取引「コスト」と「費用」の違い NO6
ウィリアムソンによって展開された「Transaction Cost」 の訳として、「取引コスト」と「取引費用」の二つの訳がある。
私は、意識的に「取引コスト」という言葉を用いている。意識的にというのは、経済学的な「コスト」と会計学上の「費用」と区別するためだ。つまり、「経済学的なコスト」の場合、「コスト」という言葉を使い、「会計的なコスト」の場合、「費用」という言葉を使うことにしている。
その違いは何か。
会計学では、ある製品を生産するのに100万円の費用がかかり、それを無駄なく販売したら150万円の収益が発生した。この場合、会計的に、費用=100万円、収益=150万円、利益=50万円となる。
しかし、経済学的には、この費用100万円は「投資」であって、必ずしも「コスト=ムダ」ではない。もし100万円使って収益がゼロなら、100万円がムダになったので、それは経済学的な意味で「コスト(ムダ)」となる。さらに、本来最大150万円の収益が得られるはずだったのに得られなかったという点で、150万円の機会コストも発生しているのだ。
「取引コスト」も経済学的なコストの一つであって、会計学的な「費用」ではなはい。本来、取引上、コストはゼロなのに、ゼロではなく、取引コストが発生する。それは投資ではなく、何も生みださないムダなコストなのだ。それは会計上「費用」として処理されない経済学的なコストなのだ。
以上のような意味で、私は「取引コスト」という用語を使っている。だから、「取引費用」という言葉を使っている人をみると、この人たちは経済学と会計学の違いを知っているのかな?と訝しく思うことがある。
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すみません、いつの間に「NO6」なんでしょうか?
投稿: fuji | 2008年1月19日 (土) 午前 12時49分