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2006年4月25日 (火)

不条理を分析するための理論 NO1

 以下の小論は、「組織の不条理:限定合理性からのアプローチ」「ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー」 2001年6月号 131-13頁とは、別バージョンのものです。ダグラス・ノースについて書いています。関心のある方は上記も読んでみてくだざい。

          組織の不条理を理解するために
        ―なぜ組織は不条理に導かれるのか―
                  中央大学大学院国際会計研究科教授 菊澤研宗
1 現代企業の病理としての組織の不条理
 バブル経済崩壊後、日本では企業の不祥事が続発している。最近でも、雪印の食中毒事件、三菱自動車のリコール隠し、核燃料加工会社JCOの臨界被ばく事故などとどまるところを知らない。これら日本企業の一連の不祥事は、今日、いずれもマスコミから全く無知で非合理な行動として非難されている。
 しかし、これら一連の事件は、はたして無知に起因する事件だったのだろうか。本当に、非合理だったのだろうか。確かに、無知で非合理なために起こった事件もあるかもしれない。しかし、現代の日本企業で発生している不祥事のほとんどは、実は不正であることを知りつつ企業組織のためと思って発生した事件が多いように思われる。つまり、社会利益よりも企業利益を優先したために起こった事件が多いのである。
 今日、われわれは、しばしば企業利益と社会利益や社会倫理と一致しないような状況に置かれる。そして、企業人は、社会利益や社会倫理を捨てて、企業利益を優先することになる。それは、社会にとっては不利益で不正であるが、企業にとっては合理的な行動なのである。このような合理的な不正あるいは合理的な非効率が、今日、多発する不祥事の本質であると思われる。
 私は、このように合理的に不正に導かれたり、合理的に非効率に導かれる組織現象のことを、拙著「組織の不条理」(ダイヤモンド社 2000年)で、「組織の不条理」と呼んだ。そのような不条理に陥った組織は社会的に不正で非効率なので、やがて不正は暴かれ淘汰される。以下、現代の組織に宿る組織の不条理を理解するのに役立つ名著4冊を紹介したい。

2 人間の合理性には限界がある
 われわれは、いろんな広告や雑誌から情報を集め、ある店でブランド品を安く購入し、いい買い物をしたと思っても、後で同じブランド品が別の店でもっと安く売っていたという苦い経験があるだろう。また、この商品は絶対に売れると思っていたのに、実際にはそれほど売れなかったり、逆に全く売れないと思っていた商品が売れてしまうこともあるだろう。さらに、電車の中で座っていて前に立っている年輩の方に席をゆずるべきかどうか悩んだ末、実際にゆずってみると、その年輩の人は私は年寄りではないという顔で逆に迷惑がられた経験もあるかもしれない。
 このように、人間が頭の中で合理的、効率的、正当だと考えていることと実際に合理的、効率的、正当だということが必ずしも一致しないことを、最初に経営学分野に明示的に持ち桙qだのは、ノーベル経済学賞を受賞したハーバード.A.サイモンである。
 サイモンは、彼の著書『経営行動』で人間の能力には限界があり、限定された認識能力の中でのみ人間は合理的であること、つまり人間は意識的にあるいは主観的に合理的にしか行動できないとし、このような人間の限定合理性を学問の出発点にすることを主張したのである。
 この全く当たり前のことを学問上に持ち出すのに非常に時間がかかったのは、経済学において経済人という完全合理的な人間が仮定され、この完全合理的な人間の立場から現実を分析するというスタイルがすでに確立されていたからである。
 しかし、このような神の立場からの分析では、現実の行動はすべて非効率なものとして認識されることになる。しかも、この分析から導き出される政策提言は、結局、すべての人間は今後より完全合理的に行動すべきであるというほんとんど実行不可能で空虚な内容になってしまうのである。
 サイモンは、より意義ある政策を展開するために、限定合理的な人間の立場に立って現実を分析する必要があると主張した。この意味で、サイモンは著書『経営行動』を通して組織論研究を神の立場から人間の立場に戻したのである。

 3 取引コストが合理的に非効率な制度を維持する
 このサイモンの議論に影響され、限定合理的な人間はすきがあれば相手の不備に付け込んで、悪徳的に自己利害を追求すると考えたのは、オリバー・E・ウイリアムソン(『市場と階層組織』)である。そのために、市場取引する場合、駆け引きが起こり、この取引上の無駄つまり「取引コスト」が発生すると考えた。そして、この取引コストを節約するために市場取引に代わって組織的取引が制度として発生するとしたのである。
 しかも、ウイリアムソンは組織内部でも取引コストは発生すると考え、組織は組織内取引コストを節約するために仲間組織、階層組織、事業部制組織、コングロマリットなどの様々な効率的組織制度へと発展するとした。このように、ウイリアムソンは取引コストが様々な効率的な組織制度を生み出す原動力だと見なしたのである。
 しかし、このウイリアムソンの議論に歴史的立場から疑問をもったのは、ノーベル賞を受賞したダグラス・C・ノースであった。彼は、著書『制度・制度変化・経済成果』において、ウイリアムソンがいうように取引コストを削減する効率的制度を形成して発展している経済もあるが、取引コストを削減する制度を形成できずに停滞している経済もあるとした。なぜ貧しい国が豊かな国の制度を採用できないのか。この問題をウイリアムソンは解いていなかったのである。
 ノースは、企業組織が従う「ルール」のことを「制度」とよび、歴史的に効率的な制度だけでなく、非効率な制度も存在してきたとする。たとえば競争状態よりも独占状態を作り出すような制度あるいは機会を拡大するよりも制限するような制度は、それが社会的に非効率であったにもかかわらず、存在してきたのである。そして、ある国ではなおこのような非効率な制度のもとに置かれているのである。
 なぜこのような非効率な制度は消滅しないのか。なぜより効率的なものへと変化しないのか。ノースによると、制度はいかに非効率で非民主的であっても、それによって私的利益をえる人々が存在し、制度が変化することに抵抗するのだという。つまり、制度を変化させるためには、これらの利害関係者との間に取引コストが発生するのである。そして、このような取引コストがあまりにも大きい場合、社会は非効率な制度を維持することが合理的になるのである。
 このように、ノースは取引コストによって合理的に非効率な制度が維持されることを歴史的立場から明らかにしたのである。

 4 取引コストが合理的に非効率な(不条理)行動に導く
 取引コストが非効率な制度を合理的に維持するだけではなく、取引コストが組織を非効率に導くことを理論的に説明していたのは、ロナルド・H・コースだった。ノーベル経済学賞を受賞したコースは、ウイリアムソンやノースよりもずっと前になぜ組織は存在するのかを問い、人間の限定合理性を認識し、取引コストの存在を指摘して、すでにこの問題を解いていたのである。この組織の存在問題を解いたコースの著名な論文「企業の本質」ともう一つの彼の革新的論文「社会的費用の問題」を含む論文集が、彼の著書『企業・市場・法』である。
 コースは、後者の論文で取引コストがどのような非効率な効果を生み出すのかを説明するために、取引コストのない世界と取引コストのある世界を比較してみせた。この比較から導き出されたコースの議論は様々に解釈されているが、以下のような解釈も可能である。すなわち、取引コストがゼロの場合、社会的効率性と私的効率性は一致するが、取引コストが発生する場合、社会的効率性と私的効率性は必ずしも一致せず、個人は社会的効率性を無視して私的効率性を合理的に追求するということである。したがって、私的には効率的であるが、社会的には非効率な現象が起こるということである。
 このことを、コースを説明する際のおきまりの事例、すなわち企業と公害の例を用いて説明してみよう。いま、排煙を出す工場とそれに悩まされている近隣住民との間に紛争が発生しているとする。一方で企業は自己利益を追求するために環境を無視して過度に生産し、他方で住民は健康を考えて過度に企業の生産を抑制しようとしている。
 ここで、取引コストゼロの場合について考えてみよう。もし企業と住民が取引コストなく自由に交渉取引できるならば、一方で住民は企業にお金を支払って生産を減らしてもらい、公害による損害を減らそうとするだろう。他方、企業も住民からお金の支払いがあれば、生産を多少削減しても同じ収益をえることができる。このように、もし企業と住民が取引コストなく自由に交渉取引できるならば、企業は私的にも社会的にも効率的な生産に導かれる。
 しかし、実際には、人間は限定合理的なので、住民と企業との交渉取引には絶えず駆け引きや嫌がらせや感情的な問題が起こる。そのために、両者の交渉には取引コストが発生する。とくに、企業が市民を無視して公害を出し続ければ、市民の反感は高まり取引コストは増大する。また、企業も現状の生産体制にすでに多額の投資を行っていれば、簡単に後もどりできないので、取引コストは高まる。こうして、企業はたとえ社会的に悪といわれても、取引コストを考慮すると、公害を出し続けながら生産した方が合理的になるといった不条理に陥ることになる。
 このように、取引コストが発生する場合、私的効率性と社会的効率性は必ずしも一致しない場合がある。この場合、企業は、社会効率や社会倫理を無視して、私的効率性を合理的に追求するという不条理に陥ることになる。もちろん、このような企業行動は客観的には効率的ではないので、やがて淘汰されることになる。

5.いかにして組織の不条理を回避できるか―閉ざされた組織と開かれた組織―

 以上のように、サイモン、ウイリアムソン、ノース、コースの議論から、人間の限定合理性と取引コストが経済や組織を進化させるだけではなく、逆に経済や組織を不条理に導いて淘汰させる原因でもあることが理解できる。それでは、不条理に陥らずに、経済や組織を進化させるためには、どうすればよいのか。
 それは、われわれが限定合理性とどのように向き合うかにかかっている。もしわれわれが限定合理的であることを忘れ、あたかも完全合理的であるかのように傲慢になって内外からの批判を拒絶したり、あるいは逆に限定合理性のために極端に失敗を恐れて批判を拒絶するような「閉ざされた社会」や「閉ざされた組織」が形成されるならば、そのような経済社会や組織は非効率や不正を排除できない。時間とともに非効率は大きくなり、結局、変革よりも非効率な現状を維持する方がコストが安いといった不条理に陥ることになる。
 これに対して、限定合理的であるがゆえに経済や組織は進化できると考え、経済や組織に発生する非効率や不正を解決する案を提案し、内外からの批判を積極的に受け入れる「開かれた社会」や「開かれた組織」が形成されるならば、そのような社会や組織は絶えず非効率や不正を排除するので、不条理に陥ることはない。そのような社会や組織の未来は開かれている。
 このような開かれた社会や開かれた組織では、非効率や不正が発生した場合、まず批判的議論の前提となる独創的な解決案が提案される。例えば、それは新しい戦略かもしれないし、新しいビジョンかもしれない。しかも、それはGEのジャック・ウェルチのように強いリーダーによって提出されるかもしれないし、ゴールドマン・サックスのスチィーブ・フリードマンのように「暴れん坊たち」の委員会を設置して分権的に提出されるかもしれない。
 いずれにせよ、提出された解決案は常に批判にさらされることになる。そして、もし解決案に問題があれば、解決案は修正されるかあるいは別の解決案が提出されることになる。もし問題がなければ、真理ではなく、いまのところ問題がない解決案として組織メンバーはそれに自発的に従うことになる。このとき、その解決案にもとづく上からの命令はメンバーにとって強制ではなくミッションに変わる。このような組織や社会には、「強制」という概念は成り立たない。この意味で、開かれた社会や組織は自由人のための社会であり、組織である。それは、不条理にとらわれない進化する組織であり、成長する経済社会なのである。
 さて、あなたは、人間の限定合理性とどのように向き合うのだろうか?
 

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