経営学の基本命題1:経営学入門(2)
経営学を学問として語るとき、最も問題となるのは、経済学との関係だ。とくに、ミクロ経済学との関係だ。今日、ミクロ経済学(新古典派経済学)も経営学もかなり発展したので、その境界を示すのは難しくなっている。
しかし、その違いを語ることが、経営学の存在意義を示すことになるのだ。方法論的な違いは、均衡理論か非均衡理論かという点にあり、この点については前に説明したので、参考にしてほしい。今回は、研究対象の違いついて説明してみたい。この分野は「企業論」と呼ばれる分野の一つだ。
もしミクロ経済学が新古典派経済学であるならば、ミクロ経済学理論が対象としている企業は中小企業か独裁的な同族経営企業であろう。それは、お金を出している人と経営している人と管理している人が同じ企業である。
お金を出している人(資本家)=経営者=管理者
しかも、経済学では、人間は完全に合理的なので、企業はたくさんの人々からなっているのだが、資本家=経営者=管理者が、従業員を完全にコントロールでき、自分の意図通りに従業員を働かせることができる。
したがって、企業行動は資本家かつ経営者かつ管理者の行動と同じであり、その目的は資本家の利益最大化としてもいいことになるのだ。
企業行動⇒資本家(経営者(管理者))行動⇒資本家の利益最大化行動
こうして、ミクロ経済学では、企業行動を高校でならう数学の最大化問題に置き換えることができるのだ。ノベール経済学賞を受賞したサミュエルソンが、かつて経済学のすべての問題は最大化・最小化の問題に還元できると豪語したことがあるが、確かに経済学は美しい微分積分の世界として20世紀末まで発展してきたのである。
数学の世界で一流になれない学者が経済学分野に流れ込み、経済学のエリートたちは二流の数学者をひっしに目指して、数学を異常なくらい勉強したのだ。
しかし、現実の企業はこのような経済学の発展とは異なり、必ずしも美しい世界ではなかった。そのことに、早い時期に気づいたのは、米国のバーリ=ミーンズだ。
彼らは、現実の企業を支配しているのは資本家ではなく、お金を出資していない専門経営者だといいだしたのだ。つまり、経営者は資本家(株主)の忠実な代理人ではないと言いだしたのだ。そして、彼らのもっと強烈なメッセイジはこうだ。経営者は利益を最大化していないし、できない、といい出したのだ。
(命題1)所有(株主・資本家)と支配(経営者)の分離
(命題2)企業の目的は非利益最大化
この二つの命題が経営学に存在意義を与えているのだ。
そして、ミクロ経済学の研究対象とは異なるかもしれない経営学の研究対象なのだ。
疲れたので・・・・・・休憩
























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