知性的世界つまり世界3とは
今日も、いろんな本を読んだが、問題が解けずに悩んでいる。拙著『戦略学』で導入した多元的世界観、特に知性的世界の性格についてである。
拙著では、この世界の住民として「取引コスト」を取り上げた。もちろん、この世界の住民はこれだけではない。理論、知識、観念、概念、ブランド、価値、問題、議論などもある。
このような知性的世界と心理的世界が異なる世界であるということを認めると、いろんなことがわかってくる。たとえば、資源ベース理論の限界だ。
資源ベース理論の考え方は、われわれの才能や能力(組織の能力)を戦略的に具体化し表現したものがブランドや製品や知識になるという考え方だ。それだと、自己を改革できないのだ。これは、知性的世界と心理的世界を区別していないからだ。
これに対して、知性的世界と心理的世界を独立させると、自己を改革することができることになる。確かに、われわれはブランドを生み出すことができるが、生み出した後は、ブランドは知性的世界の住民として、自律的となる。そして、それは逆にわれわれに反作用してきて、品のない会社も品をよくしなければならなくなる。こうして、自己を改革することになる。
この知性的世界からの反作用に、組織の進化や自己超越のヒントがあるのかも・・・、ここから、いまさらにもっと大胆なことを考えており、まだ解けずに、今日も一日過た。
・・・・・ポパーの本を読みなおしているが、私の問題を解決してくれない。
« 哲学の復権 | トップページ | 知的読者に感謝したい »
「11)ポパーとカントの哲学」カテゴリの記事
- ヴィットゲンシュタインとカント(2020.12.01)
- カントとフランクフルト学派(2020.10.08)
- 目的合理性と価値合理性の再説明:ヴェーバー、カント(2017.09.20)
- 論理実証主義と科学の限界(2017.03.21)
- ポパーとクーンの科学観(2017.03.19)
コメント