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2008年9月29日 (月)

大学院

 今日は、一日中、大学院入試で忙しかった。そして、疲れた。

 さて、最近は、昔と違って慶応義塾大学では(他学部も同じだと思うが)、頭の良い学生が大学院に残らなくなった。なぜだろうか。これは実は慶応大学だけではないように思う。

 大学で研究すること、大学の教員になることに魅力がないのだろうか。あるいは、5年間勉強して大学の先生になれる保証はない、そのリスクを避けたいのだろうか。あるいは、われわれのような大学の教員をみて「あんな風にはなりたいとは思わない」と思うのだろうか。

 とにかく、最近は良い学生が大学に残らない。大学院の危機を感じてしまう。どうしたら、優秀な学生が大学院に残るのか、真剣に検討する時期がきているのではないだろうか。一番最悪なのは、就職ができない人が大学院に残ろうとすることだ。それは、不幸なことだ。

 

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コメント

菊澤先生

 いつもブログを拝見しております。文系学部生代表として意見を述べさせていただきます。私の拙い主観ですが学生指導主任の先生の何かしらのお役に立てれば幸いです。

 大学院に優秀な生徒が残らないという現象ですが、やはり学部生の目から見て大学院へ行くメリットよりデメリットのほうが多いからではないでしょうか。例えば、修士課程に進学しても、学部時代より就職が不利になることの方が多いと聞きます。確かにシンクタンクやコンサル、一部職種は院生のほうが採用において優遇されますが、それでも狭き門だといえます。

 いわんや博士課程となりますと、どうしても就職先が限られてきます。運良く大学に職を得られればいいですが、ニートとなる人も多いと聞きます。仮に職を得れても一生非常勤講師というような人もいるので、あまり学部生にとって魅力的な選択肢とは思えません。お金持ちでしたら慶應のような私学で学部+修士博士+αの学費を払うことも可能ですが、たとえ優秀な学生でも貧乏なら奨学金に頼って大学に残るより優良企業に入って稼ぐことを考えるのではないでしょうか。

 確かに優秀な人間であれば、自分で自己の能力を認識し大学院へ行き、優秀なので淘汰されずに成功しそうな気がします。しかし、学生はアカデミック・ポストが単に優秀であるだけで得られるようなものでないことを知っています。学内の政治や、偶然ポストが開くかどうかの運など、様々な不確実性がある学者の道を選ぶより慶應の学歴を生かして民間就職したほうが合理的だと思います。

 一方、就職できない不優秀な学生が大学に残るという現象も学生の目から見れば合理的だと思います。第一に大学生の肩書きを持ったままモラトリアムを延長できる。よってニート的な駄目な学生が大学に残りやすい。第二に修士のほうが学部より上の大学に行くことができる。学歴ロンダリングといって必ずしも優秀でない学生が名門大学へ来る(本当に優秀な学生は大学名関係なしに研究室を選ぶ。)。第三に、就活に失敗した学生が中小企業に就職するよりも大学修士のほうが社会的地位が高いと考え進学する。大学院の現実を見据えないで近視眼的判断をする・・・。

 もちろん純粋に学問をしたいと思う気持ちも大切だと思います。しかし学生にとっては一生が掛ってますので、合理的に判断すれば優秀な学生ほど大学院には残りにくいという結果になるのではないでしょうか。私も学部卒で民間営業マンになるよりも、折角慶應で学んでいるのだから何かしらの頭を使う仕事をしたいと思います。そのためにも修士くらい出たいという気持ちはあります。しかし私は優秀ではないので大学院に残っても外部性が出るだけなのでしません(笑)。しかし学者という道に全く魅力が無いかと言えばそうではないと思います。

三谷君へ

 大変、貴重なコメント、ありがとう。参考にさせていただきたいと思います。いまは、大学でも学会でもアカデミックの静かなる危機がきていると思っています。何か変えていかないと、まずいことが起こりそうです。

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