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2009年1月

2009年1月31日 (土)

CGSが基礎とするポパーの世界観NO2

拙著『戦略学』ダイヤモンド社で展開した新しい戦略の哲学が基礎とするポパーの世界観のパート2を開示します。関心のある人はぜひ理解してほしいと思います。

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3つの世界の相互作用

ポパーは、椅子、机、身体などの目に見える物理的世界あるいは物理的状態の世界を「世界1」と呼び、人間の主観的心理の世界あるいは心の状態の世界を「世界2」と呼び、さらに知識、情報、権利、価値など五感ではなく、知性によって把握できる世界を「世界3」と呼び、多元的実在論を主張しはじめたのです。

(物理的世界1)椅子、机、身体などの物理的世界

(心理的世界2)人間の心理、心的状態の世界

(知性的世界3)知識、理論内容、権利、情報など人間の知性で把握できる世界

ポパーによると、物理的世界、心理的世界、知性的世界の三つの世界はそれぞれ互に相互作用していると主張します。知性的世界は、心理的世界を通してのみ、物理的世界に作用することができます。つまり、物理的世界と知性的世界は、相互に直接的に作用することはできないのです。逆に、物理的世界も心理的世界を介して知性的世界に作用することができます。

たとえば、「爆弾の作り方」という知性的世界上の住民である知識はネット上で流され、それが心理的世界である心的状態の世界を通して理解され、物理的物体として爆弾が製造され、物理的世界の実在を破壊することになります。

また、書物はそれ自体紙からなる物理的物体として物理的世界の住民ですが、その内容は知性的世界の住民であり、われわれ人間の心理的世界を通して、その本の内容は理解されることになります。

このうち、知性的世界から心理的世界への反作用は、とくに重要なものです。われわれ人間の心理や自我は、この知性的世界なくして存在できないものです。人間の心は、この知性的世界と結びついているのです。人間の合理性や批判的思考や自己批判的思考とわれわれの心理的状態やわれわれの物理的肉体的行動は、知性的世界との相互作用の結果なのです。

人間の知的成長は、すべてのこの知性的世界のおかげなのです。われわれが生み出す製品やわれわれが作りだす芸術作品と、われわれの心理状態との関係、作品がわれわれに及ぼす反作用は、すべてこの知性的世界のおかげなのです。

自己超越

また、ここで説明しているポパーの多元的世界観では、物理的世界と心理的世界と知性的世界は区別されるので、人間の才能や天賦そしてパーソナリティが人間の行動をすべて決定するのではないことを意味します。つまり、人間の能力や才能が結果の良し悪しを決定するわけではないということです。

結果の良し悪しは、実は人間の心理と人間が生み出した作品や知識などの知性的世界とのやり取りに、そしてこの知性的世界がもたらす人間心理への反作用やフィードバックに、それゆえわれわれ人間が行ったことに対するわれわれ自身による批判によって増幅できるフィードバックにすべてはかかっているのです。

したがって、このような作用反作用によって、あるいはこのようなフィードバックによって、われわれは自分の先験的に備わった才能や能力を超越することができる可能性があるのです。逆にいえば、いくら才能をもっていても、この相互作用を利用しない人は才能を生かせないわけです。人間組織も同じです。いくら能力のある人々が集まっていても、知性的世界との相互作用のない人間組織は個々のメンバーの才能を生かせません。

われわれは自分の仕事を客観的に、それゆえ批判的に調べてみようとする試みによって自己を超越できるのです。われわれの行動とその客観的成果との相互作用を通じて、あるいは自分の仕事をよりよく行おうとする試みによって、人間は自分の才能を越えることができるのです。

人間は知性的世界と相互作用することによってのみ、心理的世界を成長でき、それが自我になるわけです。知性的世界と心理的世界と間の批判的な相互作用関係が厳しければ厳しいほど、知性的世界での問題は発見されやすく、そしてまたそれを克服しようとする機会も増えることになります。それゆえ、より人間は成長する可能性が高まることになるわけです。

このようなポパーの多元論的実在論にもとづいて、物理的世界のみならず、われわれの心理的世界、そして知識などの人間の知性によって把握されうる知性的世界が並存していることを十分理解する必要があると思います。

とくに、現代産業社会では、これら三つの世界の実在性を前提として各企業がどのようにして戦略的にアプローチを展開して行くのかが、非常に重要な戦略的課題になるように思われます。これを無視するものは、これら三つの世界で変化が起こったとき、淘汰の危機にさらされることになるのです。

つまり、ひとつの世界だけに合理的に適応すると他の世界の変化によって淘汰されてしまうのです。この現象を私は「戦略の不条理」と呼んでいます。

2009年1月30日 (金)

ファンに一喝のダルビッジュに賛否両論

 いま、ネット面白い記事を見つけた。発端は28日の日本ハム春季キャンプでの出来事。ブルペンで投球中のダルビッシュが、練習の様子を携帯のカメラで撮影していたファンに対し、「集中できない」と一喝したらしい。

http://news.cocolog-nifty.com/cs/catalog/cocolog-news_article/catalog_sports-200901301125_1.htm?s=app

 「ファンあってのプロスポーツでは?」「携帯写真で集中できないようだと、今年は厳しい」「こういう発言がファンを冷めさせる」など、厳しい意見が多い反面、「ブルペンがどれ程に緊張感が漂う場所にあるか知らない方が多過ぎる」(Fs blood)のように擁護する発言も多く見られた。

 私は、この問題を戦略の問題としてとらえる。スポーツ選手は、どのようにして生き残るのかという問題として考えてみたい。

 私の考えでは、スポーツ選手が自分の力で多くのファンを獲得したいと思って、いろいろとファンを意識した行動をすることは重要だと思う。

 しかし、だからといって、それによって確実にファンを獲得できる保証はない。ある選手のファンになるかどうかは、最終的にファンが決めることだ。スポーツ選手にとって、それは「偶然」とか「運」に等しいかもしれないのだ。

 だとしたら、はじめから別にファンに媚びずに自分の姿勢を貫いた方がいいかもしれない。それにファンが付いてくるかどうかは、運や偶然なのだ。それで、淘汰されてもそれは仕方ないのだ。不完全で進化する可能性のある人間にとっては。

 下手にファンに媚びて自分を失うより、自分をしっかり出して環境に淘汰されるかどうかいつも問いつづければいいと思う。(byA・A・アルチャンより)ただし、淘汰されそうになったときには、評論家が助言することは可能だ、とアルチャンはいっている。

 しかし、これは深くて面白い問題ですね。

 

2009年1月29日 (木)

学問的センス

 学生をみていて、彼はあるいは彼女は学問的センスがあるなあ~と思うことがある。逆に、彼は駄目だなというメルクマールがある。

 それは、言明と実在との区別だ。机という実在と「机」という言葉の違いだ。

われわれは、机という本当は何かわからない実在に対して、「机」という言葉を押しあてているのだ。この実在と言葉の違いを区別できず、言葉がそのまま実在のように扱っている人はセンスがないのだ。「コーポレート・ガバナンス」という言葉とそれに対応する実在とをゴジャゴジャにする人はもうだめだ。

 この区別が理解できない人は経験科学的意味での真理というものが不明確になる。真理とは、言明と実在との一致なのだ。

 このような真理の定義(タルスキーによる定義)を行うと、われわれ人間は真理を確定できないことがわかる。

 実在と言明が一致したかどうかを論証するのには、言明が必要となり、さらにその言明が実在と一致しているのかどうかを論証する必要があり、そのためにさらなる言明が必要となるのだ。こうして、無限後退し、真理は確定できない。

 こうしてある言明が真理かどうかは、人間は確定できす、みんなで議論して、いまのところ間違いがない程度にしか言明を正当化できないことがわかる。

 この瞬間、「客観的」という言葉の意味は真理ではなく、「相互主観的あるいは間主観的にいまのところ間違いがない」という意味に変化した。

 さて、言明と実在の区別ができる人は、アインシュタインの論文の展開に関心をもつだろう。もちろん、私は物理学がまったくわからない。しかし、彼のある論文の論証の仕方が以下のようなものではないかと読み取った。(以下はあくまで論証のイメージで、アインシュタイの量子力学とはなんの関係もない)

 まず、ある実在Aをめぐって以下の式が成り立つ。

        A=Xλ(波動)

 同じ実在Aを別の観点からみると、以下の式が成り立つ。

        A=ym(量)

ここで、もし実在Aというものが一つしかないとすれば、以下の式が成り立つことになる。

       xλ=ym

こうして、アインシュタインは新しい式を発見するとともに、迷宮に導かれて行く。この式が対象としている実在Aが波の特徴と量子の特徴をもつという難問だ。イメージできないのだ。波と量子は異なる実在なのだ。この分野のマニアは、この問題が実はいまでも解けないことを知っているだろう。

いずれにせよ。言明と実在の区別ができる人はセンスがいい。その逆はダメ。

哲学の時代

 最近は、いかにして早く本を読むか、1日何冊本を読むのか。そのようなことに関心がある人が多い。

 しかし、私の時代は、いかにして難解な本の内容を理解するか。難解な本の内容をどのように理解したか。こういったことを、知的な人間間で競っていた時代だ。カントの哲学。サルトルの実存主義哲学。K・R・ポパーの科学哲学。丸山真男の日本思想。マックス・ヴェーバーのプロ倫などなど。

 1時間で1頁しか進まないときもある。友人と読書会をする。この1行をどう解釈するか。喫茶店ルノアールなどで長時間議論する。どうしてもこの文の意味がわからない。「では、原文をみてみるか。」そんなまったく非効率的な議論を続けた。

 私が思うには、世の中、本がたくさん出版され、いろんなことが語られているが、本質的なことは、それほど多くないのだ。そして、それほどたくさん新しいことも生まれていないし、発見もされていないのだ。多くは、かつてだれかがいったことを新しいベールをかぶって再登場していることが多いのだ。

 こういった意味で、以前から存在して決して消えることのない哲学書は宝の山だ。そこには、たくさんの叡智が残されている。私には、困ったときには、いつも戻る本がある。カントだ。カントの本だ。戻るたびに発見がある。

 いままでは、気付かなかったが、カントはやたらに弁証論にこだわっているんだなあ~といまでは思う。「カントとヘーゲルは違うんだ」という私の観念が邪魔してきたんだなといまは思う。

 最後に、カントの好きな論証法を紹介したい。

(1)Xに至るには、論理的にAとBとCの道があり、それ以外にありえない。

(2)Aの道が正しいかどうかを批判してみたら問題があることがわかった。

(3)Bの道が正しいかどうかを批判してみたら問題があることがわかった。

(4)Cの道が正しいかどうかを批判してみたら問題がみつからない。

(5)以上のことから、いまのところCを否定する根拠がないので、これを支持する。

私は、このロジックで論文を何回か書いたことがある。なぜ私がカントの本を時間をかけて読んでいるか理解していただけるだろうか。実は、ポパーもこのロジックをよく使って論文を書いているんですね。

2009年1月28日 (水)

スターバックスのかげり

 最近、ときどきスターバックスの危機に関する記事を目にする。

 2000年の初め頃、ウイーンにいったとき、カフェーの街ウイーンにも米国のスターバックスが出店したということで、話題になっていたことを思いだす。

 日本でも、NHKの教育放送の英語会話の時間ではスターバックスの社長のインタヴューを教材にしていたことを思いだす。

 私自身は当時から、スターバックスにはあまり関心がなかった。香りの強いコーヒーとかなんとかいろいろ言われていたが、個人的にはドトール・コーヒーが好みだった。何か割高な感じした。

 コーヒーとうのは難しいビジネスだ。それほど差別化できるとは思えない。安くておいしく、憩いの空間を与えてくれると、うれしいものだ。

 ただ昔、徳島でものすごい特徴のあるコーヒー店があった。とにかく、コーヒーが濃くて深いのだ。私はまったくの素人だが、その私でも違いがはっきりとわかった。自分で、豆を挽いてもあのようなコーヒーは作れないと思った。

 また、コーヒーに関して、もう一つ印象的な話は、ニューヨークで買ったコーヒーだ。本当にアメリカンで、濃くないのだ。ニューヨーク中を濃いコーヒーを探したが、なかった。とにかくみんな薄いのだ。最終的にアメリカでおいしいコーヒーがあったのは、ニューオリンズだった。(ここでいうおいしいというのは、日本で飲むコーヒーとにているという意味)

 まあ、コーヒーをめぐる競争は激しくなると思うが、それが良いサービスにつながってくれると、消費者としてはありがたいのだが・・・。

2009年1月27日 (火)

現在、採点と格闘中

 いろんな仕事がやっと一段落つき、現在、中央大学、日本大学、慶応大の期末試験の採点を行っている。

 今回は、日大の学生には論述試験はたくさん書いた方がいいといったせいか、確かに多く書いてくれたのだが、問題数が多く、全部回答できていない学生が多い感じだ。

 また、慶大の試験は、今回、応用問題を出したので、戸惑った学生も多かったのではないかと思う。さらに、時間のわりに問題も多く、かなりハードだったかもしれない。

 とにかく、これから1000人以上の答案をみなければならないので、まさに格闘する気持ちで、向かわないと、とても精神が持たないのだ。

 

2009年1月25日 (日)

怒涛の1週間

 昨日、経営哲学学会の常任理事会を無事終えた。来年の全国大会に関する話題だ。いろいろと、心配することがある。

 しかし、今週は、体調をくずし、ほんとうに厳しい1週間だった。とにかく、休めないのだ。今日、やっと休みになったが、期末試験の答案が山ほどある。日大と中央大に非常にいっているので、慶大を合わせて1600枚ぐらい採点しなければならない。

 さらに、いくつか準備しなければならないことがあり、まだまだ忙しい。目が回りそうだ。やはり体力は重要だ。

 おもしろいもので、若い時はほんとうに眠くていつでもどこで寝れたが、年をとると、何か眠るのが難しいのだ。何かいらいらすると寝れなくなったりして、そして病気になるのだ。だから、最近はいかにして眠るかが最大の問題の一つだ。

2009年1月23日 (金)

ここ数日いろんなことがあった

 ここ数日いろんなことがあった。

 体調を崩していたが、現在、学内で重い役職を担当しているので、教授会を休めず、悪化した。

 また、前にも一度、ブログで紹介したことがあるが、NHKの若きプロデュサーの企画がやっと通ったということで、2日前、わざわざ研究室まで来ていただいた。本当によかったと思った。それは、拙著『命令違反が組織を伸ばす』光文社新書に関連した企画だからだ。どんなドキュメンタリーになるのか。いまから非常に楽しみだ。

 そして、昨日は、経営哲学学会主催で野中郁次郎先生にインタヴューを行った。野中先生には本当にいろいろとたくさん面白いお話を聞かせていただき、感謝している。これで、経営哲学学会の学会誌『経営哲学』の対談ページは充実し、価値あるものとなったと確信していている。また、お元気そうで、本当によかった。

 少し休みたいのだが、明日は経営哲学学会の理事会があるので、会長の私はさぼれない状態だ。しかし、私以上に忙しいのは、実はお手伝いしてくれている大学院生だ。感謝している。

2009年1月18日 (日)

CGSが基礎とするポパーの世界観NO1

 拙著『戦略学』で展開したキュービック・グランド・ストラテジー(立体的大戦略)が基礎としているのは、科学哲学者K・R・ポパーの多元的世界観である。この世界観がわかりにくいという声があるので、これから数回に分けてこのブログでも説明してみたい。

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 ポパーは、二〇世紀初頭にウィーンで科学的知識の発見に至る真なる論理的プロセスの研究をしていました。そして、最終的に科学的発見に至る真なる論理的プロセスは存在しないと主張し、新しい世界観にたどり着きました。

当時、科学的知識発見の論理として注目されていたのは、以下の二つのプロセスでした。

(1)  帰納主義:物理的世界に対して、人間の五感で感じられる観察データをたくさん集めることによって帰納的に普遍的な科学的知識に至るプロセスが存在するという説。例えば、たくさんの黒いカラスを観察することによって帰納的に「すべてのカラスは黒い」という普遍的な命題をえることができるという説。

(2)  心理主義:心理的世界に対して、科学的知識発見に至る心理的プロセスが存在するという説。たとえば、アルバート・アインシュタインの心理プロセスを分析して行けば、相対性理論を導くことができるという説。 

これらの意見に対して、ポパーはいずれのプロセスにも真なる発見の論理は存在しないと主張し、そこには偶然、論理の飛躍、直観が必ず介在すると主張しました。

たとえば、「すべてのカラスは黒い」という普遍言明(時空間に制限のない言明)を観察言明(時空間が決定されている言明)から論理的に導くことはできないのです。この時空間に制限されていない普遍言明を観察言明から導くためには、あらゆる場所のしかもあらゆる時間に存在しているすべてのカラスを観察して明文化する必要があり、それは無限の数のカラスを観察することを意味するので、原理的に不可能なのです。

また、たとえ観察された1000羽のカラスが黒くても1001羽目のカラスは白いかもしれないという論理的可能性が残ります。同様に、10万羽のカラスを観察して黒くても常に10万1羽目はなお白いかもしれないという論理的可能性は残るのです。その論理的可能性を無視して「すべてのカラスは黒い」という命題を導出するためには、「論理の飛躍」が必要なのです。したがって、観察言明から普遍言明に至る発見の論理は存在しないのです。換言すると、物理的世界と理論内容の世界は一致しないのです。

 同様に、いくらアインシュタインの心理的な思考プロセスをこと細かに分析しても相対性理論の内容それ自体を説明することはできません。アインシュタインですら、自分の理論によってまさか原子爆弾が製造可能だとは、心にも思っていなかったはずです。つまり、心の状態の世界と理論の内容の世界は異なっているのです。

以上のような科学的発見の論理の研究を進めている過程で、ポパーは理論内容の世界と物理的世界、そして心理的世界は異なる世界であることに気づいたのです。そして、彼は、以下のように、椅子、机、身体などの目に見える物理的世界あるいは物理的状態の世界を「世界1」と呼び、人間の主観的心理の世界あるいは心の状態の世界を「世界2」と呼び、さらに知識、情報、権利、価値など五感ではなく、知性によって把握できる世界を「世界3」と呼び、多元的実在論を主張しはじめたのです。

(物理的世界1)椅子、机、身体などの物理的世界

(心理的世界2)人間の心理、心的状態の世界

(知性的世界3)知識、理論内容、権利など人間の知性で把握できる世界

2009年1月16日 (金)

試験と教科書とコピー

 また試験の季節がやってきた。授業に出ていなかった学生はいまが大変だ。大量にコピーしたり、本を買ったり、もらったりするのだろう。

 私の試験に関しては、コピーをするよりも、教科書を購入してくれた方がいい。コピーは紙資源の無駄使いだ。それよりは、教科書をもって、のぞんでくれた方が環境にやさしいのだ。

 しかも、私は教科書に書いてあることを講義でも説明している。じゃあ、講義にでなくてもいいことになるのでは?確かに、そこで、私の仕事はこうなるのだ。

 「やはり、本だけではなく、講義を聞いて初めてわかったことがある、やはり講義を聞いてよかった」と言ってもらいたいものだ。

 中大のアカウンティングスクールで社会人に教えていたときいは、何度かこう言われたが、一般の学生には言われたことがない。やはり、本だけでいいのかなあ~

残念。

 

2009年1月15日 (木)

野中先生との対談

 経営哲学学会の機関誌『経営哲学』に対談というコーナーがあり、ナレッジマネジメントで世界的に有名な野中郁次郎先生に登場していただくことになった。どういうお話をしていただけるか、いまからとても楽しみだ。

 私が学会の会長になって、最初の対談に登場してくださる先生が野中先生なので、本当にありがたいと思っている。とてもうれしい。

経営哲学学会HP

http://www.jamp.ne.jp/home.html

 野中先生は、いまや世界的に有名なのだが(ウオール・ストリート・ジャーナルで、米国人が選ぶ影響力のある人物のベスト20位に野中先生が選ばれていた)、日本の学会に対しても、いろんな衝撃を与えてきた先生だ。また、世界の経営学説史に登場する唯一の日本人だと思う。

 私は、若いとき、何の縁だかわからないが、防衛大と埼玉大学からお声がかかった。結果的に、私は防衛大に行くことにした。理由は、もちろん、いくつかあるのだが、当時、やはり決定的だったのは野中先生が防衛大で活躍されていたからだ。しかし、野中先生はすぐに一橋大学に移られ、私とは入れ違いになった。

 私と同じような世代の経営学者は、ほとんど野中先生のファンだと思う。そして、われわれよりも若い世代にもファンはたくさんいると思う。野中先生には、できるだけ長生きしていただき、われわれに知的刺激を与え続けていただきたいと思っている。

 

2009年1月14日 (水)

不条理からの脱出

 不条理とは、合理的なのだが、不正である現象、あるいは合理的なのだが、非効率的な現象である。これは、個別と全体の不一致が生み出す現象でもある。個別的には合理的だが、全体としては不正であったり、非効率的であったりする現象である。

 個別と全体の不一致は、「取引コスト」が存在するときに発生する。

 たとえば、スポーツを考えよう。あるラグビーチームが、これまで伝統的にFWを中心にひたすら前進する戦法で勝利をおさめてきたとしよう。しかし、時間ととも、他のラグビーチームの戦法も近代化し、戦法が新しくなり、前進するだけの戦法ではもはや理論的には対応できないような時代になったとしよう。

 このとき、どうするのか。そのラグビー部の監督は、伝統的な戦法を非効率的な戦法として放棄し、新しい戦法に変化できるのか?社会的観点からすれば、伝統的戦法は非効率的に見えるが、そのチームにとってその伝統的戦法を守ることは合理的になってしまうかもしれない。

 変化するには、そのチ―ムをめぐる利害関係者を説得する必要がある。OBやファンなどとの間に高い取引コストが発生するのだ。そのコストがあまりにも高い場合には、変化しない方が合理的なのだ。

 こうして、このラグビーチームは不条理に陥ることになる。合理的に、非効率的な伝統的方法に固執することになる。ガダルカナルで、3回連続、機関銃部隊の米国軍に対して、銃剣突撃した日本陸軍と同じだ。

 では、どうすればいいのか?

 私は、これまでその原因となっている取引コストを節約すればいいと思った。それは、理論的には正しい答えだ。しかし、それは不可能かもしれない。

 まったく、別の次元の解決案が必要なことに、最近、気づいた。その答えは、カント哲学にあることがわかった。

2009年1月13日 (火)

なぜユニクロは強いのかーキュービック・グランド・ストラテジー分析

 いま一番売れているのはユニクロだ。経済危機、不況のものでは、安売りのユニクロが輝きだすと思う人は多いだろう。

 しかし、これは誤りである。というのも、安売りというのならば、しまむらや西松屋の方が安売りであり、いずれもいま苦戦しているからだ。

 ユニクロを、キュービック・グランド・ストラテジーが依拠する三つの世界の観点から、大雑把ではあるが、分析してみよう。

(1)物理的世界への直接アプローチ

 ユニクロはただ安いだけではなく、品質もよく、これまでフリーズ、ブロトップ、そしていま「ヒートテック」を開発し、人気を集めてきた。つまり、絶えず、イノベーションを起こして、直接顧客に訴えてきたのである。

(2)心理的世界への間接アプローチ

不況の中、ユニクロの商品を購入していたひとには心理的変化がないが、百貨店で購入していた人々にとっては、参照点を基準に割高感を抱きはじめ、安売り店で購入していた人は、参照点を基準にして、より品質が悪いと感じ始めたために、ユニクロへと変化しやすい心境に陥った。

(3)知性的世界へ間接アプローチ

ユニクロは、これまで極端に値段は高くないし、品質もまた悪くはないというイメージを作り上げてきた。つまり、「安いけど、悪くない」というイメージや観念を形成してきた。これがいまの状況とあっているのかもしれない。

 以上のように、三つ世界で、ことがうまく絡み合い、ユニクロは、現在、環境に適応しているのではないかと思う。

 しかし、ユニクロが、三つの世界に対して意図的にアプローチしているかどうかはわからない。つまり、キュービック・グランド・ストラテジーを遂行しているかどうかわからない。

2009年1月12日 (月)

NHKのカンゴロンゴに登場した「取引コスト」

 昨日、NHKのカンゴロンゴを見た。予想以上に大きく「取引コスト」が出てきたので、驚いた。初っ端からだったので、インパクトがあった。

 しかし、事例が少なかったので、「取引コスト」の意味やその応用の広さについては十分理解されなかったかもしれない。しかし、「取引コスト」という概念がテレビに出たことは十分に意義があったと思う。

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*「取引コスト」=人間は不完全に合理的なので、人間同士が交渉したり、取引したりする際にだまされないように、互いに不必要で無駄な駆け引きを展開する。このような取引上の無駄のことを取引コストという。このようなコストは、会計上に表れないという意味で見えないコストである。

*例題=いまある日本のメーカーが部品を調達しようとしている。いつもお付き合いしている日本の部品供給会社は部品1個1000円で提供してくれる。しかし、ある日、アジアのまったく知らない未知の部品会社から部品1個800円で提供できるというメールがきたとしよう。しかも、交渉次第ではそれ以下でもいいとしている。あなたは、どちらの会社と取引するか。

*解答=いつもお付き合いしている日本企業。理由、未知の企業との取引コストが高く、それを考慮にいれると、日本企業との取引の方が効率的だから。

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 この番組では、仕事とは相手にあるいは誰かに喜んでもらうことをすることだというようなことを言っていた。決して、たくさん給与をもらうことや自分の目的を達成することではないといっていたが、ここは論争的な点だ。

 標準的な経済学、つまり新古典派経済学では、ひとりひとりが利己的に行動することによって、効率的に資源が配分され利用され、社会全体が豊かになるというロジックなのだ。つまり、より多くの所得を目指したり、自分の欲望を追求することが社会のためにもなるのだ。

 しかし、それは人間が完全合理的で「取引コスト」がゼロのときだ。人間は限定合理的で人間同士の取引には「取引コスト」が発生する。それゆえ、今回のカンゴロンゴで述べられたように、相手のことを考えて働くことが重要なのかもしれない。

2009年1月11日 (日)

デス・ノート

 私はテレビは嫌いではない。むしろ、大好きだ。しかし、最近は、ありがたいことに仕事がたくさんあり、なかなかテレビを長時間みる機会がなかった。

 昨日、たまたま、ビデオで「デスノート」が録画してあったので、見た。噂に聞いてはいたが、面白かった。ストーリーも面白いし、奥には深い哲学的テーマもちらちら見えて面白かった。そして、最近の若い人たちはこんな難しい映画をみるんだなあ~と思った。

 また、「オールウエズ」という映画も録画でみた。こちらの方が話は単純で、しかもゆったりした気分でみれた。しかし、この映画にも深い哲学的テーマがあって良かった。

 最近はなかなかブームについて行けなくてだめだ。やはりブームになるには、それなりの理由や価値があることは間違いないと思う。

 昔、年寄りは音楽にも映画にも関心をもたないものだと思ったが、年をとってわかったことは、そうではなく、時間がないのだ。どうしても優先順位が低くなってしまうのだ。残念。

2009年1月10日 (土)

不況期のアドバース・セレクション

 今日、携帯で、コロンビア人が高級住宅街で盗みに入り、捕まったというニュースが流れていた。高級住宅街というので、きっと田園調布や成城か世田谷かと想像しながら、クリックしたところ、なんと横浜だった。

 私も横浜に住んでいるので、驚いた。もっと、興味深かったのは、彼らの証言によると、**警備会社のシールがはられている家はお金持ちだと思って、ねらったということだ。

 泥棒を寄せつけないために、そのようなサービスを受けている家が、そのシールが逆に悪い人々を集めるシグナルになっていたという興味深い現象だ。

 つまり、その警備会社のシールは、普通の人がみると、その家に近づかないが、悪い人は逆に近づいてくるという現象だ。これは、逆選択現象つまりアドバース・セレクション現象かもしれない。

NHKのカンゴロンゴに「取引コスト」登場

 以前にも紹介しましたが、明日11日日曜日午後11時にカンゴロンゴというバラエティバ番組で、「取引コスト」という概念を紹介してくれるようです。たぶん数分だとは思います。

NHK

 http://www.nhk.or.jp/kango/

 NHKのディレクターが、拙著『なぜ上司とは、かくも理不尽なものなのか 』を読んで関心をもってくれたようです。

アマゾン

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4594054676/kikuzawakensh-22

 今回の番組のテーマは「パラサイトミドル」ということで、番組の最後に、協力者として私の名前も載せてくれると聞いています。

関心のある人は、ぜひ明日日曜夜11時にみてください。

2009年1月 9日 (金)

ワークシェアリングの経済分析

 不況になると必ず出てくるのが、「ワークシェアリング」だ。これは、ドイツで盛んな不況対策だ。不況になると、特定の人々をレイオフ(解雇)するのではなく、みんなで仕事を分け合って、全体として労働時間を下げ、全体で給与を下げるという対策だ。

 ドイツでうまく言っているからといって、日本企業でもというのは、少し危険だ。確かに、ワークシェアリングが有効な企業もあるだろう。しかし、問題点もあることに注意する必要がある。

  たとえば、なぜ米国では「ワークシェアリング」が一般的に行われないのか。労働市場の流動性が高い、つまり自由に転職できる米国では、「アドバースセレクション(逆選択)」が発生するからだ。

 全体の雇用を維持するために、全員で仕事を分け合い、全員で給与を引き下げるというマネジメントを展開すると、次のように、非効率的な従業員だけが企業に残ってしまうのだ。

(1)能力のある従業員は、このような給与では割安なので、別の企業へと転職する。

(2)能力ない従業員は、この給与でも割高なので、企業に居座る。

(3)したがって、企業にはだめな従業員だけが残る。

 これは米国企業に特有と思ってはいけない。日本でも、このような現象が起こる可能性があるのだ。たとえば、日本でも、希望退職制度(はやく止めると退職金が大きい)を採用すると、アドバースセレクションが起こるのだ。

(1)能力のある人は、他でも働けるので、早期に退職して大きな退職金を手にする。

(2)能力のない人は、他では働けないので、居座る。

(3)したがって、早期退職制度にのもとに、能力ない人だけが残る。

 また、なぜドイツにワークシェアリングが一般的なのか、その理由も考察すべきである。ドイツでは、レイ・オフ(解雇)をめぐる法律が厳しいのだ。解雇するには、労働者との取引コストが非常に高いのだ。このコストを考えると、ワークシェアリングの方がいいのだ。

 さらに、ドイツの組織はメンバーの役割が明確で、硬直的なので、需要の変化に対応して、雇用やレイオフできないのだ。不況のときに、大量にレイオフしないが、好況のときにも大量に雇用しないし、大量生産もしないのだ。お客を待たせるのだ。

 では、なぜお客が待つのか?。階級社会だからだ。ベンツを買う人は上流階級で、待たされても待つのだ。日本と違って、VWなどに目移りしないのだ。

2009年度菊澤ゼミについて(関心のある2年生へ)

今回で4期目です。3期生が優秀な学生が集まったので、4期生にも期待しています。ゼミ員に聞くと、やはりゼミナールといのは、日吉の一般教養中心の授業と違って面白いそうです。  

 もちろん、私も慶大商学部出身なので、日吉での状況がどんなものなのか、大体、推測できます。もちろん、基本は大事ですが、やはり、慶大に入学して一番意義があり、おもしろいのは専門のゼミです。ゼミを経験しない学生は慶大商学部に入学して損をすると思います。  

 菊澤ゼミは、遊びを中心とするような同好会的なゼミではありません。私は、社会にでても、東大、一橋大、早稲田大出身者と十分張り合える知識や考え方をみなさんに学んでもらいたいと思っています。そのために、私自身も、東大、一橋、早稲田の先生に負けないような研究をしなければならないと思って、いつもガンバテいます。(成果がでているかどうかわかりませんが・・・)

 しかし、ゼミというのは、私と学生との関係だけではありません。同期の仲間も面白いのです。さらに、1年上の先輩との関係も面白いのです。いろんな人間がいます。しかし、みんな比較的優秀です。社会に出て、これだけ優秀な人間が同じ時間で同じ場所にいる機会は少ないかもしれませんね。共同研究をしたり、スポーツをしたり、一緒に酒を飲んだりして、楽しい時間を共有してもらいたいですね。一番楽しい時ですね。

 ゼミ試験は、大体、昨年と同じ方式で行います。

★入ゼミのプロセス

(0)選考仮登録票提出

(1)選考願書提出+レポート提出

(2)選考・入ゼミ面接試験

★募集人数 12名程度(少なくても、できれば1次で終わらせたいと思っています。)(良い学生が多くくれば、15人でも20人でも全員合格にします)

★入ゼミ試験は、以下のように考えています。

(1) レポート(読書感想文1本 A4紙 枚数は自由です) 「組織の経済学」、「新制度派経済学」、「契約理論」に関連する本・論文あるいは私(菊澤)の著書・論文(どれでも)あるいは「経営戦略」「経営組織論」に関する本・論文に関して何か1冊あるいは論文1本について、A4用紙に書く。

  対象図書・論文は、日本語でも英語でも、本でも論文でも構いません。新制度派経済学や組織の経済学、経営戦略論、経営組織論に関連する文献であれば、何でも結構です。できれば、私の著書や論文などの感想文を書いてくれるとうれしいのですが、とくに強制はしません。とにかく、本1冊か、論文1本について感想文を書いてください。 組織の経済学や新制度派経済学の文献(本、論文)の例としては、私のHPやブログ内に紹介しているあるいは貼り付けてある文献を参考にしてください。

(★★★追加:同じことが私のブログや菊澤ゼミのHPにも書いてあります。)

★提出レポートについての注

★ 提出していただくレポートはどれだけ「組織の経済学」「新制度派経済学」「経営学」「経営戦略論」について知っているか、という知識量に関する試験ではありません。 私は、傲慢な人間なので、「私の専門である「組織の経済学」「新制度派経済学」などは、ゼミに入ってから私が徹底的に教えます」という感覚でゼミを展開しています。

事前に、たくさん知識を蓄積しておいてほしいなどのセコイことは、まったく考えていません。 レポートを通して、うまくいえないのですが、みなさんのもっている「何か」を見てみたいというが本当のところです。それは、もちろん、この学生は論文をかけるのかなという点であったり、学問・研究への真摯な気持ち、読み込みの深さ、知識に対する無知な傲慢さ、何か良いプライドの高さ、文章整理の仕方のセンスなどいろいろです。 言い方を変えると、「このレポートを読んだら、私を落とす合理的な理由はないですよね」と思わせるようなあるいは説得してくれるようなものであれば、最高ですね。

●●一生懸命に書いていることが伝わるようなレポートをみて、落とそうと思う人はいませんので、ナーバスになる必要はありません。逆に、手抜きのレポートはすぐに見抜きますので、避けてください。 (2) 面接現3年生とともに面接を行います。

●ゼミ中心に活動できるかどうか。

●組織人として行動できるかどうか。 その点を見極めたいと思っています。

以下の学生は難しいと思います。

×:ゼミを同好会だと思っている人

×:アルバイトで忙しい人

×:体育会で練習・試合で忙しい人

×:自分の趣味に忙しい人

×:就職の手段としてゼミを考える人

★★私の個人的な好み★ Eメールなど、すばやく連絡や論文添削のやりとりがメールできる人を好みます。連絡のつきにくい人や連絡反応の遅い人は、あまり好みません。(私も日々時間と戦っていますので、どうかこの点、お願いします。)

2009年1月 8日 (木)

学期末試験の時期がやってきた

 また、学期末試験の季節がやってきた。

 今年も、一人、「先生、試験範囲はどこですか?」と聞く、小学生のような学生がでてきた。私はいつものように「全部」と答える。

 さて、私の試験は簡単だ。なぜか。できるだけ落とさないような問題をだしているからだ。単位を取るあるいは取れないという低次元の話は、私にとってはどうでもいい。とにかく、授業でそれなりのことを話すので、それを理解してくれれば、それで十分だという思いがある。

 だから、受講生が異常に多い場合には、カンニング問題を避けるために、何でも持ち込み可にしている。また、ある程度の受講生数であれば、教科書・参考書と自筆ノートを持ち込み可にしている。したがって、準備さえすれば、おそらく単位は取れるだろう。

 また、試験が近づくと、「教科書は買った方がいいですか?」という学生が必ず出現する。私が書いた本であれば、「絶対に買った方がいい」と答えたいのだが、露骨にいうと、拙著を押し売りするようで、抵抗があるので、「自信があれば、自筆のノートだけでいい」といっている。

 さて、以上のように、私の試験は学生を落そうとしない問題なので、非常にやさしい。そんなことは、もちろん、出題者の私が一番よく知っている。

 それにも関らず、学生に「***先生の試験は楽勝」とか、「授業にでなくても単位はとれる」とか、ネットで書きこまれると、いくぶんムッとして、「じゃあ、今度は難しい問題だしてやろうか」とか、あるいは「今度は持ち込み不可にしてやるぞ」という気持ちになってしまうものだ。

 自分でもよくわかっているが、大人げないのだ。

  

 

2009年1月 7日 (水)

工学院大学・朝日カレッジでの戦略学講義

 もう何度もブログで宣伝しているので、みなさん飽きたかもしれませんが、今年2月9日に慶応大学の夕学五十講で講演することになっている。なぜか昨年の暮れから、すでに満員御礼になっているのだ。まったく不思議な現象だ。

夕学五十講のHP

https://www.sekigaku.net/

 私自身まだそれほど一般には知られてないので、おそらく勝間さんが拙著『組織の不条理』を宣伝してくれたせいかもしれない。いずれにせよ、原因はよくわからない。

 これに対して、朝日カルチャーセンターの講座はまったく人が集まらない。やはり私は人気がないのだろう。この講座は、朝日カルチャーセンターと工学院大学が提携し、「工学院大学・朝日カレッジ」という名のもとに行われる。これは、新宿にある工学院大学が場所を提供し、朝日カルチャーのネームバリューを工学院がいただくという戦略的提携なのだろう。  

 ところが、これが私にとってはまったく不利に働いているのだ。なぜ慶応大学の先生が理系の工学院大学で教えるのか?、と受講者に質問される始末である。

 しかし、人数が多くないというのも、いい点がある。私は、今回は、以下のように最新の著書『戦略学』について講義する予定である。ここでは、実験的に自由に私がいま考えている最新のことをお話しようと思っている。人数も少ないので、聴講生と自由に話をしたいと思っている。第二回目は、いま書いている光文社新書の内容を簡単に紹介する予定である。第3回目は、冒険的な内容だ。

工学院大学・朝日カレッジ

http://www.asahiculture-shinjuku.com/kogakuin/koza/2008/11/1040.html

「経営戦略学入門」 火曜日 18:30~20:30
1回ごとの受講も、3回セットの受講もできます。それぞれの講座は1回で完結型となっています。

①2/24 ノーベル経済学賞に学ぶ戦略学
②3/10軍事戦略に学ぶ戦略学
③3/24戦国武将に学ぶ戦略学

 さらに、4月以降の春季講座にもすでにお願いされており、今度は「経営哲学」という名の下に、以下のような内容で、CSRと関係した話をさせていだこうと思っている。

(1)ニックリッシュの組織論とヘーゲル哲学

(2)バーナードの組織論とカント哲学

(3)ドラッカーの組織論とカント哲学

 もうここまできたら、朝日カルチャーセンターと心中するつもりで、私のすべてを工学院・朝日カレッジで出しつくしたいと思っている。

 と、意気込んでいるが、定員があまりに少なくて、講座が閉鎖されるかもしれない。

2009年1月 6日 (火)

GEは経営学そのものだ

 私は、経営学者なのに実は個別企業をじっくり観察して徹底的に研究するタイプではない。経営学者としてはダメな研究者だ。(経営史の大家由井先生によると、経営史で有名なハーバードのチャンドラーも実際の企業観察はあまり好きではなく、図書館派だったらしい。日本にきたときも、トヨタへいったらしいが、あまり関心を示さず、すぐにホテルへもどったそうだ)

 そんな私でも、エジソンが創始者のひとりであるGE(ジェネラル・エレクトリック)は魅力的だと思った。GEの社員であり、現在慶大博士課程の学生でもある中川さんのGEの歴史に関する報告を聞き、とても興味深く思った。なぜか。

  私が、経営学の本で読んで学んだこと、つまり事業部制組織やマトリックス組織などなど、どれもすべてGEの歴史そのものなのだ。つまり、GEの経営そのものが、われわれが教科書で勉強してきた経営学のように思えるからだ。すごい。

 さらに、GEが魅力的なのは、130年の歴史をもち、しかも常に世界のトップ企業として君臨してきたこの典型的米国企業の経営者(CEO)は、これまで9人しかおらず、第3代以外はすべて内部昇進者であり、しかも長期政権であるという点だ。まるで、日本的経営のようだ。面白い。

 以上のような意味で、GEという会社はとても魅力的で真剣に研究すべき企業の一つであることは間違いないと思う。

2009年1月 5日 (月)

キュービック・グランド・ストラテジーの事例3

 拙著『戦略学』で提唱しているキュービック・グランドストラテジーの3つ目の事例としてソニーの事例を紹介したいので、関心ある人は参考にしてほしい。

ソニーの事例(未完成)

「case_cgs2.pdf」をダウンロード

キュービック・グランド・ストラテジーーの事例2

 拙著『戦略学』ダイヤモンド社で、私はキュービック・グランド・ストラテジー(立体的大戦略)を提唱した。これは、われわれを取り囲む世界が以下のように物理的世界1、心理的世界2、そして知性的世界3からなっており、何よりもこのような多元的世界のもとに生き残るには、これら3つの世界に対して戦略的なアプローチが必要だという主張だ。

物理的世界1=物質、物体、肉体、紙としての本

心理的世界2=心理的状態、感情、心情、欲求、本を読んでる心理的状態

知性的世界3=理論内容、技術、知識内容、観念、理念

拙著に対してい、キュービック・グランド・ストラテジーの企業戦略の事例が知りたいという人いるので、以下で事例を提供してみたい。

アサヒビールの事例(未完成)

「cgs.pdf」をダウンロード

ゼミについて思うこと パート2

 この3年間ゼミで教えてきて思うことは、もともと非常に優秀な学生とゼミに入って急速に伸びる学生がいることだ。どちらも、私にとっては、うれしいことだ。

 優秀な学生は予想通り、ますます優秀になって行き、他方、最初はそれほど目だたなった学生の中からも恐ろしく切れ味のいい人間が出現してくる。これこそ、ゼミの存在意義だ。

 しかし、逆の場合もある。3年生のときには、ゼミで徐々に頭脳が洗練され、切れ味のいいレポートを書きはじめていた学生が、就職活動に入り、そして4年になり、内定がでて、再びゼミの活動にもどってきたとき、論文の切れ味が落ちているケースだ。

 きっと、就職活動で違った脳の働きになってしまったのかもしれない。それくらい、就職活動は精神的にきついものなのだろう。今年の3年生には、なんとかこのきびしい就職活動を乗り切ってほしい。

 ____________________________________

入ゼミを考えている2年生に一言

 オープンゼミなどにいって、誰かの発表に対して、ハイ、ハイ、と多くの学生が手を挙げて質問するような活気あるゼミの光景をみて、すばらしいと思うかもしれない。確かに、元気があり、活気があり、ゼミとしてはとてもいい光景だ。

 しかし、このような状況はプロの目からすると、まだかわいいものだ。ひとつまちがれば、純粋無垢な小学生レベルだ。慶大生にはもっと上のステージへ進んでほしい。

 ゼミでの本当の真剣勝負は、沈黙の戦いだ。沈黙の中に、火花が散るような緊迫した空気。相互に相手の出方を探りあう。下手な質問をすると、逆にやられてしまう。そういった緊迫した空気をぜひゼミでも経験してほしい。

 誘導質問というのも面白い。質問をしながら、発表者を誘導し、最後に矛盾に追い込む。発表者は先をよんで、誘導されないようにする。そういった駆け引きも、経験してほしい。

 発表者はどんな質問がくるのかわからない。何か怖い。震えるくらいの緊張感。質問者もまた緊張で震えるくらい。そんな経験をぜひゼミでしてほしい。

 ときどき、菊澤ゼミでは、私自身、学生の質問を聞いていて、「きびしい質問だなあ~」とか「本当に鋭い質問だなあ~」とか、「そこまで追求するかなあ~」とう思う質問がある。

 そういった悪魔のような学生に、私はいつも感謝している。というのも、そいうときには、私はいつも正義の味方になれて、とても甘いコメントができるからだ。

 

 

2009年1月 4日 (日)

芥川賞って

 私は文学が専門ではないので、これから書くことは素人の意見だと思ってほしい。

 また、芥川賞発表の季節がやってきたが、最近の芥川賞には何か疑問がある。村上龍以降は誰が受賞したのかまったく覚えていない。

 知っているのは、史上最年少の受賞者、京都大学在学中で受賞、早稲田大学在学中で受賞、アイドルタレント受賞、北京オリンピックで中国人作家受賞といったことだけだ。

 おそらく立派な作品が選ばれてきたのかもしれないが、多くの人は何かそこに意図があるのではないかと疑ってしまう。

 しかし、もっと問題なのは、もうだれが芥川賞を受賞しようと、大した問題ではないということだ。かつては「受賞者なし」が多かったようにも思うのだが・・・・

 

ゼミについて思うこと

 2009年、今年で、菊澤ゼミは、4期生を迎えることになる。これまで、3年間、ゼミで感じたことがある。

 私自身、ゼミでは研究活動と就職活動とを結び付けないようにしている。就職活動のために、ゼミの勉強をするという考え方が嫌いだ。

 なぜか。理由は簡単だ。もしそのような考えでゼミに参加すれば、4月か5月に就職が決定したら、その後はもうゼミは不要になるからだ。後は、ゼミは惰性になるのだ。

 私は、ゼミでは就職のことだけではなく、相手を蹴落としたり、嘘をついたりすることも好まない。社会にでれば、相手を蹴落としたり、嘘をついたりすることもたくさんあるだろう。だから、菊澤ゼミでは・・・という思いがあるからだ。

 しかし、ここ数年、学生を見ていてわかったことがある。ゼミでの発表やプレゼンがうまい学生は、やはり就職活動でも強いのではないかということだ。

 これまで、学生がゼミでの発表やプレゼンが多少下手でもとくに気にはならなかったのだが、最近は発表の仕方やプレゼンの仕方だけでも全員うまくなってほしいものだと強く思うようになった。

 ただし、就職活動のためにではなく、あくまで研究活動の結果としてだ。

 ということで、4期生も徹底的に鍛えたいので、勉強、研究に関心のある学生は、ぜひ菊澤ゼミへ入会してほしい。

 

2009年1月 3日 (土)

偶然

 昨日、自宅から近い横浜元町にいった。福袋を買いにいった。息子の好きな「カンタベリー・ニュージランド」を買いに。しかし、残念、すでに福袋は売り切れていた。

 目的がなくなったので、帰ろうとしたその時、向こうから見たことのある顔を発見した。相手もあれ!という顔をしていた。

 大学の同僚 八代先生だ!

 驚いた。この偶然はすごい。何万分の1だと思う。縁があるな~と思った。

2009年1月 2日 (金)

速読か精読か

 最近の人々は、本を速読し、しかもたくさん読むことに忙しいように思う。いかにして本を多く早く読むかといったテクニカルな本も多く出版され、しかも売れているようにも思う。

 私は、これまでそのような本の読み方を習ってこなかった。良い本を選んで精読するというやり方を、若い時に学んだ。「ダメな本をたくさん読むと、逆に頭がダメになるぞ!」といわれてきた。

 私は、大学3年生のときに、ゼミでみんなで音読し、かつ精読したのは、K・R・Popperの『科学的発見の論理』と同著『歴史主義の貧困』だ。これは本当に難しい本だ。一行一行声をだして読み、そして解読して行く作業だった。表現は大袈裟だが、ロゼッタストーンの文字を解読するような作業だ。

 しかし、この2冊を解読すると、精読する癖と忍耐力と解読力がついた。だから、その後はイマニエル・カントの『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』『プロレゴメナ』『啓蒙とは何か』その他カントの著作は、自分で精読できるようになった。

 さらに、ヘーゲルの『歴史哲学』もおもしろかった。バートランド・ラッセルの『西洋哲学史』は最高に素晴らしい本だ。その他、カントの解説書としては、岩崎武雄の本が素晴らしいと思う。

 また、丸山真男の『日本の思想』も精読した。さらに、小林秀雄の評論本はほとんど精読して読んだ。どれも素晴らしい。そして、彼の文体の秘密を知った。接続詞を使わない点だ。

 ドイツ語の本も読んだ。新マルクス主義者であったハーバーマスの本だ。もちろん、いやでも精読だ。翻訳するからだ。もちろん英語の本も読む。もちろん、精読だ。

 若い時に、精読した経験があるので、いまでも難しい本や本当に関心のある本は精読できる。簡単なものは、速読できるし、辞書的にも読める。

 しかし、若いときに、精読を一度も経験したことのない人は果たして難しい本を読めるのだろうか。疑問である。

 たとえは悪いが、受験でいえば、理科系は理系も文系も受けれるが、文系は理系を受けることができず、文系しか受験できないのと同じ気がする。

 速読の得意な人たちは、カントの本も速読するのだろか?『純粋理性批判』を読むのに1時間もかかったよ。そんな会話をしているのかなあ~

2009年1月 1日 (木)

謹賀新年

謹賀新年 2009年

明けましておめでとうございます。

今年は、哲学的な議論を押しだすような研究をしたいと思っています。

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