不条理のケース・スタディ エンロン NO3
以下の小論は、「効率重視経営の限界―効率性をめぐるふたつの不条理―」「TRI-VIEW」東急総合研究所 2002年6月号 Vol.17-No.1 9-14頁の草稿文です。
エンロンの不条理
―効率性をめぐる二つの不条理―
中央大学アカウンティングスクール会計専門大学院教授 菊澤研宗 1.はじめに
長く続く不況の中、今日、日本では効率重視経営が叫ばれている。それが、日本企業を復活させる経営とみなされているからである。確かに、そのような経営は日本企業を再生させる可能性をもつかもしれない。しかし、効率重視経営を進めて行くと、経営者はいくつかの不条理な事態に導かれる可能性がある。最近、経営学や経済学分野で注目されている新しいアプローチにもとづいて、効率重視経営をめぐる限界を明らかにしてみたい。
2.効率重視経営
さて、効率重視経営、とくに資本効率重視経営とは、資本を効率的に運用することによって企業を加速度的に成長させる経営のことである。この経営に成功すれば、以下のような良好なサイクルが生まれる。(1)まず、高収益の事業へと資本を効率的に集中し、低収益の事業から資本を引き上げる。(2)これによって、企業の利益は上昇する。(3)企業の利益が高まると、投資家の投資インセンティブが高まる。(4)こうして、企業にとって有利な資金調達状況が作りだされ、(1’)再び企業は新しい高収益の事業へと資本を効率的に集中する。このサイクルを通して、企業は加速度的に成長することができるのである。
こうした効率重視経営を実践するためには、義理や感情に流されて特定の事業に固執してはならない。ある事業が低収益であるにもかかわらず、伝統的という理由で継続することは、この経営では許されない。何よりも、低収益の事業は徹底的に廃止され、資本は高収益の事業に集中されることになる。
また、効率重視経営では、リストラを従業員重視に反するものとして躊躇することは許されない。この経営では、人員削減が避けられない場合、感情に流されることなく、すみやかにレイオフが実行されることになる。従業員も、明確な方針のもとに準備された早期退職等のベネフィットを自ら選択する必要にせまられることになる。
さらに、効率重視経営では、投資家にアピールするために、投資決定、利益計画、業績評価、そして報酬制度等について、わかりやすい指標を使う必要がある。従来、日本企業が重視してきた売上高や経常利益等だけでは、投資家だけでなく経営者自身も錯覚する恐れがある。それゆえ、効率重視経営では、経営指標として株主資本利益率(ROE)、総資産利益率(ROA)、割引キャシュフロー(DCF)、経済的付加価値(EVA)等を組み合わせる必要にせまられることになる。
以上のような経営が、今日、注目されている効率重視経営の概略である。このような経営が標榜されているのは、米国を中心に展開されてきた市場経済主義が今後世界の共通のルールになるといった認識にもとづいている。効率重視経営を展開しないと、グローバルな市場経済で企業は生き延びることができないのである。しかし、このような効率重視経営を進めて行くと、以下のように経営者はいくつかの不条理な事態に出くわすことになる。
3.効率性をめぐる第一の不条理―資本効率性と生産効率性の不一致―
さて、経済学では、これまで人間は完全合理的であるという「完全合理性」の仮定に立って理想的な市場経済モデルを作り上げ、このモデルにもとづいて現実の非効率性を分析してきた。しかし、最近では、より現実的に人間の情報収集能力は限定されており、限られた情報の中でしか人間は合理的に行動できないという「限定合理性」の仮定に立って、現実の市場経済の分析が進められている。
この限定合理性アプローチによると、人間はすきあらば相手の不備に付け込んで自己利害を追求するものとみなされる。そのため、市場取引を行う場合、互いにだまされないように駆け引きが起こり、無駄な取引コストが発生するものとされる。それゆえ、市場取引は常にスムーズに行われるわけではないことが明らかにされてきた。
確かに、ごく一般的な製品を企業間で取引する場合、それほど多く駆け引きは起こらないかもしれない。というのも、多くの企業がそのような製品を簡単に生産できるので、駆け引きを行う企業は取引から排除されるからである。それゆえ、このような状況では、企業はより安く製品を供給してくれる企業を自由に探索でき、そのような企業が見つかれば、資本を効率的に利用するために、これまでの企業との取引を止めて、新しい企業との取引に資本を集中させることができるだろう。しかも、より安い値段で製品を調達して生産すれば、生産効率も高まることになる。それゆえ、ここでは効率的に資本を利用することと効率的に生産することは矛盾しないのである。
しかし、非常に特殊な製品を取引する場合、取引相手を見いだすことは難しい。たとえ見いだしたとしても、相互に駆け引きが起こりやすく、最悪の場合、取引自体が成立しない場合もある。このような事態を避けるためには、市場取引よりもはじめから特定の取引相手と組織的に取引していた方がはるかに効率的に生産できる。しかも、このような取引関係のもとでは、この関係に固有な特殊な機械設備、特殊な技術、特殊な知識が相互に形成されて行くので、いっそう生産効率は高められることになる。
こうした状況で、もし資本を効率的に利用するために、その時々に低収益の事業から撤退し、工場を閉鎖し、従業員を解雇し、高収益の事業へと資本を集中すれば、このような特殊な資産は容易に破棄されることになる。それゆえ、このような経営のもとでは従業員は生産効率を高めるために特殊な設備、特殊な技術、特殊な知識を形成しようといったインセンティブをはじめからもたない。そのため、企業にとって本当に必要な人材は育成されず、たとえ育成されたとしても、そのような人材は長く企業には留まらないだろう。
このように、限定合理的な人間世界では、資本効率の追求と生産効率の追求は必ずしも一致しない。それゆえ、効率重視経営を進めて行くと、経営者は生産効率を無視して資本効率だけを追求してしまうという不条理に導かれる可能性がある。ここに、効率重視経営の限界が潜んでいる。しかし、効率重視経営を進めて行くと、経営者はさらに別の不条理にも導かれる可能性がある。次に、このことを、最近話題になっているエンロン事件を取り上げながら、明らかにしてみたい。
4.効率性をめぐる第二の不条理―私的効率性と社会的効率性の不一致―
1)エンロンとは
さて、効率重視経営を展開してきた典型的企業が、米国のエンロンである。エンロンは、1985年に米国内の2社の天然ガスパイプライン会社が合併してできた新しい会社であった。テキサス州ヒューストンに本社を置き、当初はパイプラインの敷設運営をベースとし、天燃ガスや石油を電力会社や工場に販売する事業を行っていた会社である。
しかし、1994年から米国で電力自由化政策が始まると、エンロンは戦略を変え、保守的経営から効率重視経営へと移行した。エンロンは、徹底した効率重視経営のもとに、電気取引市場を自ら開設し、これまでの固定料金に代わって市場価格で電力売買を開始した。しかも、エンロンは、単なるパイプライン、貯蔵タンク、そして発電所などの施設を保有してエネルギーを供給するだけでなく、様々な分野に資金を効率的に集中して、急成長していったのである。そして、わずか15年で全米7位、世界16位の巨大多国籍企業に登りつめたのである。
しかし、こうした栄華を極めたエンロンも、昨年12月2日に日本の会社更生法にあたる米連邦破産法第11条の適用をニューヨーク破産裁判所に申請した。その負債総額は、400億ドル(約5兆円)を超え、米国史上最大の倒産となった。そして、この倒産によって、エンロンのスキャンダラスな実態が明るみにでてきたのである。
2)エンロンの効率重視経営
さて、エンロンは効率重視経営のもとに様々な分野に進出していたが、その主要分野は三つに整理できる。まず、天然ガスとパイプライン業であり、エンロンの伝統部門である。エンロンは高収益が期待できる地域に積極的に発電設備や水道設備の建設に投資していた。
また、エンロンは規制緩和以後、エネルギー価格が固定価格から市場価格へと移行すると、いち早くエネルギーの小売・卸業分野に進出した。とくに、エンロンのドル箱は、石油、天然ガス、そして電力の先物販売であった。
さらに、エンロンは、IT関連分野にも積極的に進出していった。たとえば、取引にインターネットを活用した「エンロン・オンライン」という名の独自のネット取引市場を開設し、130品目にも及ぶ商品を扱って、爆発的な売上高を実現した。そのため、一時、エンロンは米国エネルギー関連ネット市場の90%を独占し、最も成功したIT企業といわれた。しかも、パイプラインに敷設した光ファイバーを積極的に活用して「ブロードバンド業」である通信事業にも進出していたのである。
このように、エンロンは規制緩和にともなって多くの市場に参入するとともに、自ら新しい市場を積極的に創造した。そして、高収益事業に資金を効率的に集中して利益を高め、これによって株価を上げ、再び調達された資金を効率的に利用するという効率重視経営を展開していたのである。
3)エンロンスキャンダル
しかし、1990年代末から米国の景気が後退すると、米国のエネルギー需要は急速に縮小し、しかも原油価格の低下によって、エンロンの損失は膨らみはじめた。また、米国ではIT不況が始まり、エンロンの通信事業部門での損失も拡大していた。しかも、エンロンは先物契約が取れた段階で利益を計上していたが、実際には相場が予想とは逆の方向に動いたりして、多大な損失を抱えはじめていた。さらに、エンロンの伝統部門である発電や水道部門も、次々と赤字を記録しはじめていたのである。したがって、エンロンは、1997年以降、実は利益がでていなかったのである。
しかし、この経営の事態は、一般に公表されることはなかった。エンロンは、3000社もの決算に反映させる必要のない関連会社・子会社を作って、損失を子会社間で移動させ、利益部分だけを外部に公表していたのである。そして、このような操作に加担していたのは、世界最大の監査法人アーサー・アンダーセンだったのである。
アンダーセンにとって、エンロンは第二の顧客であった。デビット・ダンカン以下80人の会計士が担当し、エンロンの簿外債務を故意に見逃し、そして虚偽の会計報告を続けていた。しかし、エンロンが倒産し、この事実が発覚したとき、アンダーセンは担当者であったダンカン個人の仕業として、彼を解雇した。
また、カリフォルニアで電力自由化が行われた後、2000年末に電力価格が異常に値上がりし、電力を確保できない地域では何回も停電し、社会問題となった。このとき、エンロンは電力相場を高騰させるために、意図的に売り惜しみを行っていたといわれている。とくに、エンロンが所有していたカルフォルニア州最大のパブリックガス電力会社を通して供給が操作されていたとの疑いがある。
しかも、このような電力相場の高騰に悩むカルフォルニア州からの規制要請を、ブッシュ政権は無視し、緊急対策や規制は展開されなかった。その理由は、エンロンがブッシュ大統領をはじめ、政府関係者や政治家に多額の献金をしていたからだと噂されている。
以上のように、エンロンは経営が良好なときには効率重視経営をを行っていたが、経営不振になってからは多くの不正で非効率な経営を行っていたようにみえる。しかし、実際には、エンロンは一貫して効率重視経営を行っていたのである。なぜか。ここに、以下で述べる効率重視経営をめぐる第二の限界がある。
4)社会的効率性と私的効率性の不一致
さて、先に述べたように、今日、経営学や経済学分野では人間は完全合理的ではなく、情報の収集、処理、そして伝達をめぐる能力が限定されており、限定された情報の枠内でしか合理的に行動できないという「限定合理性」の立場に立って現実が分析されている。この限定合理性アプローチによると、人間同士が市場取引する場合、相手の不備に付け込んで相手をだましても自己利害を追求するものとみなされる。
このような限定合理的な人間世界では、企業経営が良好なときには、経営者は市場を利用して資金を容易に調達できるので、投資家の不備に付け込んで嘘をつく必要はない。正直に経営の実態を市場に公表することによって、より多くの資金をスムーズに調達できる。そして、この資金を再び効率的に利用することによって、さらに多くの資金が調達されることになる。このように、経営が良好なときには、効率重視経営のもとに経営者が追求する私的効率性は社会的効率性と一致し、企業は加速度的に成長することができる。まさに、エンロンは、経営が良好なときには、忠実に市場メカニズムにもとづく効率重視経営を展開していたのである。そして、その行動は私的にも社会的にも効率的だったのである。
しかし、経営不振に陥ると、経営者が追求する効率重視経営の意味は大きく変化する。経営不振にあえぐ企業は、資本を効率的に利用できないので、その実態を市場に公表すれば、資本は引き上げられ、別の能力のある企業へと資本は移動する。そして、企業は市場からの退場圧力にさらされることになる。事実、1997年以降、効率的に資金を運用できなくなっていたエンロンは、その実態を市場に公表すれば、市場メカニズムによって淘汰される危機にさらされていたのである。
このような市場からの圧力を避けるために、経営者は投資家の不備に付けこんで投資家をだますことが、社会的には非効率であるが、企業にとっては効率的になるといった不条理に陥ることになる。それゆえ、1997年以降、経営が悪化していたエンロンは、成功したときと同じように資金調達するために、様々な方法で市場を欺いていたのである。それは、社会的には非効率で不正であったが、エンロンにとっては効率的だったのである。
5.結び―効率重視経営が導く二つの不条理―
以上、近年、経営学や経済学分野で注目されている限定合理性アプローチにもとづいて、今日、広く業界で注目されている効率重視経営を分析した。その結果、そこには少なくとも二つの限界があることが明らかにされた。
(1)一つは、限定合理的な人間世界では、資本効率の追求と生産効率の追求が必ずしも一致しないということ、それゆえ効率重視経営を進めて行くと、経営者は生産効率を無視して資本効率だけを追求するという不条理に導かれる可能性があるということ、
(2) もう一つは、限定合理的な人間世界では、私的効率性の追求と社会的効率性の追求
が必ずしも一致しないということ、それゆえ効率重視経営を進めて行くと、経営者は社会的効率性を無視して私的効率性だけを追求するという不条理に導かれる可能性があるということ、これである。
いずれも企業を危機的状態に導くものである。それゆえ、効率重視経営を進める場合、経営者は常にこれら二つの不条理に出くわす可能性があることを覚悟する必要がある。
菊澤研宗著『組織の不条理―なぜ企業は日本陸軍の轍を踏みつづけるのか―』ダイヤモンド社2000年。
« 不条理のケース・スタディ 雪印・三菱自動車 NO2 | トップページ | 不条理なコンピュータ NO4 »
「2)不条理の経済学」カテゴリの記事
- 拙著『改革の不条理』に関する記事の紹介(2018.10.17)
- 働き方改革の不条理(2017.05.10)
- 人間に関する研究と不条理(2017.05.09)
- 連帯責任制度の功罪:不条理な制度(2016.10.10)
- 派閥をめぐる評価の不思議(2011.08.07)
コメント