慶応大学菊澤ゼミナールHP

私の趣味

私の著書

新制度派経済学と限定合理アプローチの本

経営哲学学会HP

« 老化現象か | トップページ | 「週刊ダイヤモンド」のコラムに登場 »

2008年10月13日 (月)

論文は量か質か

 大学では、よく知られているように、卒業論文というものを書く。この卒論をめぐって、大学の教員間で話し合いをすると、面白い議論が起こるものだ。とくに、文科系の教員では。

 私の経験では、議論は二つのグループに分かれる。第一のグループは、とにかく量を求める人たちだ。卒論、修士論文、博士論文、すべて最低要件は量だという人たちだ。もう一方のグループはあえて量を求めない。内容がよろければ、短くていもいい。内容がなければ、取り柄がないので量ぐらい多くした方がいいというグループだ。

 私は後者のグループの人間なので、前者に立つ人たちの本当の理由はわからない。やはり文科系というのは、カントやヘーゲルなどの大論文をイメージするのだろうか。

 後者の理由は、簡単だ。論文の良し悪しは量とは関係ないのだ。むしろ、長い論文はたいてい内容にしまりがなく、だらしない、しかも無駄が多い場合が多い。しかも、そのような論文を書いても、役に立たないのだ。

 役に立たないという意味は、現在、経済学、経営学分野では、いかにして有名なジャーナルに論文を投稿して掲載されるかの時代で、今後もその傾向は強まる。ジャーナルでは長い論文は最初から拒否されるからだ。

 したがって、将来、学者になるならば、当然、修士論文はジャーナルを意識したものであるべきで、短い論文を2,3本をくっ付けたものがよいのだ。それは締まりのある修士論文であり、理科系の研究は大抵そのようなものだと認識している。

 博士論文も同様だ。理科系では、査読付きジャーナルに掲載された3本以上の論文をまとめて博士論文となるケースが多い。その方式は、非常に明快だ。これに対して、文系でレベルの低い博士論文は査読論文なしで、紀要の寄せ集めで、量だけ多く、御苦労様というケースが多い。

 私は個人的にもうこんな方式は止めてほしいと思っている。私の時代だけでいいのだ。このような世界は、審査に容易に権威や政治を持ち込むことになるのだ。

 以上のような理由で、拙著『戦略学』に関して「量が少ない」というコメントがあるが、そのようなコメントにはいくぶん不満がある。 

 

« 老化現象か | トップページ | 「週刊ダイヤモンド」のコラムに登場 »

3)学者様の不思議な世界」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 論文は量か質か:

« 老化現象か | トップページ | 「週刊ダイヤモンド」のコラムに登場 »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30