本の辞書か電子辞書か
娘が中学校に入学したとき、わが家でひとつの論争が起こった。
「英語の辞書は本か、電子辞書か」
娘の中学の英語の先生と家内は、英語の辞書は本でなければならないと主張した。人間は苦労して辞書をくって単語を覚えるものだというのが、その理由らしい。
私の意見は逆だ。電子辞書はとても便利だ。時間の短縮になる。手間が省けるし、すぐに状況に対応できる。さらに、苦労しても単語を暗記する保証は、まったくなく、苦労だけが残るかもしれない。
みなさんは本の辞書派だろうか、あるいは電子辞書派だろうか。
私は性格が悪いので、娘の中学校の英語の先生は、昔、そうして苦労して英語を覚えたので、変化しようとすると、大きな埋没コストが発生するのではないか?とか、これまでそのように生徒に指示してきたので、いまさら電子辞書に変化できないのではないか?とか、取引コスト理論的に疑ってしまうのだ。
つまり、「不条理」に陥っているのではないかと思うのだが・・・・・
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菊澤先生、どうもご無沙汰しております。 さて、辞書は紙派か電子辞書か?の問題ですが、私は、どっちも使っております。電子辞書は持ち運びが便利で、検索スピードが速くていいのですが、改訂に追いついていないという問題(例えば、クラウンの独和辞典はこの春に第4版が出ておりますが、市販されている電子辞書ではまだ第3版のままです)や、英語以外の外国語の辞書はなかなか充実していない、という問題もあります。勉強している外国語は英語だけならば電子辞書だけでも特に問題はないと思いますが、長い目で他の外国語(特に大学の第2外国語のうち、電子辞書に搭載されていないタイプの言語)を勉強するときのことを考えますと、紙の辞書使うことにも慣れていたほうがよろしいかと思います。私は紙の辞書を使うときは指サックをはめて検索スピードの向上を図っております。
そんなわけで、塾で英語を教えるときは、電子辞書と紙の辞書の両方を使いこなすよう生徒に指示をしております。
投稿: ささき。 | 2008年5月16日 (金) 午後 11時32分
菊澤先生
辞書はやはり目的によってメリットが変わるのではと思います。
私の目的は明確に大学受験でした。当時紙の辞書しかありませんでしたが、今だったら電子辞書を使うと思います。
やはり早いのでその分英語の英語の文章を読むスピードがあがります。作業が減るからです。
しかし、当時もう一つの紙のメリットを重視していましたが、それは無くなってしまいます。もう一つの紙の辞書のメリットとは、必ず赤鉛筆で線を引くことで、自分が辞書を活用したログが視覚的に見えるということです。
これは、なかなか馬鹿にできないものでして、試験勉強はいくらやっても不安は残るものですが、最後は模試の点数よりも、この赤鉛筆で真っ赤になった辞書や、自分が使いつぶしてきたボールペンの数など、目に見えるログが自信として勇気づけてくれました。
また、赤鉛筆の線が増えていくことや、ボールペンが増えていくことが、やる気がでない時の日々のモチベーションへとつながっていました。
そのようにして、自分の学習量とモチベーションを見える化していたのだなと感じています。
やる気がでない時は、目的を赤鉛筆の線を増やすことにすり替えていたわけですが、勉強の継続には役立ったと思います。
しかし、見える化する対象を赤鉛筆の線ではなく、読んだ英文の数など目標を変えることで、電子辞書でもそのモチベーションを高めるメリットは置き換えることができると思います。
やはり、読んだ量を増やすのであれば、携帯性とスピードを重視して電子辞書にすると思います。
自分なりのモチベーションの維持の方法も、ぜひ学校での勉強や授業を通じて考える機会としていただいたら、お嬢様にとって長い人生での大きな良い経験とできるのではと・・僭越ながらながらアドバイスさせて頂きました。
投稿: Sato | 2008年5月17日 (土) 午後 12時46分
菊澤です。
佐々木さん SATOさん、コメントありがとうございます。驚きました。いろんな意見があるのですね。大変、興味深く思いました。
この分野は、いま売れっ子の勝間さんのとくいな分野かもしれませんね。
しかし、この話題と関連して、将来、新聞はどうなるのかなあと思ってしまいました。
投稿: 菊澤 | 2008年5月17日 (土) 午後 01時16分
書いていて気づいたのですが、自分の払った取引コストを見て、私はモチベーションを上げていたのかも知れませんね。
最後に見えるものを信じる。という意味では、会社も同じですね。
投稿: Sato | 2008年5月17日 (土) 午後 01時19分