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2008年9月

2008年9月29日 (月)

大学院

 今日は、一日中、大学院入試で忙しかった。そして、疲れた。

 さて、最近は、昔と違って慶応義塾大学では(他学部も同じだと思うが)、頭の良い学生が大学院に残らなくなった。なぜだろうか。これは実は慶応大学だけではないように思う。

 大学で研究すること、大学の教員になることに魅力がないのだろうか。あるいは、5年間勉強して大学の先生になれる保証はない、そのリスクを避けたいのだろうか。あるいは、われわれのような大学の教員をみて「あんな風にはなりたいとは思わない」と思うのだろうか。

 とにかく、最近は良い学生が大学に残らない。大学院の危機を感じてしまう。どうしたら、優秀な学生が大学院に残るのか、真剣に検討する時期がきているのではないだろうか。一番最悪なのは、就職ができない人が大学院に残ろうとすることだ。それは、不幸なことだ。

 

2008年9月28日 (日)

これから秋に向けての予定

 9月の防衛省での講演、そして研究会での報告を終えた。10月からは、さらに忙しくなる。

 まず、富山大学で講演をさせていただき、次に放送大学に「新制度派経済学」を解説する役でゲスト出演させていただく。さらに、法政大学でのセミナーにも・・

 そして、最大の課題は、10月から朝日カルチャーセンターで、6回にわたって講義をすることだ。テーマは『企業の組織論ー命令違反が組織を伸ばすー』です。あまり、人が来ないかもしれませんが、昨年出版した拙著『命令違反が組織を伸ばす』について解説します。関心のある人はぜひ受講お願いします。

HP

http://www.asahiculture-shinjuku.com/kogakuin/

内容

http://www.asahiculture-shinjuku.com/kogakuin/koza/2008/08/0090.html

テキスト「命令違反」が組織を伸ばす (光文社新書 312)

 誰も受講しない、生徒がいないということにならなければいいのだが・・・・心配。

2008年9月25日 (木)

横浜の崎陽軒様にひとこと

 横浜には老舗が多いが、意外に良い店は少ない。これが私の印象だ。横浜駅に東口地下にある崎陽軒のレストランもそうだ。料理はそこそこおいしいのに、とにかくウエイターとウエイトレスに問題がある。

 席に座っていても、全然、注文を取りに来ない。とにかく、いやになる。そこで、こちらから、立って注文をお願いしにいく始末だ。

 ところが、ウエイターやウエイトレスが狭い店なのにどこにいるのかわからない。最悪だ。よく見たら、客と話をして盛り上がっているサラリーマ風のカッコしたやつがどうもウエイターらしい。

 こちらも、ウエイターだと気づかなかったし、最後まで向こうもこちらが注文お願いしていることに気づかなかったのか、無視したのかわからないが、結局、無視された。本当にセルフサービの学食のようなサービスだ。

 やっと、ウエイトレスを捕まえて、注文がとれた。注文をお願いするのに、これだけ時間がかかったのはこのレストランが初めてだ。自分の方がウエイターのようだった。いや――ひどいものだった。

 最後に、一言、崎陽軒様にお願いしたい。「ウエイターはウエイターとすぐわかる服にしてほしい。とにかく、ウエイターが客に混じってどこにいるかわからないようなユニフォームはナンセンスなので、やめてほしい」

料理はおいしいのに・・・・・・残念!

2008年9月24日 (水)

私のクラウゼヴィッツ解釈の意図

 拙著『戦略学』でも、DHBRでの拙稿「クラウゼヴィッツかリデル・ハート」でも、私はリデル・ハートよりのクラウゼヴィッツ解釈を展開した。

 もちろん、リデル・ハートがクラウゼヴィッツの戦略論をハードな直接アプローチ戦略として解釈し、そのクラウゼヴィッツ解釈が誤りである、と多くの研究者が指摘していることも十分知っている。

 しかし、それにもかかわらず、私はリデル・ハートのクラウゼヴィッツ解釈に近い立場にいる。

 なぜか。

 確かに、クラウゼヴィッツの『戦争論』を読めば、彼の戦略思想がリデル・ハートがいうように直接アプローチ一辺倒ではないし、ハードな戦略思想だけでもない。ましてや、私が指摘しているように、クラウゼヴィッツが一貫して人間の完全合理性を仮定し、物理的肉体的一元論を体系的に展開しているわけではない。

 しかし、だからといって、リデル・ハートのクラウゼヴィッツ解釈も私のクラウゼヴィッツ解釈も完全に間違っているとは思わない。その理由はこうだ。

 クラウゼヴィッツの『戦争論』は、多くの人たちが知っているように、完全に未完の書であり、バラバラであり、体系的に洗練化されているわけではない。それは、のちに婦人によって編集されたものであり、それゆえそれ自体は非常に不完全でばらばらな内容なのだ。

 そこで、リデル・ハートと私が行ったことは、もしもクラウゼヴィッツの議論を論理一貫させ、体系的に彼の議論を洗練化すれば、おそらく彼の議論の本質は直接アプローチ戦略であり、完全合理性の観点に立った議論であり、物理的肉体的世界観に立った議論になるだろうということなのだ。

 彼の『戦争論』は、真面目にそのまま読めば、それほど単純ではなし、内容が複雑でシンプルではない。あれもこれも、いろんなことを述べている。そんなことは、十分わかっていることなのだ。それは美しく整理されているわけではないのだ。

 しかし、そのようなクラウゼヴィッツの戦争論の素朴な解釈は決して得ではない。結局、クラウゼヴィッツはあれもこれも述べており、戦争に関してすべてを述べていることになり、論理学的にいえば、それは結局何も述べていないことと同じことになってしまうのだ。

 「クラウゼヴィッツは直接アプローチも述べているし、非直接アプローチも述べている。」

 「クラウゼヴィッツは完全合理性の立場に立って議論している場合もあるし、非完全合理性の立場に立っている場合もある。」

 もしこのような形でクラウゼヴィッツの戦争論を擁護するならば、それは擁護しているのではなく、彼の議論を経験的内容がない(ゼロ)ものにしていることになるのだ。そういった解釈をしていることになるのだ。

 「明日の天気は晴れか曇りか雨である」といっているのと同じなのだ。それは、経験的にテストする意味のない、それゆえ経験的内容のない言明なのだ。

 以上のような意図があって、私はあえてクラウゼヴィッツに関して大胆で極端な解釈を意図的に展開しているということをどうか理解してほしい。

2008年9月21日 (日)

タバコをやめる方法

 最近、ダイエットの方法が注目されている。私も何とか痩せたいと思っているので、関心がある。血圧が高いのだ。

 同じように、タバコをやめる方法も昔から注目されている。タバコについては、何とかやめることができた。こちらも大変だ。

 私は、ヘビースモーカーだった。学生時代は、タバコのヤニで部屋が汚れていた。しかし、なんとなく、時代が禁煙ブームに移行することに気づいて、試しにタバコをやめてみた。このとき、簡単にやめることができた。

 しかし、タバコをやめると、よく言われてるように、何でもおいしくなり、太り始めた。そこで、再びタバコを始めた。しかし、今度は、ヤセルことなく、タバコも止められなくなった。最悪の事態だ。

 さて、30代になり、結婚し、ニューヨーク大学スターン経営大学院に留学することになった。当時、米国は禁煙ブームだったが、依然として喫煙者にとっては不便ではなかった。禁煙ブームといってもどこでも喫煙場所はあった。当時、私は、キャメルというらくだの絵のタバコを吸っていた。

 しかし、ニューヨークで子供が生まれてからは、さすがにタバコは吸えなくなった。赤ちゃんは、空気に敏感で、住んでいたマンハッタンのマンションの空気が悪いせいか、せきこむのだ。そこで、小さな空気清浄機を購入したら、せきこまなくなった。

 やはり、タバコを止める必要があると感じた。こうして、私がとった作戦はこうだ。

 まず、タバコがやめられない、癖になるのは、タバコの煙を肺にまで入れて感じる「おいしさ」、「爽快感」、「ひっかかり」、「しびれ」なのだ。この肺の感覚を覚えると、タバコは止められないのだ。

 実は、意外にタバコの煙を肺にまで吸い込むのは難しく、初心は煙をのどで止めてしまうものだ。だから、タバコの本当のおいしさを知るのに、少し時間がかかる。つまり、煙を肺にまで送りこむのに、慣れと時間が必要なのだ。

 さて、私は初心者に戻ろうとしたのだ。つまり、タバコの煙を肺にまで吸い込むと麻薬のようにその感覚をやめられないので、初心者のように、タバコは吸うが、煙を肺にまで入れず、のどで止めるというやり方だ。

 これを数週間やっていたら、徐々にタバコの麻薬性から解放され、最終的にタバコを口に入れなくなった。

 つまり、禁煙のコツは、煙を肺にまでいれないことだ。入れると、麻薬的な効果が生まれるのだ。喉で止めることだ。

 以上が私の禁煙術だが、この方法は私だけにしか妥当しないのだろうか?わからない。

2008年9月20日 (土)

防衛省での講演

 昨日、久し振りに防衛省防衛研究所で講演をした。防衛大と同じように、起立、礼で出迎えてくれる。何か、とても懐かしい感じがした。

 聴衆は、これから最も偉くなってゆく自衛官たち、海外の士官たち、一部防衛関連企業からの派遣、いくつかの省庁からの事務官たちである。

 講義の内容は、拙著『戦略学』で展開した立体的大戦略(キュービック・グランド・ストラテジ-)を説明することであった。どれだけ理解してもらえたかわからないが、自分自身では十分説明できたと思っている。

 講義の一番最後に、「今後、この立体的大戦略の戦略思考をどのように広くアピールして行くのか」という大変興味深い質問があった。

 実は、私はいま新しい新書の原稿を書いており、それを通してさらにアピールしたいと思っている。その本は、『戦略学』の内容をさらにわかりやすく、特にビジネスよりというよりも軍事思想が中心となる。

 最新の『週刊ダイヤモンド』の書評で、最近はマーケティング戦略のような個別的なものようりも、野中先生たちの『戦略の本質』や拙著『戦略学』などの戦略の基本や原理に関する戦略本が売れているという指摘がなされているが、この点と関連して、次の本もぜひ期待してほしいと思います。

 

 

2008年9月17日 (水)

『戦略学』における心理的世界と知性的世界の違い

 拙著『戦略学』の基礎となっている多元的世界観に関して、多くの人々が心理的世界と知性的世界の違いがわかりにくいのではないだろうか。ここでは、「違う」「異なる」ということだけを証明してみよう。

 知性的世界の住民代表として「普遍的理論」を取り上げよう。普遍的理論とは、時間と空間とは無関係に成り立つ言明のことである。たとえば、以下のような言明のことだ。

「すべてのカラスは黒い」

この言明は知性的世界の住民である。この言明は、われわれの人間の心理や五感つまり心理的世界に還元できないし、同様に物理的世界へと還元することもできない。つまり、この普遍言明は完全に経験的に実証できないのだ。

なぜなら、このような普遍的言明から、以下のように、無数の言明が導出され、それらを有限な能力しかもたない人間が、すべて心理的に感じかつ物理的世界の事象と対応させることができないからである。

「a1日*時*分に場所b1にいるカラスは黒い」

「a2日*時*分に場所b2にいるカラスは黒い」

「a3日*時*分に場所b3にいるカラスは黒い」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

逆にいうと、どれだけ「たくさんのカラスを観察してそれが黒く」ても、「すべてのカラスは黒い」とはいえないのだ。つまり、物理的世界や心理的世界を単純に反映したものが知性的世界ではないのだ。

以上のことから、知性的世界の住民である「知識」とわれわれの「心理的事実あるいは物理的経験や事実」とは一致しないのだ。

したがって、知性的世界と心理的世界、そして物理的世界は同じではないのだ。

科学哲学的に言えば、「帰納法」というものが成立しないということは、物理的心理的世界と知性的世界は違うこということだ。

2008年9月15日 (月)

拙著『戦略学』の反省点

 拙著『戦略学』に関して、反省点を述べてみたいと思います。

 このブログでも何度も述べたように、最近、あまりにも「戦略」「コーポレート・ガバナンス」などの言葉が安易に使用されすぎて、問題があるといってきました。

 まさに、この点で、拙著の『戦略学』にも問題があります。最近では、「戦略」と「戦術」「作戦」の区別は無用などという意見もありますが、私はそうは思いません。そのような状態は、単に学問としてあるいは知識として発展していないだけだと思います。

 実は、拙著『戦略学』では、「戦略」と「戦術」と「作戦」を明確に区別していません。あえて、ここで区別するとすると、以下のようになると思います。

拙著『戦略学』の注釈として、以下の点をご理解ください。

1)物理的世界、心理的世界、知性的世界のそれぞれの世界で展開される生き残りの方法が「戦術」です。

2)その戦術を実際に実行可能なものへと操作する方法が「作戦」です。

3)これら三つの世界で展開される三種類の「戦術」をより効果的に体系的に実行する方法が「戦略」です。つまり、これがキュービック・グランド・ストラテジーであり、立体的大戦略です。

以下のようなメタファーでもいいと思います。

1)普遍的原理=戦略

2)その原理にもとづいて導出されるモデル=戦術

3)そのモデルにもとづいて導出されるテスト命題=作戦

以上のように、いま、イメージしていますが、もっ厳密に検討してみたいと思います。その結果がまた変わるかもしれませんので、お許しいただきたい。

真理なる定義はありませんので、常によりよいものへと進化させたいと思います。

2008年9月14日 (日)

拙著『戦略学』へのコメントNO2

 拙著『戦略学』に対して、コメントをいただき、感謝しております。本書に関して、いろんな説明や解説などなされていますが、拙著『戦略学』の簡単な内容は、以下のダイヤモンド社のオンラインに書いてありますので、一度、読んでみてください。

http://diamond.jp/series/diabooks/10029

その他、たくさんの方に論評していただき、とてもうれしく思っています。以下いくつかをご紹介させていただきます。

●研究所の方に取り上げていただけると嬉しいですね。

船井研究所

http://www.logi-web.net/2008/09/post_316.html

●参考文献として取り上げていただき、感謝しています。

http://blog.livedoor.jp/muraryo3/archives/51073834.html

●私の大学時代の先輩教授です。

http://profshuichi.blog.so-net.ne.jp/2008-09-07

●拙著をよく読みこんでいただき、感謝しています。

http://blogs.yahoo.co.jp/ryo51665/58092792.html

2008年9月11日 (木)

方法論の意味

 今回の経営哲学学会では、方法論的議論が展開された。面白かった。

 しかし、なぜ方法論が必要なのか。多くの人たちが意外にわかっていないように思う。解釈学、プラグマティズム、批判的合理主義、論理実証主義・・・・

 いずれの方法論も、自分たちの主張の正当性を守るものなのだ。だから、方法論をしっかり勉強していないと、社会人(企業人)に対して、自分の主張もはっきりいえないのだ。

 企業人に対して、「あなたたちは無借金経営がいいと思っているが、決してそうではない。借金は必ずしも悪くわない」といえるのかどうか。

 このような考えは、理論的に正しいのか。ではなぜ理論的に正しいことが良いのか。こういった問いに答えることができるのが方法論なのだ。

2008年9月 6日 (土)

日本経営学会で気づいたこと

 一橋大学で、いま日本経営学会の全国大会が開かれている。昨日、参加した。

 一橋大学では何度も学会の全国大会が開かれているが、今回、ひとつ気がついことがある。言い換えると、これまで気づかなかったことがある。

 部会が開かれた教室は、リニューアルされて全体として白く、机もきれいなのだが、なぜか、黒板だけが異常に古く、ボロボロという感じだった。これは、偶然なのか。意図的に残しているのか。わからない。

 意図的に残していると、すごいな。この黒板に、かつて経営学の巨匠、一橋大学の偉大な教授陣が講義したのだろうかと思うと、何か胸が熱くなった。すごいメッセイジ感じた。

 この瞬間、もう発表者の内容はどうでもよくなった。

2008年9月 2日 (火)

大学院生の不条理

 大学というところは開けた世界ではない。だから、大学院生や大学生は、いつも不条理な状況に置かれることになる。

 昔、拙著『組織の不条理』ダイヤモンド社に感動してくれた他大学の社会人大学院の学生が、そこで展開されている組織の不条理のロジックを応用して、修士論文を書きたいと思っており、ある機会があって、その学生と会ったことがある。しかし、そのような研究を指導教授が許してくれないので、非常に困っているということだった。

 これは大変難しい問題だ。私は、その指導教授の気持ちがよくわかる。自分が指導している学生が他人の説(日本人の説、特に私のようなビックでない人間の説)を利用して修士論文を書きたいというのは、自分が否定されているような気持ちになるものだ。存在意義が問われることになるのだ。

 同じことは、学生の卒業論文でも起こる。私の講義に出席した学生が、たまたま新制度派経済学に感動して、それを用いて卒業論文を書きたいと言い出す。指導教授はつらいものだ。

 「菊澤さん、うちのゼミで菊澤さんの講義でならった理論を使って卒論を書きたいという学生いて困ってるんだ。僕はすぐにダメといったけど・・・」と笑って言ってくれる先生は、とてもありがたいが・・・。学生は・・・・

 さて、今回『戦略学』ダイヤモンド社を出版したが、すぐに内容の斬新さを理解してくれたR大学の優秀な社会人大学院の方から、興味深いメールをいただいた。私のCGS(キュービック・グランド・ストラテジー)とあるモデル(これはいえない)を結びつけると、もっと面白い展開になるということだ。そして、それを修士論文にしたいということだった。まさに、知性的世界を進化させるものだ。

 私は、感心した。それは面白い展開になるとすぐにわかったし、ぜひともそれを発展させて、私に教えてほしいと思った。しかし、同時に、不安もよぎった。指導教授との関係だ。おそらく、大変な摩擦が起こるのではないかと実は心配している。しかし、頑張ってほしい・・・そして、その研究内容をぜひブログで公表してほしいものだ。

  

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