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2007年11月 4日 (日)

ゼミについての私の思いつき

 今回、菊澤ゼミの説明会、オープンゼミに来てくれた学生、ありがとう。

 2年生は、ゼミに対して、いろんな思いがあると思う。いろんな野望を抱いているかもしれない。

 ゼミに入れば、就職がしやすいかもしれない。ゼミには入れば、役に立つ知識が得られるかもしれない。ゼミにはいれば、可愛い子がいるかもしれない。

 しかし、そんな思いで、ゼミに入ってくると、2年間はとても長くて飽きてしまうのだ。ゼミを就職の手段と考えている人は、就職が決まる4年生の5月か6月以降はゼミはじゃまになるのだ。可愛い子がいるかもしれないと思って入ってくる人は、入ったとたんに女子学生がいないことことがわかると、ゼミは苦痛になるのだ。

 ゼミというのは、実は人生でもっとも無駄なことをするところなのだ。学問をすることは世の中で最も無駄なことなのだ。

科学とは何か。人間というのは何か。企業の本質は何か。

取引コストという見えないコストをなぜ人間は把握するのか。なぜ人間は不条理に陥るのか。なぜ人間は不正を犯すのか。

「発明」と「発見」はどこが違うのか。「彼女は美しいということ」事実問題と「彼女が好きだ」という価値問題は異なる問題なのか。ヴェーバーの「価値自由原理」とは何か。

なぜ時価主義がよくて取得原価主義がだめなのか。動態論と静態論どこが違うのか。井尻の三式簿記など可能なのか。マテシッチの行列簿記はどこへ行った。

あるビジネスが成功するかどうかは、企業家がどれだけガンバッテも最後は社会が決定することになるのに、なぜ企業家はビジネスを展開し続けるのか。ヴェーバーのいう「エートス」とは何か。

モーツアルトの音楽とワークナーの音楽は、どこが違うのか。カントはなぜ人間の自由意志にこだわったのか。へーゲルはなぜ神の出現を弁証法で説明したのか。人間の自由と組織は両立するのか。

なぜポパーは科学的発見の論理はないといったのか。なぜファイアーベントは科学する場合、「何でもかまわないanything goes」といっているのか。帰納法と演繹法は非対称的である、その意味は帰納法は存在しないから、というポパーの意味はどういうことか。

真理は確定できないという言語分析の帰結をどう理解するのか。ハイゼンベルグの不確定性原理をどのように理解するのか。ヴィトゲンシュタインは哲学を抹殺しようとしたのか。

なぜ小林秀雄は、トルストイの文学を理解するのに、彼の実生活を知る必要はないといったのか。なぜドストエスキーの文学を理解するのに、彼の実生活を知る必要は無いといったのか。

 こんな答えのないことを、ときには寝ないで議論しあう。友人のアパートで議論しあう。合宿でも、徹夜でとことん話し合う。喫茶店でも、他の客の存在を無視して、大議論を展開する。泣きながら議論する。なんて素晴らしきムダなのか。そんなムダな時間を真剣に共有できるゼミ員と会えればいいのだ。

 私はずるい人間が一番きらいだ。そういった人間は、目先の利益や名誉とかをやたら追うものだ。その姿は醜い。そんな人は、菊澤ゼミには縁が無いので、ご遠慮願いたい。そんな人は、直ぐにゼミに飽きてしまうだろう。社会に出ても直ぐに見抜かれる浅はかな人間だ。

 ゼミにはいろんな面白い人間が集まってくる。そして、なんの利害も打算もなく話し合える仲間と会えるかもしれない。見たことも無い頭の良いやつがいるかもしれない。そんな人間とあえるのは、ほかでもなく慶応義塾大学の菊澤ゼミなのだ。

 私と人生で最も無駄な時間を過ごしてみたい人は、ぜひ菊澤ゼミに来てほしいと思う。大いなるムダに乾杯!!菊澤ゼミに乾杯!!

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