の『日本の思想』も精読した。さらに、小林秀雄の評論本はほとんど精読して読んだ。どれも素晴らしい。そして、彼の文体の秘密を知った。接続詞を使わない点だ。

 ドイツ語の本も読んだ。新マルクス主義者であったハーバーマスの本だ。もちろん、いやでも精読だ。翻訳するからだ。もちろん英語の本も読む。もちろん、精読だ。

 若い時に、精読した経験があるので、いまでも難しい本や本当に関心のある本は精読できる。簡単なものは、速読できるし、辞書的にも読める。

 しかし、若いときに、精読を一度も経験したことのない人は果たして難しい本を読めるのだろうか。疑問である。

 たとえは悪いが、受験でいえば、理科系は理系も文系も受けれるが、文系は理系を受けることができず、文系しか受験できないのと同じ気がする。

 速読の得意な人たちは、カントの本も速読するのだろか?『純粋理性批判』を読むのに1時間もかかったよ。そんな会話をしているのかなあ~

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