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2006年7月

2006年7月31日 (月)

若い研究者へ

 昨日で前期に予定されていた学会報告はすべて終了した。

 今年は、すでに研究報告を3回行った。第一回目は、エージェンシー理論によってコーポレート・ガバナンスを分析するもの(学会全体を対象とする統一論題での発表)、第二回目は取引コスト理論と行動経済学を統合する「行動取引コストモデル」をリーダーの行動に応用したもの(慶応学内で)、そして三回目はエージェンシー理論と行動経済学を統合した「行動エージェンシー理論」をコーポレート・ガバナンスに応用したもの(学会全体を対象とする統一論題での発表)であった。

 いずれも最新の研究分野だったと自負している。とくに、後の2回はまさに、最先端の研究であり、特に若い研究者の関心は高かったように思う。

 私も年をとってしまって、学会などは形式とか、お祭りだとか、思っていたが、今回の発表を通して、そうでもないような気がしてきた。やはり、こちらが最新の研究を発表すれば、とくに若い研究者は反応してくれるような気がした。学会が盛り上がるかどうかは、やはり発表内容にあるいは発表者にかかっているのかもしれない。

 最近は、われわれ経営学者はおもしろい研究をしないので、学会で実務家の偉い社長を呼んで発表してもらう風潮があるが、この路線は自分たちの首を絞めることになるように思う。われわれ学者は、実務家とは異なるのだという気概が必要だと思う。

 特に、私は傲慢なので、社会人大学院で社会人に教えてみてやはりわわれわの方が上だなと思った。社会人の知識はバラバラだし、もっている知識も泥臭いのだ。知識の体系性など理解していないし、言語に階層性(対象言語とメタ言語、日常言語と理論言語)があることもわかっていない。知識にも、美しさや品があるのだ。

 この実務家(社会人大学院生)の知識とアカデミックな知識を融合して出来上がったのが、9月初旬に出版される予定の以下の本なので、ぜひ買って読んでいただきたい。

 『<業界分析>組織の経済学ー新制度派経済学の応用』中央経済社 2800円ぐらい

 私も、実務家に負けないように、このまま新制度派経済学と行動経済学の統合研究を進めて行くので、どうか若い研究者の方々も、実務家に負けないように、頑張ってアカデミックな研究を続けてほしいと祈るだけである。

2006年7月20日 (木)

試験で驚いたこと

 いま、どの大学も前期試験の最中である。

大学の試験といえば、いくつかおもしろい経験があるので、それを紹介してみたい。

エピソード1

 大学では、自分の担当している科目の試験の監督を行うのが常識である。私の試験は、どれも論述式で、暗記ものはない。このことを事前に講義で話すことがほとんどだ。そして、条件は指定の教科書・参考書と自筆のノート持込可にしている。言い方を換えれば、コピーは不可だ。

 こうした条件のもと、試験中に恐ろしく真面目な学生にであったことがある。試験監督として見回りをしていると、ある学生がレポートのような紙の束をもっているのだ。聞いてみると、自分で予想問題を設定し、それに対して自分で回答集を作ったそうだ。そして、試験本番で、それを写すという作戦らしい。

私はその努力と真面目さに感動した。こんな学生には、ぜひAを与えたいと思った。

 しかし、残念なことが起った。何と、彼は時間切れで、3問中2問しか自分の作った回答案をテスト用紙に写しきれなかったのだ。満点どころか、はじめから3分の2だから、最高点が60点になり、落ちそうな状態だ。作戦ミス。何て、ダサいやつだ。ガックリ。

しかし、神は彼を見放さず、彼はいまは偉くなっている。よかった。よかった。

エピソード2

 試験中に、ときどきトイレに行きたいという学生がおり、手をあげることがある。そんなときは、試験監督がトイレまでついて行くものだ。しかし、私がであった学生は、試験終了5分前に手をあげて、トイレに行きたいという学生だった。答案用紙をみると、まだ書き残しがある。

 私「君、これでトイレにいったら、終わるよ」

 学生「ハイ、行かせてください」

といって、トイレにいった。

予想通り、彼がトイレからかえってきたとき、試験は終了していた。そして、彼は未完のまま答案用紙を提出せざるをえなかった。その結果は分からない。

エピソード3

 ときどき、試験が終わった後、すぐに私を捕まえて、レポートでもなんでもやりますから、もう一度チャンスをくださいと、体育会系の学生が頼んでくることがよくある。私はそれを無視することにしている。

 しかし、そのような学生で一人気になる学生がいたので、採点中に、気にしながら採点した。しかし、意外に点は良かった。良かったなあとおもいつつ、今度は成績表に結果を付けようとしたら、その学生の名前がない。

 彼は別の先生の講義と間違えてテストを受けていたのだ。多分、菊●先生と。なんて疲れるやつだ。後は知らない。もう二度と学生の意見は聞かないことにする!!!

2006年7月19日 (水)

題名変更『<業界分析>組織の経済学』(中央経済社)

新著の題名が「戦略と組織の経済分析」から、以下のように変更になりました。

★★★★65730_1★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
 『<業界分析> 組織の経済学』(中央経済社)
 ―新制度派経済学の応用―

  慶応義塾大学教授  編著者 菊澤研宗

以下で購入可能です。

紀伊国屋http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-FAUTH=%8B%65%E0%56%8C%A4%8F%40++++++++++++++++++++++++++++++++&HITCNT=020&RECNO=1

E本

http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/List?cnt=2

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 

2006年9月に出版!!!!!

これは私がはじめて編著した本です。

社会人学生とのコラボレイト作品です。
                             

常に面白い内容となっているので、ぜひ買って読んでみてください。

内容もおもしろいと思いますが、新制度派経済学をどのように現実に応用するのか、

論文の書き方も参考になると思います。

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序 章 本書の目的、理論、構成

Ⅰ部 オールド・エコノミーをめぐる新制度派経済分析                                      

Ⅱ部 ニュー・エコノミーをめぐる新制度派経済分析                                                                                    

Ⅲ部 新しい動きをめぐる新制度派経済分析

結章

2006年7月13日 (木)

神様からのメッセイジ

 ここ数年、人と会うと、必ず「僕は、学問よりも売れる本を書くことに関心がある」ということにしていた。確かに、そうなのだ。このブログでも、経営学が金儲け学問で何が悪いと書いたこともある。

 もちろん、この言葉の裏には、アイロニカルな意味がこめられている。しかし、人間は不思議なもので、こんなことをいい続けていると、いつの間にか本当に堕落してしまうものだ。次第に、手抜き仕事も多くなっていたかもしれない。

 ところが、奇妙なことが起るものだ。これは神様からのメッセイジだ。

ある日、私に珍しい仕事の依頼があった。それは、昔懐かしいドイツ経営学者、ニックリッシュ、シュマーレンバッハ、グーテンベルクについて書いてほしいという依頼であった。

 はじめはこの仕事に対して、乗り気ではなかった。私はもう何年も前にドイツ経営学は棄てたのだ。

 しかし、この仕事に取りかって、私の心の奥深くから何か熱いものが蘇ってきた。金儲け学問としての経営学にうつつをぬかしていた私は、「金儲け学問」という経済学者からの批判と絶えず戦っていたドイツ経営学者の真摯な態度に「はっと」した。

これは神様から私へのメッセイジだと思った。

E.シュSchmalマーレンバッハより

経営学がたんに特定の職業的地位の利潤追求だけを取り扱うならば、研究対象は利潤追求ではなく、職業であることが明らかになる。問題は、実はいかにして最も多く儲けるかではなく、いかにしたら最も経済的に財を製造しうるか、いかにしたら最も合目的に需要供給を調和させうるかということだと思われる。この大きな相異は、二つの技術論すなわち医師の技術論と製造業者の技術論を並べてみれば極めて明白となる。私経済的動因は両者にとっては共に収入への努力である。それを以て問題を論じるとすれば、おそらく両者は同じ技術論を持つことになるだろう。しかし、いずれの技術論もこの問題を顧慮しない。医師の技術論はいかにして人体は健康を維持し、または回復するかを示し、製造業者の技術論はいかにして経済体は健康を維持し、または回復するかを示すことにある。

H.ニックリッシュより

「私どもが教育と研究において注目するのは、企業者ではなくて企業であります。そして、収益性概念を通じて、業務利益の概念がわれわれにとって独自の意義を有することになります。しかし、このことを確認した後に直ちに指摘しておかなければならないことがあります。それは利益(Gewinn)と利潤(Profit)は私どもにとっては同一のものではなく、利益は経済法則と本質的な関係にあるものですが、利潤はそれが欠如しているということであります。利益は、企業で働く諸力の真の給付と常に等しいものですが、しかし利潤はーペテン、詐欺や他の同様の手段によってー直接作り出されるものであります。ここでさらに強調しておかなければならないのは、私たちにとって第1に重要なのは企業者資本の収益性ではないということであります。企業者の営利追求は、ここで考えられている概念と直接関係ありません。間接的には、もちろんあります。しかし、それは職員や労働者ならびに他企業(仕入先、販売先、競争相手)の利害も含めたものが関係するのです。経営科学・私経済学においては、全企業収益性という概念が支配しているのであります。資本について論じる場合には、総資本収益性の概念が、労働について論じる場合には、企業者の労働だけではなく、経営内で給付される総労働の収益性の概念が支配しているのであります。」

2006年7月 6日 (木)

試験前になると出現するモンスターたち

 大学では、試験が近づくと、不思議な人たちがモンスターのように出現する。芥川龍之介の小説「杜子春」を思い出す。仙人になりたい杜子春に襲いかかるモンスターのようだ。(杜子春を知らない人はhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/170_15144.htmlを見よ)

以下、学生と私の会話集

ケース(1)

学生「試験の範囲はどこですか?」

私「試験の範囲?、試験の範囲?、範囲って何???、もちろん範囲は講義した全部!」

私の心の声(高校か中学の中間試験でもあるまいし、範囲なんかあるわけない!!)

ケース(2)

学生「試験の答案用紙の最後に、体育会***部と書いてもいいでしょうか?」

私「書いてもいいけど、それで?」

私の心の声(逆に落としたくなるぞ!!)

ケース(3)

学生「中間試験を受けてないのですが、最終試験をうけてもいいですか?」

私「中間試験なんてしたことないが・・・・・」

私の心の声(どこの誰の授業のことをいっているのか?)

ケース(4)

学生「教科書は役に立つのでしょうか?」

私「それは自分で買ってみて判断してください」

私の心の声(試験で持ち込み可だから、役に立つのにきまっているぞ!!!)

ケース(5)

学生「問題の回答とは違ったことを書いたらダメですか?」

私「ダメ」

私の心の声(問題と違うことを書くくらいなら、書くな!読む時間の無駄だ。非効率だ!)

ケース(6)

学生「就職活動でほとんど出席できなかったのですが・・・・、試験は受かるでしょうか」

私「就職は決まった?」

学生「まだです」

私「そう」

私の心の声(じゃ、いつ授業にでるんだ。もう授業は終わるぞ。試験の日も、就職活動していろ!!)

書いているうちに気がついたのだが、本当は学生の方が杜子春で、私の方がモンスターかもしれない。

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