学者がんばれ!
経営学という分野ほど、学者と非学者の境界があいまいな分野はない。とくに、学者とコンサルとの境界はあいまいだ。境界があいまいどころか、最近ではコンサルの方が何か優位な立場にあるような状況だ。学者として残念だ。
もし若い経営学者がこのブログを読んでくれているならば、少し年をとった学者として若い経営学者に頑張ってほしいと思う。
私は、言葉の定義の問題が比較的つまらない問題であることをK.R.ポパーの科学哲学を学んだのでよく知っている。もととも真なる定義などないのだ。
「戦略」とは何か。「コーポレート・ガバナンス」とは何か。「CSR」とは何か。
いずれも真なる定義などないのだ。定義は約束である。必要とあれば、定義をし直してもいいのだ。「エントロピー」という言葉、「エネルギー」という言葉もすべて約束だ。これが、唯名論的立場だ。したがって、言語の背後に本質があると考える本質主義者のように、真なる定義を求めて、質問していっても無限後退するだけだ。
しかし、それにもかかわらず、最近のコンサルの人たちの用語の使い方には疑問がある。それは、議論を混乱させるし、人間の理解を妨げるものだ。
「内部コントロール」という言葉で言われてきたことを、あえて「コーポレート・ガバナンス」という必要はないのだ。「経営計画」といわれてきたことを、あえて「経営戦略」という必要はないのだ。
「コーポレート・ガバナンス」は「内部コントロール」と同じではないし、「経営計画」は「経営戦略」とも同じではない。また、エージェンシー理論は株主主権論の正当化理論でもない。
こういった理由で、私は、最近、かつての論理実証主義者のように言語、用語、定義に異常に関心をもっている。かつて、論理実証主義者が、言語分析し、有意味な言明と無意味な言明に分け、無意味な言明をこの世から排除しようとしたように、有意味な経営学の本と無意味な経営学に分析してみたいものだ。
ほとんどの私の本が無意味な方に分類されても・・・
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