もっと学生を信頼しないと・・・
お盆で、帰省し、親戚で温泉にいった。そのとき、従姉妹たちと会い、私をブログの内容について厳しい意見をもらった。
「ブログを読むと、おじさんが学生を全く信頼していないように思えて、ショックを受けた」とか。「ふだん会っているおじさんと学生に教えているおじさんは違うのだなあと思った」とか。いろいろ言われた。
このような従姉妹たちの感想に、実は私の方がショックを受けた。
具体的に、私のブログのどこの部分をいっているのか分からないが、おそらく「試験でわからなければ白紙でだせ!!」と騒いでいたところかもしれない。確かに、これまで高校の先生に「わからなくても何か書け。白紙だけは良くない。」と教えられてきた学生にとっては、厳しい発言かもしれない。
しかし、何百人の学生の答案を採点するこちら側の心境も理解してほしい。実は、私はこれまで親切に学生に対して「白紙はやめた方がいい。できるだけ書いた方が印象がいい」といってきたのだ。しかし、今年から、あまりにも学生が多いので、方針を転換し、合理性を追求したのだ。
また、決して学生を信頼していないわけでもない。もちろん、これまで良い学生にも多く会ってきたのだ。
例えば、日大の学生は自分たちをあまりに卑下しすぎだと思う。私のこれまでの経験では、かなり優秀な学生がいる。とくに、上位の学生はなぜ日大にいるのかわからないほど優秀だ。非常に素晴らしい答案を書いてくるのだ。
立教大学は、すべての試験が教科書・参考書・ノート・コピーすべて持ち込み不可だ。それが公式なルールとなっている。そのため、ものすごい暗記能力を発揮する学生が多い。よくぞここまで私の講義と教科書を理解し、かつ暗記したなあという学生が非常に多い。学生に感謝したい気持ちだ。
中央大学の試験は、逆に持ち込み可だ。試験監督をしていると、かならず教科書にものすごい数の付箋紙を貼り付けて、試験にのぞんでいる学生に出会う。これが、中央大学の学生の特徴だ。このような学生を見ると、教科書を書いた本人である私は非常に嬉しく思うともに、学生に感謝したい気持ちになるものだ。
さて、後期は慶応大学の学生と初対面だ。どうだろうか。あまり、期待しないようにしよう。
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コメント
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ご無沙汰しております。N大は、私の母校なのでその学生の特徴もよく分かるのですが、上と下の差がデカイ(つまりスパンが広い)、というのはある種の校風というかなんと言うかの特徴なんだと思います。大学の規模のでかさがそうさせているのかもしれません。いってみれば、公立の中学校のクラスをそのまま大学にしたような感じでしょうか?高校だと(一昔前の言葉で言う)偏差値によって生徒の水準が一定になっていますが、中学校だと偏差値もピンキリです。
もう一つの背景としては、特待生制度があることがある種の学生に対してモチベーションを高揚させているのかもしれません。良きにつけ、悪きにつけ、テストの成績で上位の人間は、奨学金という名で授業料返還(全額、またはその一部分)というお小遣いが出ます。そのために頑張る学生もいたようです。そのためにそのためにビジネススクールではないのですが、授業選びに慎重になっているようです。私が学生をしていた頃の敬虔でいれば、いわゆる楽勝科目と称されている授業は確かに単位をとること自体は楽勝でしたが成績の付け方が全くもっていい加減で(何故ならば、ある科目で「全く同様」の回答をしたにも拘らず、友人がAで、私がBだった頃がありました。)、Aを取ることはできませんでした。特待生を目指す学生は、そこら辺のことを戦略的に考えているようです。
投稿: ささき。 | 2006年8月20日 (日) 午後 11時58分
佐々木さんへ
菊澤です。
コメントありがとうございます。
N大の別の側面が見えて、おもしろいですね。
投稿: 菊澤 | 2006年8月21日 (月) 午前 10時13分