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2006年4月23日 (日)

菊澤研宗著「比較コーポレート・ガバナンス論」有斐閣 第1回 経営学史学会賞受賞

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目次と「はしがき」および「序論」の一部を紹介します。
目 次

序 論:コーポレート・ガバナンスをめぐる三つの問題 

第Ⅰ部 コーポレート・ガバナンスの目的論

第 1 章   米国のコーポレート・ガバナンスの歴史
第 2 章   ドイツのコーポレート・ガバナンスの歴史
第 3 章   日本のコーポレート・ガバナンスの歴史   

第Ⅱ部 コーポレート・ガバナンスの方法論(1)

第 4 章  日米独コーポレート・ガバナンスの比較制度分析
第 5 章  米国型コーポレート・ガバナンスのエージェンシー理論分析
第 6 章  ドイツ型コーポレート・ガバナンスの所有権理論分析
第 7 章  日本型コーポレート・ガバナンスのエージェンシー理論分析

第Ⅲ部 コーポレート・ガバナンスの方法論(2)
 
第 8 章   日韓タイ政府によるコーポレート・ガバナンスの比較制度分析
第 9 章   韓国政府のコーポレート・ガバナンスのエージェンシー理論分析
第  10 章   タイ政府のコーポレート・ガバナンスのエージェンシー理論分析
第  11 章   日本政府のコーポレート・ガバナンスの取引コスト理論分析
 
第Ⅳ部 コーポレート・ガバナンスの主権論
 
第12 章  日米独企業概念の比較制度分析―イメージとして企業は誰のものか―
第13 章  日米独所有構造の所有権理論分析―実際に企業は誰のものか―
第14 章  日米独統治主権の所有権理論分析―理論的に企業は誰のものでありうるか―
  
 結 論: コーポレート・ガバナンスをめぐる三つの解決案
   ―進化論的コーポレート・ガバナンス論に向けて― 



はしがき

 現在、私は中央大学アカウンティング・スクール(会計専門職大学院)で比較経営論を講義している。この講義の中心的話題のひとつがコーポレート・ガバナンスの国際比較であり、その主な内容が本書である。この意味で、本書は「MBAで学ぶコーポレート・ガバナンス論」と呼んでもいいのかもしれない。
 中央大学のアカウンティング・スクールでは、実務家出身の先生方が半数を占め、日々、いい意味で刺激を受けている。いま、実務の世界ではコーポレート・ガバナンス問題が話題となっているため、いろんな方々がコーポレート・ガバナンスに関連した講義されている。ときどき、気を使って講義内容が重なっていないかどうか、声をかけてくださる先生もいる。こういった先生に対して、私はいつも「大丈夫。問題ないと思います。」と答えている。というのも、私自身も、実務家の方々に負けないように何とか特徴ある講義をしているつもりだからである。いわゆるアカデミックな「MBAで学ぶコーポレート・ガバナンス論」である。
  アカデミックなコーポレーg・ガバナンス論なんて古くて役に立たないと思っている人は多い。まったくカレントな話題をフォローしていない。そういった声も聞く。確かにそうかもしれない。しかし、ここ数年、社会人学生に教え議論してみて、実務の知識もそれほど進んでいるわけではないし、むしろ議論がバラバラで根拠のないものもかなり多いというのが私の印象である。また、実務家の方々が書かれたコーポレート・ガバナンスの本もかなり読んでみたが、同じような印象を受けた。このような印象から、やはり実務的といわれている経営学分野でもなおアカデミックな議論は必要なのだと再認識した。
では、アカデミックな議論とはどのようなものなのか。それは、議論を正当化する科学的な方法を具備しているかどうかである。その主張はなぜ正しいのか。それは理論的に正しいのか。あるいは経験的に正しいのか。それは単なる偶然ではないのか。こういった粘っこい方法論的な問いにも耐えうるような議論を展開することが、アカデミックなのである。単なる成功体験だけでは議論は正当化できないのである。
 本書は、こういった問いに対しても十分対処できるように、「組織の経済学」という近年経営学や経済学分野で急速に発展してきた理論を駆使するとともに、経験的な証拠も出すように努力した。興味深いことに、優秀な社会人学生ほど一見すぐに立ちそうな軽薄な話よりも、むしろ本書のような理論的バックグランドを具備したアカデミックな議論に強い関心をもち、まさにそのような議論を大学院に学びにきたという人も少なくない。
 本書は、そういった人々を対象にするとともに、これからコーポレート・ガバナンスを学びたいという学部学生にも十分理解できるように、できるだけ数学的表現を使わずに論理的に説明するように工夫したつもりである。このような目的を本書が達成しているかどうは、最終的に読者の判断に任せたい。・・・・・・


序 論 コーポレート・ガバナンスをめぐる三つの問題

1.本書の目的 
 前世紀末に出現した最大の企業問題は、コーポレート・ガバナンス(企業統治)問題である。この問題は、経営学的問題であるとともに、経済学的問題でもあり、法学的問題でもあり、そして倫理学的問題でもあった。それゆえ、これまでコーポレート・ガバナンス問題をめぐって、様々なアプローチのもとに様々な議論が展開されてきた。
 しかし、このようにガバナンス問題が学際的であったために、今日、この領域はコーポレート・ガバナンス・ジャングルと呼びうるような非常に錯綜した状況にあり、様々な誤解や混乱が巻き起こっている。そのため、大学や大学院ではじめてコーポレート・ガバナンスを学ぼうとする人々にとって、この領域は非常にわかりにくいという声を聞く。
 このような混乱を生み出している原因は、もちろんアプローチの多様性にもあるが、さらに問題なのはコーポレート・ガバナンス問題が本来複数の問題から構成されているにもかかわらず、一つだと思い込んで議論している点にもあるように思われる。コーポレート・ガバナンス問題をめぐる議論をできるだけ見通しのよいものにするためには、実はガバナンス問題が一つではなく複数の問題から構成されていると考え、これらを一つ一つ理論的に解いていく必要があるように思われる。
 このような観点から、コーポレート・ガバナンス問題を以下のような三つの問題に区別し、国際比較を通してこれら三つの問題を理論的に解く形でコーポレート・ガバナンス論を体系的に展開してみたいというのが本書の目的なのある。

(第一の問題領域)コーポレート・ガバナンスの目的論
 企業を統治する目的はいったい何か。何の目的で企業を統治するのか。企業行動の効率性や企業価値を高める目的で、コーポレート・ガバナンスが展開されるのか。あるいは、企業行動の正当性や倫理性を問う目的で、コーポレート・ガバナンスが展開されるのか。

(第二の問題領域)コーポレート・ガバナンスの方法論
 企業を統治する場合、どのような方法によって具体的に企業は統治されうるのか。市場型ガバナンス・システムを用いて企業は統治されるのか。あるいは組織型ガバナンス・システムを用いて企業は統治されるのか。あるいは、外部コントロール・システムを用いるのか、内部コントロール・システムを用いるのか。

(第三の問題領域)コーポレート・ガバナンスの主権論
 企業は誰のものか。誰が企業を統治するのか。企業統治の主権者は誰か。株主が企業をガバナンスするのか。あるいは債権者が企業をガバナンスするのか。あるいは広く利害関係者が企業をガバナンスするのか。・・・・・・・・・・・
本書では、これら三つの問題をコーポレート・ガバナンス問題とみなして議論を進めるために、コーポレート・ガバナンスの定義をひとまず以下のように非明示的に定義しておきたい。「コーポレート・ガバナンスとは、何らかの目的を達成するために(企業統治の目的問題)、何らかの方法(企業統治の方法問題)を駆使して、利害関係者の誰かが(企業統治の主権問題)企業を監視し、規律を与えること」、これである。
 本書では、これら三つの問題に対して体系的に答えを与え、最終的に上記の非明示的なコーポレート・ガバナンスの定義を明示的なものにする予定である。

2.本書の組織の経済学アプローチ
 2.1 限定合理性アプローチ
 さて、以上のような三つのコーポレート・ガバナンス問題を国際比較を通して理論的に解くために、本書では、今日、経営学や経済学分野でよく知られている「組織の経済学」あるいは「新制度派経済学」と呼ばれているアプローチを用いる。このアプローチは、主に「取引コスト理論」、「エージェンシー理論」、そして「所有権理論」といった理論群から構成されている。
 この組織の経済学アプローチの最大の特徴は、基本的にどんな人間も完全に合理的ではないが、逆に完全に非合理でもなく、人間は「限定合理的(Bounded Rationality)」だとみなす点にある。これは、H.A.サイモン(H.A.Simon)によって明示的に導入された人間観である。
 新古典派経済学では、これまで完全合理的な経済人が仮定され、このような人間仮定のもとに理想的な経済モデルが構築され、これにもとづいて現実が分析され、現実の非効率性が指摘されてきた。この完全合理的な分析から、これまで様々な経済政策が展開されてきた。しかし、結局のところ、このような完全合理性アプローチから導かれる政策提言は、今後、人間は完全合理的に行動すべきであるという実行不可能な政策提言に帰着してしまうのである。
 これに対して、あくまで人間を人間らしくみていこうとするのが、組織の経済学アプローチである。すべての人間は、情報収集、情報処理、そして処理した結果を伝達し表現する能力が限定されており、人間はこの限定された情報能力のもとに意図的に合理的にしか行動できないのである。このような限定合理的な人間観にもとづいて現実を分析する点に、このアプローチの特徴の一つがある。

 2.2 制度論アプローチ
 さて、組織の経済学アプローチによると、すべての人間は限定合理的であるので、絶えず人間は相手の不備に付け込んで、自己利害を追求するように悪徳的に行動する可能性がある。それゆえ、人間はすきがあれば契約どおりに行動するとはかぎらないし、機会があれば相手をだましても自己利害を追求するような行動にでる可能性がある。このような行動が「機会主義」あるいは「モラル・ハザード(道徳欠如)」と呼ばれる現象である。
このような機会主義的行動は、それが契約を守らないという意味で倫理学的に不正な悪しき行動であるといえる。また、不正を通して能力のない人が資源を無駄に利用する可能性があるという意味で、経済学的に非効率な行動でもある。
このような人間の機会主義的な行動は、企業内でも家庭内でも起こりうる。しかし、実際には、それほど多くの人々が相手をだましたり、不正をしたりしているわけではない。なぜか。組織の経済学では、このような不正で非効率な行動を可能なかぎり抑制する様々な統治制度、ガバナンス・ストラクチャー、ルール、慣習、法律などの「制度」が現実に展開されているからだと考えるのである。
このような見方からすると、コーポレート・ガバナンスとは不正で非効率な企業行動を抑止する一種の統治制度とみなされる。このように、コーポレート・ガバナンスを制度として分析する点が、本書で用いられる組織の経済学アプローチの特徴の一つである。

2.3 比較制度分析アプローチ
 さて、組織の経済学アプローチのもう一つの特徴は、それが「比較制度分析」を行うという点である。先に述べたように、従来の新古典派経済学では、人間の完全合理性が仮定され、理想的なモデルが形成され、この理想モデルと非合理な現実が比較され、より理想モデルに近づくような政策が展開されてきたのである。
 
  例えば、図0.1のAで表される楕円部分が理想的な経済状態でえられる利益であるとしよう。これに対して、図のBで表される部分が現実の経済状態でえられている利益であるとする。その差が現実経済の非効率であり、無駄であり、コストを意味することになる。この現実的なBの状態を、いかにして理想的なAの状態に近づけるか。これが経済政策となる。しかし、このような政策がどういった形で説明されようと、基本的にそれは実行不可能なものにならざるをえない。というのも、Aの利益をえるには、すべての人間は完全に合理的でなければならないからである。それは、人間にとって実行不可能なのである。

図0.1 完全合理性アプローチの比較分析   

これに対して、組織の経済学アプローチでは、唯一絶対的な方法はないとみなされる。ある状況のもとで、限定合理的ないくつかの実行可能な制度が比較され、どれがより効率的な制度なのかが分析される。そして、もしある制度が別の制度よりもより効率的であれば、それに移行したほうがよいという方向で政策提言がなされることになる。

例えば、図0.2のAが理想的な経済状態でえられる利益であるとしよう。これに対して、限定合理的な人間にとって実現可能な制度がα、β、γの三つあり、それらの制度のもとに獲得できる利益が図の楕円で描かれているとしよう。これら三つの制度のうち、αが最も効率的な制度であり、γが最も非効率な制度となる。もし現在の制度がγであるならば、理想的なファースト・ベスト解Aの状態ではなく、実行可能な制度を比較し、より良いセカンド・ベスト解αへ移行することを政策提言しようというのが、組織の経済学の比較制度分析なのである。

もちろん、別の状況では、別の制度がより効率的なものとして比較制度分析されることになるかもしれない。例えば、国が異なると、制度βへの移行がより効率的であることもありうる。この意味で、限定合理的アプローチは唯一絶対的な解を求める一元論ではなく、多元主義的なのである。

本書では、組織の経済学のこの特徴を利用して、日米独そしてアジア諸国のコーポレート・ガバナンスを比較制度分析する予定である。

図0.2 限定合理性アプローチの比較制度分析


 

3.本書の構成

 以上のような組織の経済学アプローチのもとに、本書の目的を達成するために、本書では以下のように国際比較制度分析を展開するつもりである。

 まず、第Ⅰ部では、第一の問題領域であるコーポレート・ガバナンスの目的について議論する。ここでは、コーポレート・ガバナンスという名のものとに、日米独各国でこれまでどのような議論が展開されてきたのかを歴史的に考察して答えを与える予定である。特に、第1章では、米国でコーポレート・ガバナンス問題がどのように発生してきたのかを説明し、その後、議論がどのように変化していったのかを歴史的に説明する。第2章では、ドイツでのコーポレート・ガバナンス問題の発生とその後の歴史的展開について説明する。第3章では、日本におけるコーポレート・ガバナンス問題の発生と歴史的展開を説明し、最後に日米独の歴史分析を通して、今日、求められている企業統治の目的が何かを明らかにしてみたい。

 第Ⅱ部では、コーポレート・ガバナンスの第二の問題領域としてガバナンスの方法について分析する。ここでは、まず日米独企業統治の方法の特徴を明らかにし、次にそれぞれの方法の効率性と非効率性を比較制度分析する。具体的にいえば、第4章ではエージェンシー理論にもとづいて日米独コーポレート・ガバナンスの方法を比較制度分析し、それぞれの方法の強みと弱みを明らかにする。次に、第5章では、米国型コーポレート・ガバナンスの方法として1980年代に展開された敵対的買収、特にLBO(Leveraged Buy Out)に焦点を当て、これをエージェンシー理論にもとづいて分析する。第6章では、ドイツ型コーポレート・ガバナンスの特徴の一つである労資共同決定法に焦点を当て、この制度を所有権理論にもとづいて分析する。第7章では、日本型コーポレート・ガバナンスとしてメイン・バンク制に注目し、これをエージェンシー理論にもとづいて分析する予定である。

 第Ⅲ部でも、引き続きコーポレート・ガバナンスの方法について考察する。ここでは、近年注目されている東アジア諸国における政府によるコーポレート・ガバナンスについて考察する。まず、第8章では、アジア諸国の政府によるガバナンスが多様であったことを明らかにするために、取引コスト理論にもとづいて日韓タイの政府によるコーポレート・ガバナンスを比較制度分析する。次に、第9章では、より具体的に韓国政府によるガバナンスに注目し、エージェンシー理論にもとづいて、なぜ1980年代初期まで韓国企業が成功し、やがて通貨危機に導かれたように韓国企業が失敗していったのかを政府によるガバナンスの観点から分析してみたい。第10章では、経済通貨危機に導いたタイ政府によるコーポレート・ガバナンスをエージェンシー理論にもとづいて分析してみたい。最後に、第11章では戦後展開されてきた日本政府によるコーポレート・ガバナンスを取引コスト理論にもとづいて分析する予定である。

 第Ⅳ部では、コーポレート・ガバナンスの第三の問題領域であるコーポレート・ガバナンスの主権問題について検討する。特に、第12章では、企業は誰のものかをめぐるインタビューから日米独の企業概念の違いを明らかにし、特に日本の企業概念を所有権理論にもとづいて分析してみたい。次に、第13章では、日米独企業の実際の所有構造を所有権理論にもとづいて比較制度分析し、今日、日本企業の所有主体が誰なのかを明らかにしてみたい。最後に、第14章では、所有権理論にもとづいて、理論的にはどのような主体が主権者として企業統治することがより効率的なのかを説明する。

 以上のような一連の議論から、最後に、結論としてここで提起した三つのコーポレート・ガバナンス問題に対して一貫した見解を与え、非明示的に定義したコーポレート・ガバナンスの定義を明示的なもの変える予定である。そして、今後、求められるコーポレート・ガバナンスについて述べてみたい。本書の研究によって、体系的コーポレート・ガバナンス論に向けて、第一歩が踏み出されることになるだろう。

      

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