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2008年12月31日 (水)

篤姫に宿るカント哲学

 昨日、DVDで録画した篤姫の総集編をすべてみた。大変、面白い内容であった。客観的に良いか悪いかわからないが、表面的には次の2点が良かった。

(1)篤姫が年をとっても若々しいままであったこと。無理に、老けたメイクを最後までしていない点。

(2)篤姫が無理になれない鹿児島弁を使っていなかった点。

 しかし、もっと素晴らしいと思ったのは、篤姫が繰り返して述べた次の言葉だ。

        「自分の意思で決めます」

島津家本家に養女になる時も、徳川家に嫁ぐ時も、篤姫はこの言葉を述べていた。カント哲学だ! このドラマには、カントの哲学が宿っているのだ。自分をモノのように扱うことへの抵抗なのだ。

 カントは、人間と動物の違いを自由意思があるかないかという点にかけた。

 動物は、自分の外にある原因にしたがって行動する。誰かが殴ろうとすると逃げるし、誰かが餌をもってくれば食べにやってくる。原因と結果にしたがう行動をする。その原因は、自分ではなく、すべて自分以外にあるのだ。つまり、他律的なのだ。ニュートンの力学的世界も同じだ。

 これに対して、確かに人間も動物的である。誰かが殴ろうとすると逃げるだろう。また、より高い給与が提示されれば転職するかもしれない。この意味で、動物的である。

 しかし、人間は外の原因を無視し、自らの意思で行動することもできるのだ。どれだけ高い給与を提示されても、自分の意思でこの会社に残るという人はいるものだ。どれだけ殴られても自分の思想を変えない人はいるものだ。自律的な人物だ。

 そのような行動の原因は他でもなく、自分自身にある。それは因果法則にとらわれないという意味で自由な行動である。そして、その行動に対する責任は他でもなく自分にあるという意味で、その行動は道徳的行動なのだ。

 こういうカントの考えから、カントの自律の原理が導出される。外から(上司から)の命令に対して

「いかに高い権威であろうとも、われわれはその命令を、倫理の究極的な基礎として受け入れることはできない。・・・われわれが権威による命令に直面するとき、この命令が道徳的かどうかを判断するのは、つねにわれわれの責任だからである。…命令に従うかどうか、権威を受け入れるかどうかは、われわれがくだす決定なのである」(byPopper)

私には、ドラマの篤姫が常にこの自律の原理にしたがって行動していたように思えた。そこに、感動した。

 

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