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2008年12月11日 (木)

脳体力の成長

 私の研究者としての歴史で気がついたことを紹介してみたい。

 慶応大学の学部時代は、ゼミで報告論文を1本づつ、じっくりと書いていた。そして、それを先生に聞いてもらい、コメントをもらうのを楽しみにしていた。

 大学院生になると、論文を書く速度が速くなり、ある先生に「君は筆が速いね」といわれたことがある。ついでに、私の論文は無駄がないという印象があるようで、「君の頭は掃除機のようにいらないものを全部すいとって、すべてをクリアにするんだあ」といわれたことがある。

 その後、大学に職をえたころには、2本の論文を同時に書くことができるようになっていた。当時、この状態を「大工方式」と自称していた。つまり、大工はひとつの家を作っているとあきるので同時に2つか3つの家をかけもちで作ってるようなので。

 さらに、30代半ばから終わりになるころには、3本ぐらいの論文は、同時進行的に比較的簡単に書けるようになっていたのだが、論文の依頼が少なく、その実力を発揮できずにいた。

 そして、40代になると、突然、依頼論文が増え、同時に4本とか5本という時期がきた。くるものはことわらないので、さすがにオーバーワーク気味になった。それでも、何とかこなしてきた。社会から認知されはじめたという感じをえていた。

 そして、ついに40代の終わりにもなると、今度は同時に2冊の本を書くことができるようになった。これは自分の力だけではない。ありがたいことに、出版社から依頼があり、それに対応しようと努力した結果である。

 以上のように、脳の体力は若い時に比べて何倍も成長しているように思う。でも、本当のところはわからない。実はそうではなく、本当は要領がよくなっただけかもしれないし、ずるくなって手抜きがうまくなっただけなのかもしれない。

 そして、このような私の研究プロセスで、もう一つ気づいたことがある。それは、同時に、一見、まったく異なった複数の研究論文を書いているように思うが、後で見てみると、どの論文も意外に近い距離にあることが多いというこだ。

 このことがわかって、たくさん論文を書いていけば、おのずとそれをまとめて本にしやすくなるということもわかってくるだろう。

 私は、学者というのは論文を書くことが商売だと思っている。だから、極端にいうと、われわれは半分作家だと思っている。だから、私が書かなくなったら、私は学者を半分捨てていると思っていただいても構わない。

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