慶応大学菊澤ゼミナールHP

私の趣味

新制度派経済学と限定合理アプローチの本

経営哲学学会HP

« 学問的センス | トップページ | CGSが基礎とするポパーの世界観NO2 »

2009年1月30日 (金)

ファンに一喝のダルビッジュに賛否両論

 いま、ネット面白い記事を見つけた。発端は28日の日本ハム春季キャンプでの出来事。ブルペンで投球中のダルビッシュが、練習の様子を携帯のカメラで撮影していたファンに対し、「集中できない」と一喝したらしい。

http://news.cocolog-nifty.com/cs/catalog/cocolog-news_article/catalog_sports-200901301125_1.htm?s=app

 「ファンあってのプロスポーツでは?」「携帯写真で集中できないようだと、今年は厳しい」「こういう発言がファンを冷めさせる」など、厳しい意見が多い反面、「ブルペンがどれ程に緊張感が漂う場所にあるか知らない方が多過ぎる」(Fs blood)のように擁護する発言も多く見られた。

 私は、この問題を戦略の問題としてとらえる。スポーツ選手は、どのようにして生き残るのかという問題として考えてみたい。

 私の考えでは、スポーツ選手が自分の力で多くのファンを獲得したいと思って、いろいろとファンを意識した行動をすることは重要だと思う。

 しかし、だからといって、それによって確実にファンを獲得できる保証はない。ある選手のファンになるかどうかは、最終的にファンが決めることだ。スポーツ選手にとって、それは「偶然」とか「運」に等しいかもしれないのだ。

 だとしたら、はじめから別にファンに媚びずに自分の姿勢を貫いた方がいいかもしれない。それにファンが付いてくるかどうかは、運や偶然なのだ。それで、淘汰されてもそれは仕方ないのだ。不完全で進化する可能性のある人間にとっては。

 下手にファンに媚びて自分を失うより、自分をしっかり出して環境に淘汰されるかどうかいつも問いつづければいいと思う。(byA・A・アルチャンより)ただし、淘汰されそうになったときには、評論家が助言することは可能だ、とアルチャンはいっている。

 しかし、これは深くて面白い問題ですね。

 

« 学問的センス | トップページ | CGSが基礎とするポパーの世界観NO2 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ファンに一喝のダルビッジュに賛否両論:

« 学問的センス | トップページ | CGSが基礎とするポパーの世界観NO2 »

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31