2008年の私の予定
今日は、うれしい報告を受けた。
かつて、私が中央大学専門職大学院(アカウンティングスクール:CGSAという)で教えていたときのゼミの学生から博士課程に合格したとの連絡を受けた。
ご存じの通り、私の専門は経営学なので、中大アカスクではマイナーな存在であった。だから、専門職大学院であることを無視して、ある意味で気楽に「菊澤ゼミは徹底的にアカデミックでいきます」と宣言していた。そして、毎週土曜日の夜、ゼミで、みんなで遅くまでまったく無意味に思える議論をたくさんした。
ところが、こんなマイナーな菊澤ゼミに大学院の講義ぐらいでは満足できない力の有り余ったある意味で生意気な社会人が集まってきた。
ゼミは少人数で実質3年間しか行っていなかったが、そこから慶応義塾大学博士課程2名、中央大学博士課程2名、一橋大学博士1名、青山学院博士課程1名が誕生した。彼らが、今後、どうなるのかわからないが、教師としてはなぜかとてもうれしいものだ。
ということで、私も改めて頑張らねばという気持ちなった。2008年も学内でも学外でも忙しくなりそうだが、頑張っていきたい。
ー報告・講演関係ー
●3月13日木曜日
法政大学比較経済研究所主催のシンポジウムで招待報告
久しぶりにコーポレート・ガバナンスについて報告します。詳しくは以下をみてください。
http://www.hosei.ac.jp/news/shosai/news_620.html
●3月21日
雑誌「リスクマネジメント TODAY」のインタヴュー
●3月27日から29日
京都大学寄付講座とPHP主催の「経営哲学」に関する座会に出席
●5月10日青山学院大学で フード学会招待報告
ここでもコーポレート・ガバナンスについて報告します。特に、偽装表示について分析します。
ー論文と著作関係ー
●慶応大学の雑誌『三色旗』(5月号)に、ラジオ日経での放送をまとめた原稿「ダメな上司の合理性ー組織の経済学入門」を 先日提出済み
(これを読んだ人は、拙著扶桑社新書『なぜ上司とはかくも理不尽なものなのか』と光文社新書『命令違反が組織を伸ばす』を購入してくれるといいのですが・・・)
●樫原先生の退官記念論文集の論文
●共同研究の論文
●戦略論の本の出版
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質問です。
通貨はなぜいろいろな種類があるのですか?
この疑問が浮かんでいろいろ考えましたが、諸国民が納得しないからとか各国物価が違うからだとか自分なりに考えましたが、しっくりとした答えが出ません。そこで菊澤研宗先生にご質問させていただきました。
通貨は1種類ではいけないのでしょうか?
投稿: 樋ノ口 陽介 | 2008年3月15日 (土) 午後 10時00分
樋ノ口様
菊澤です。
ご質問、ありがとうござます。
大変、難しい問題ですね。この問題は、経営学者の私よりも、経済学者に聞いた方がいい問題ですね。
それでも、あえてというのであれば、どんな説明も完全なものはなく、仮説的だという前提で理解してください。
私の専門は新制度派経済学なので、その立場(取引コスト理論)に立って解釈しようとします。
厳密に分析すると、1本の論文となりそうですので、簡単に大雑把に「考えるヒント」という形でお答します。
(考え方1)
まずなぜ貨幣は1種類ではいけないのか、という問題は深い問題で、なぜ世界は1か国ではいけないのか、とも関係しています。
もしEUのように統一化されれば、ユーロのように時間をかけて統一貨幣への道もみえてきます。
しかし、国と国が交渉・取引を通して統一化するには、取引コストが高い場合があります。
この場合、たとえ現状が非効率的でも、国や貨幣がバラバラの状態の方がより合理的という不条理な状況にとどまることになります。
(考え方2)
もともと貨幣は人と人との取引をめぐって発生する取引コストを節約する制度だと考えることができます。
したがって、取引状況によって制度も変化し、それゆえ電子マネーという制度も出現しています。
ここで、各国が同じような取引状況で同じような取引コストが発生する場合には、その同じ取引コストを節約する制度として統一貨幣制度(電子マネー)へと発展するかもしれません。
しかし、取引状況が異なり、取引コストの重さ・軽さ・質が異なると、その節約制度としての貨幣制度も異なる可能性があるということですね。
その他、いろんな説明が可能だ思いますが、完全なものはないと思います。どんな理論を用いて説明するかが重要だと思います。新古典派経済学による説明も可能だと思いますし、ゲーム論による説明も可能ですし、社会学の理論や文化人類学の説明も可能だと思います。
ということで、私の場合には、上記のように取引コスト理論的に仮説的に理解しようとします。
参考にならないかもしません。私の力不足です。
投稿: 菊澤 | 2008年3月16日 (日) 午前 09時51分