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2006年4月

2006年4月30日 (日)

「組織の不条理」への論評に対して

 拙著『組織の不条理』ダイヤモンド社に対する論評で多いのは、不条理な現象を分析するまでの分析は非常に切れ味がいいのだが、その解決案はあまりに一般的すぎて具体性がなく、内容がないという意見が多い。(以下のアマゾンを参照。)

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 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/447837323X/ref=pd_ecc_rvi_1/503-7958869-4819146

 「と書かれていますが、先生はこれについてどう考えていますか」と、ゼミの学生に飲み会で質問された。

 「だから、素人は困る」というのが、私の傲慢な答えだ。

 解決案の普遍性と個別具体性は、論理学的にトレード・オフの関係にあるのだ。広く一般に妥当することを述べたかったら、個別的ではなく具体性もなくなり、逆に具体性・個別性を求めれば、逆に普遍性はなくなるのだ。

 広く一般的なことを語れば、個別事例をイメージできず、即戦的な答えをイメージできない。しかし、個別事例に対する解決案を展開すると、具体的で分かりやすいが、一般的には妥当しないという批判が起る。

 一般性を棄てて、個別事例に対する明確で具体的な解決案を展開するのが、コンサルタントで、彼らに仕事の余地を与え、品よく一般的な議論でとどめるのが学者なのだ。

「私はコンサルタントではなく、学者なのだ」と、私は頑固に言い張りたい。しかし、これらの批判は、まんざら間違いでもないのだ。K.R.ポパーの科学哲学を知っている人なら、私の本当の弱点がきっと分かるはず。

2006年4月25日 (火)

不条理なコンピュータ NO4

It 「不条理なコンピュータ」に宿る旧日本陸軍の病

太平洋戦争の中でも最悪の戦いといわれているガダルカナル戦で日本陸軍は近代兵器を具備した米軍に向かって3回にわたって白兵突撃を繰り返し、壊滅した。日本軍は、日露戦争以来、銃の先に剣を付けて敵に体当たりする肉弾突撃を得意としていたのである。今日、この日本陸軍の行動は無知で馬鹿げていたと酷評されている。しかし、この同じ馬鹿げたことが現代企業でも起こってはいないだろうか。実は、よく似たことが本誌連載の「不条理なコンピュータ」で紹介された事例に見いだせる。いずれも無知で非合理なために起こったように思えるが、実は合理的に失敗するという不条理に陥ったのである。以下、旧日本陸軍の事例と比較しつつ現代企業に宿る病「不条理」について議論してみたい。

1 日本陸軍にみる不条理な行動
さて、ガダルカナル島は、オーストラリア近海の孤島であり、太平洋戦争初期に日本海軍が占領し、当時、飛行場建設を進めていた。米軍は、この島が日本本土攻撃にとって重要だと認識し、2万人の兵士を動員し、一挙に占領した。この米軍上陸を知った日本陸海軍は、島奪回のため、逆上陸し、ここに日米最初の地上戦が始まった。
 当時、大本営は米軍を過少評価し、一木清直大佐率いる部隊にガダルカナル島奪回を命じ、先遣隊として916名を島に上陸させた。米軍は、現地住民から日本軍上陸の情報をえており、塹壕を掘って待ち伏せしていた。このことも知らず、一木支隊は昭和17年8月21日未明に突撃した。日本軍は敵に気づかれないように、銃を撃たないで、銃剣突撃した。これに対し、米軍は、機関銃、自動小銃、戦車などのあらゆる近代兵器と圧倒的多数の兵力のもとに、日本兵を迎え撃った。夜が明けると、河口と海岸は日本兵の死体で埋まっていた。これが、1回目の白兵突撃の結果であった。
 この結果を受け、大本営は今度は川口清健少将のもと4千名からなる川口支隊を形成し、ガダルカナル島へ上陸させた。川口支隊は、一木支隊と同じ失敗を避け、別のルートを通って米軍が守る飛行場の背後にある高地へと行軍した。そして、昭和17年9月13日、夜、突撃した。戦術は再び白兵突撃であった。翌朝、丘全面に日本兵の死体が折り重なっていた。これが、2回目の白兵突撃の結果であった。
この2回の戦果を受け、大本営は丸山政男中将を師団長とする約2万人からなる第二師団を送り込み、しかも大本営から辻政信中佐が作戦参謀として派遣された。前回の指揮官川口少将から、同じ戦術では同じ失敗を繰り返すという進言があった。しかし、昭和17年10月24日夕刻、辻政信によって選択された戦術は白兵突撃であった。日本軍は三度近代装備の米軍に撃滅され、数万人の兵士が戦死した。
なぜ日本陸軍は非効率な白兵突撃戦術を変更・中止できなかったのか。

2 現代企業にみる不条理な行動 
この日本陸軍と同じ馬鹿げた行動が、実は「不条理なコンピュータ」で扱われた事例に見いだせる。例えば、日系企業のCIOがIT化を進めるため、ベンダーから派遣されたコンサルタントに従い、ソフトとハードを導入したケース。当初、企業内の情報システム部門がその導入に疑問をもっていたが、意見が無視されたため、批判しなくなった。ところが、実際にシステムを導入してみると、機能に問題があるとともに入力にも時間がかかり、しかも利用各部門でも様々な疑問が発生したため、新システムが以前より非効率であることが判明してきた。コンサルタントも、それに気づいていた。しかし、このプロジェクトは打ち切られることなく、そのまま進行し、結局、失敗した。なぜ中止できなかったのか。 
同様に、外資系企業で本国で成功した同じ生産システムを日本でも導入したケース。当時、日本の現地法人は日本的生産方式を展開していたが、本国と同じコンサンルタント会社の助言により本国と同じ生産方式への変更が決定された。これにより販売システムの再構築も必要となり、このシステム担当のSEが現場の調査を行ったところ、新生産システムは非効率であることが判明した。これを現地法人の担当者にも説明したところ、担当者もそのことをすでに知っていた。それにもかかわらず、プロジェクトは変更されることなく進められ、結局、失敗した。なぜ中止できなかったのか。
 さらに、行政組織が様々な情報を迅速に市民に伝えるため、交流センターにタッチパネル式の情報端末を導入したケース。当初、機密情報の漏洩を避けるため、インターネット接続を認めず、通信コストの高いダイヤルアップ接続が採用された。しかし、端末が稼動した後、月平均の電話代が高いため、行政のシステム担当者はその非効率性に気づいた。上司もその非効率性に気づいていた。しかし、システムを改善し、リプレースすることなく、電話代を経理操作で目立たないように努力した。なぜ変更できなかったのか。

3 不条理発生のメカニズム
 いずれの事例にも共通するのは、現状が明らかに非効率であるにもかかわらず、この状態を中止・変更しえなかった点にある。なぜか。もし人間が完全合理的であれば、人間はコストをかけることなく、容易に非効率な状態を変えることができただろう。
しかし、人間は不完全で限定合理的である。そのため、取引する場合、相手の不備に付け込んで自分に有利になるように互いに駆け引きする。それゆえ、だまされないように互いに取引契約前に相手を調査し、契約後も監視する必要があり、取引には多大な取引上の無駄「取引コスト」が発生する。
この取引コストの存在を考えると、以下のような「不条理」が発生する。すなわち、全体的にみて明らかに現状を変化させたほうが効率的だとしても、変化させるには多くの利害関係者と交渉取引する必要があり、膨大な取引コストが発生するため、個人的には変化しないほうが効率的となる現象である。換言すると、取引コストによって全体効率性と個別効率性にズレが生じ、個々人は全体効率性の達成を諦めて個別効率性を追求してしまう現象である。
このような不条理な現象がガダルカナル戦であり、「不条理なコンピュータ」に登場した様々な事例なのである。
例えば、ガダルカナル戦で日本陸軍が白兵突撃という非効率な戦術に固執したのは、参謀たちにとってこの戦術を変更・放棄した場合、日露戦争以来この戦術に投資してきた巨額の資金が回収できない埋没コストになるとともに、その変更に反発する多くの利害関係者を説得する必要があり、そのために膨大な取引コストが発生する可能性があったからである。
同様に、「不条理なコンピュータ」に登場した日系企業も、導入したシステムの機能をめぐる諸問題を修正しようとすれば、高い交渉開発コストが発生し、合計すれば新規開発よりも高くなるという状況にあった。この場合、たとえ現状が非効率でもこのまま進むことが担当者にとっては合理的となる。
 また、外資系企業の事例でも、なぜ本社の命令に従って現地法人が非効率なシステムを導入したのか。現地法人の従業員は、外資系の企業風土では本国の決定に異議を唱えて方針を変えるには、あまりにも交渉取引コストが高いことを知っていた。このコストを考えると、たとえシステム導入が非効率であっても、このまま導入したほうが担当者にとっては効率的なのである。
 さらに、行政組織のケースでも、ダイヤルアップ接続からインターネット接続への変更はシステムの基本構成に関わるため、高いコストが発生する。さらに、変更すればシステム導入の失敗が判明し、担当者はその責任を問われることになる。このコストを考えると、たとえ現状が非効率であってもこのまま進行させたほうが担当者にとっては効率的となる。
 いずれも限定合理的な世界では取引コストが発生し、そのために全体効率性と個別効率性にズレが生じ、全体効率性を棄てて個別効率性が追求された不条理なケースなのである。それは、無知で馬鹿げた現象ではない。

4 不条理回避のヒント
それでは、不条理に陥らないためにはどうすればよいのか。それは、人間の限定合理性とどのように向き合うかにかかっている。もし組織メンバーが限定合理性を無視し、傲慢にも内外の批判を拒絶する「閉ざされた組織」ならば、そのような組織は固定的となる。それは一見安定しているように思えるが、実は時間とともに組織内部で非効率が増加し、変化する環境との乖離が大きくなり、淘汰の危機にさらされる。この状態から脱出するためには、組織は大変革が求められる。しかし、その大変革コストは余りにも大きいため、逆に非効率な現状をそのまま維持したほうが合理的になるといった不条理に陥ることになる。
まさに、日本陸軍は「閉ざされた組織」であった。日本陸軍は太平洋戦争開始前に、満州とソ連の国境付近で発生したノモンハン事件から学べなかった。第1次世界大戦を経験し、近代兵器を装備したソ連軍に、日露戦争以来の白兵突撃に固執した日本軍は惨敗した。このとき、現場から白兵突撃の非効率性が叫ばれ、より近代的な戦術への移行が嘆願された。しかし、この意見は無視され、白兵突撃戦術は太平洋戦争まで持ち込まれていった。
 これに対して、もし組織メンバーが不完全で限定合理的であることを意識し、積極的に内外の批判を受け入れる「開かれた組織」ならば、組織は積極的に内外の批判を受け入れ、絶えず非効率を排除しようとするので、社会的効率性と個別効率性を一致させる方向で絶えず変動することになる。このような組織は変化を繰り返すので、一見、不安定に見えるかもしれない。しかし、内外の批判を受け入れ、絶えず変動しているため、変動コストも低く、不条理に陥ることなく、安定的に環境変化に対応できるのである。

不条理のケース・スタディ エンロン NO3

以下の小論は、「効率重視経営の限界―効率性をめぐるふたつの不条理―」「TRI-VIEW」東急総合研究所 2002年6月号 Vol.17-No.1 9-14頁の草稿文です。
          エンロンの不条理
            ―効率性をめぐる二つの不条理―
                    中央大学アカウンティングスクール会計専門大学院教授 菊澤研宗  1.はじめに
 長く続く不況の中、今日、日本では効率重視経営が叫ばれている。それが、日本企業を復活させる経営とみなされているからである。確かに、そのような経営は日本企業を再生させる可能性をもつかもしれない。しかし、効率重視経営を進めて行くと、経営者はいくつかの不条理な事態に導かれる可能性がある。最近、経営学や経済学分野で注目されている新しいアプローチにもとづいて、効率重視経営をめぐる限界を明らかにしてみたい。

2.効率重視経営
 さて、効率重視経営、とくに資本効率重視経営とは、資本を効率的に運用することによって企業を加速度的に成長させる経営のことである。この経営に成功すれば、以下のような良好なサイクルが生まれる。(1)まず、高収益の事業へと資本を効率的に集中し、低収益の事業から資本を引き上げる。(2)これによって、企業の利益は上昇する。(3)企業の利益が高まると、投資家の投資インセンティブが高まる。(4)こうして、企業にとって有利な資金調達状況が作りだされ、(1’)再び企業は新しい高収益の事業へと資本を効率的に集中する。このサイクルを通して、企業は加速度的に成長することができるのである。
 こうした効率重視経営を実践するためには、義理や感情に流されて特定の事業に固執してはならない。ある事業が低収益であるにもかかわらず、伝統的という理由で継続することは、この経営では許されない。何よりも、低収益の事業は徹底的に廃止され、資本は高収益の事業に集中されることになる。
 また、効率重視経営では、リストラを従業員重視に反するものとして躊躇することは許されない。この経営では、人員削減が避けられない場合、感情に流されることなく、すみやかにレイオフが実行されることになる。従業員も、明確な方針のもとに準備された早期退職等のベネフィットを自ら選択する必要にせまられることになる。
 さらに、効率重視経営では、投資家にアピールするために、投資決定、利益計画、業績評価、そして報酬制度等について、わかりやすい指標を使う必要がある。従来、日本企業が重視してきた売上高や経常利益等だけでは、投資家だけでなく経営者自身も錯覚する恐れがある。それゆえ、効率重視経営では、経営指標として株主資本利益率(ROE)、総資産利益率(ROA)、割引キャシュフロー(DCF)、経済的付加価値(EVA)等を組み合わせる必要にせまられることになる。
 以上のような経営が、今日、注目されている効率重視経営の概略である。このような経営が標榜されているのは、米国を中心に展開されてきた市場経済主義が今後世界の共通のルールになるといった認識にもとづいている。効率重視経営を展開しないと、グローバルな市場経済で企業は生き延びることができないのである。しかし、このような効率重視経営を進めて行くと、以下のように経営者はいくつかの不条理な事態に出くわすことになる。

 3.効率性をめぐる第一の不条理―資本効率性と生産効率性の不一致―
 さて、経済学では、これまで人間は完全合理的であるという「完全合理性」の仮定に立って理想的な市場経済モデルを作り上げ、このモデルにもとづいて現実の非効率性を分析してきた。しかし、最近では、より現実的に人間の情報収集能力は限定されており、限られた情報の中でしか人間は合理的に行動できないという「限定合理性」の仮定に立って、現実の市場経済の分析が進められている。
 この限定合理性アプローチによると、人間はすきあらば相手の不備に付け込んで自己利害を追求するものとみなされる。そのため、市場取引を行う場合、互いにだまされないように駆け引きが起こり、無駄な取引コストが発生するものとされる。それゆえ、市場取引は常にスムーズに行われるわけではないことが明らかにされてきた。
 確かに、ごく一般的な製品を企業間で取引する場合、それほど多く駆け引きは起こらないかもしれない。というのも、多くの企業がそのような製品を簡単に生産できるので、駆け引きを行う企業は取引から排除されるからである。それゆえ、このような状況では、企業はより安く製品を供給してくれる企業を自由に探索でき、そのような企業が見つかれば、資本を効率的に利用するために、これまでの企業との取引を止めて、新しい企業との取引に資本を集中させることができるだろう。しかも、より安い値段で製品を調達して生産すれば、生産効率も高まることになる。それゆえ、ここでは効率的に資本を利用することと効率的に生産することは矛盾しないのである。
 しかし、非常に特殊な製品を取引する場合、取引相手を見いだすことは難しい。たとえ見いだしたとしても、相互に駆け引きが起こりやすく、最悪の場合、取引自体が成立しない場合もある。このような事態を避けるためには、市場取引よりもはじめから特定の取引相手と組織的に取引していた方がはるかに効率的に生産できる。しかも、このような取引関係のもとでは、この関係に固有な特殊な機械設備、特殊な技術、特殊な知識が相互に形成されて行くので、いっそう生産効率は高められることになる。
 こうした状況で、もし資本を効率的に利用するために、その時々に低収益の事業から撤退し、工場を閉鎖し、従業員を解雇し、高収益の事業へと資本を集中すれば、このような特殊な資産は容易に破棄されることになる。それゆえ、このような経営のもとでは従業員は生産効率を高めるために特殊な設備、特殊な技術、特殊な知識を形成しようといったインセンティブをはじめからもたない。そのため、企業にとって本当に必要な人材は育成されず、たとえ育成されたとしても、そのような人材は長く企業には留まらないだろう。
 このように、限定合理的な人間世界では、資本効率の追求と生産効率の追求は必ずしも一致しない。それゆえ、効率重視経営を進めて行くと、経営者は生産効率を無視して資本効率だけを追求してしまうという不条理に導かれる可能性がある。ここに、効率重視経営の限界が潜んでいる。しかし、効率重視経営を進めて行くと、経営者はさらに別の不条理にも導かれる可能性がある。次に、このことを、最近話題になっているエンロン事件を取り上げながら、明らかにしてみたい。

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不条理のケース・スタディ 雪印・三菱自動車 NO2

以下の小論は、「学者が斬る 雪印・三菱自動車で発生した組織の不条理」「週間エコノミスト」 2001年2月13日 58-61頁の草稿文です。

      雪印・三菱自動車で発生した「組織の不条理」
                 中央大学大学院国際会計研究科教授 菊澤研宗
 1.雪印・三菱自動車事件は非合理な現象か
 2000年、夏、雪印は、食中毒発生後、短期間に組織的隠ぺいを行い、被害を拡大させた。同じ夏、三菱自動車は長期間にわたって組織的隠ぺいを行い、事故を発生させていたことが明らかになった。これら二つの伝統ある企業の行動は特殊なケースとして取り上げられ、マスコミから全く無責任で非合理な行動として非難された。
 しかし、これらの事件は、二つの企業に固有の特殊な事件だったのだろうか。これら二つの企業は本当に非合理だったのだろうか。ひょっとしたら、別の企業でも、十分起こりえた現象ではなかったのか。
 これから説明したいのは、これら二つの事件が非日常的で非合理的な現象ではなく、実は日常的に発生する合理的な現象であるということである。もしそうだとすれば、われわれはこのような不条理な現象からいかにして脱出できるのだろうか。以下、拙著『組織の不条理―なぜ企業は日本陸軍の轍を踏みつづけるのか―』(ダイヤモンド社)で展開した最新の組織の経済学理論の光に照らして、これら二つの経済事件を分析してみたい。 

 2.雪印事件と三菱自動車事件のあらまし
 さて、雪印事件が発生したのは、2000年6月末である。和歌山県の消費者から、雪印低脂肪乳を飲んで、3人の子供が食中毒症状を起こしたという苦情電話が雪印に入った。翌日、大阪市が雪印大阪工場へ立ち入り検査を行い、雪印西日本支社が記者会見を行って、食中毒事件が発覚した。
 事件が発覚した時点で、すでに発症者は200人を越えていた。その後、被害者は増加し、一挙に3700人へと拡大した。雪印によると、原因は大阪工場の低脂肪乳工程のバルブに黄色ブドウ球菌が発生していたことにあるとし、大阪市が工場を無期延期の営業禁止にした。こうして、事態はいったん収束するかに思えた。
 しかし、その後も雪印の別の製品にも問題があることが判明し、しかも大阪工場だけではなく、別の工場でも問題があることが明らかになった。さらに、大阪工場のバルブからは、実は黄色ブドウ球菌だけでなくセレウス菌も検出されていたことも後で明らかになった。
 こうして、事件発覚後、雪印が公表してきた一連の事実がいずれも不正確であり、しかも立ち入り調査の際に組織的に嘘の報告と情報を流し続けていたことが明らかになった。こうした雪印の対応の遅れと組織的隠ぺいのために、被害者は1万人以上に膨れ上がり、過去最大級の食中毒事件となったのである。
 同様に、2000年7月末に、三菱自動車事件が発覚した。7月上旬に、匿名情報を機に運輸省が三菱自動車に特別監査を行って、長年にわたる三菱自動車のクレーム隠し・リコール隠しが明らかになった。隠していた情報は、98年4月以降だけでも6万5000件にのぼる。
 三菱自動車は、1977年以来、運輸省の定期検査に対して、ユーザーからのクレームの書類を意図的に隠し続けてきた。クレーム情報は、「秘匿」「保留」を意味する「H」マークを付けて秘密扱いとし、運輸省の定期検査の際、その書類を社内のロッカーに大量に隠していたのである。また、リコール隠しについても、1969年から30年以上にわたって恒常的に実施されてきた。三菱自動車は、ユーザーから寄せられた欠陥車情報を運輸省に届けずに、内密に車を修理してきたのである。
 このような長年にわたる隠ぺいは、リコール制度導入以来なされてきたので、現在の部長だけではなく、部長から昇進した歴代の役員も薄々知っていたとされる。この組織的な隠ペイによって、人身事故を含むいくつかの事故が起きたといわれており、社会に対して大きな不安を与える大事件となった。
 以上、いずれの事件も、事実を早急に正直に公表し合理的に対応していれば、問題は拡大しなかった事件である。しかし、このことを理解できないほど、雪印や三菱自動車の社員は非合理で非倫理的な人間集団だったのだろうか。伝統ある二つの企業には、多くの有能な人材が存在したはずである。それにもかかわらず、この日本を代表する企業は、なぜこのような非合理で非倫理的な行動をとり続けたのであろうか。

 3.なぜ組織は後もどりできないのか―組織の不条理を説明する理論―
 さて、伝統的な新古典派ミクロ経済学によると、すべての人間は完全合理的と仮定され、企業が競争的に生産効率性を追求し、生産販売することによって資源は効率的に利用されることになる。このような世界では、常に効率性と正当性と合理性は一致する。
 しかし、組織の経済学と呼ばれている取引コスト理論によると、すべての人間は限定合理的であり、そのために人々は相手の不備につけ込んで自己利害を追求するものとされる。それゆえ、取引を行う場合、相互に駆け引きが展開され、取引上の無駄、つまり取引コストが発生する。この取引コストのために、企業は不正な行動から正当な行動へと合理的に修正できなくなる。何よりも、不正で非効率な行動にとどまることが合理的になるといった不条理に陥ることになる。
 たとえば、いま、ある企業経営者が無知なためにいくぶん不正な戦略を選択したとしよう。経営者はこの戦略を進めるために、多額の投資を行い、活動し始めたとする。事業が順調に進む中、経営者は不正に気づき、しかもそれが漏れたとする。この場合、明らかに不正を公表し、いったん後もどりして、新たに正当な戦略のもとに出直した方が倫理的である。しかし、企業は不正を公表し、後もどりできるだろうか。
 取引コストが発生する世界では、経営者は不正を公表し、後もどりするには、多大な取引コストが発生する。もし不正を公表すれば、取引関係が解消され、これまで投資してきた資金は回収できない埋没コストになる。このコストを負担し、正当な戦略のもとに事業を再開するためには、さらに様々な取引上の嫌がらせや駆け引きを経験することになるだろう。そのために、多大な取引コストが発生し、このコストのために事業再開は絶望的となるかもしれない。これに対して、もし漏れた不正を企業全体で何とか隠し、既存の戦略を維持できれば、これら莫大なコストは発生しない。隠し通せる可能性も、ゼロではない。
 この場合、企業にとって、既存の戦略をめぐる不正を公表し、新しい正当な戦略へ移行するよりは、不正が広まらないように隠ぺい工作を駆使した方が合理的となる。こうして、企業は後もどりすることなく、合理的に不正を重ねて行くという不条理に導かれるのである。これが、取引コスト理論の考えである。

 4.後もどりできなかった雪印と三菱自動車の合理性 
 このような観点から、改めて雪印と三菱自動車のケースをみてみよう。まず、雪印では、中毒被害が拡大する前に、一部の社員は既存の生産システムに重大な問題があることに気づいていた。しかし、雪印はすべてを公表し、リセットできない状況にあった。すべてを公表した場合、あまりにも膨大なコストが発生する状況に置かれていたのである。
 とくに、雪印のような食品会社では、事実を正直に公表すれば、即座に取引関係は解消され、これまで投資してきた巨額の資金が回収できない埋没コストになる。そして何よりも、これまで築き上げた伝統と信頼がもたらしたベネフィットも失うことになる。しかも、これらコストを負担し、新しい生産システムのもとに再び良好な信頼ある取引関係を回復するためには、膨大な取引コストが発生する状況にあった。つまり、事実を公表すれば、一から出直すのではなく、マイナスからはじまるような状況に置かれていたのである。もしかして生産再開は絶望的となるかもしれない。これに対して、もし事実を隠し、現状を維持できれば、これらのコストはすべて回避できる。しかも、隠し通せる可能性もゼロではない。
 こうした状況に置かれたために、雪印は後もどりできなくなったのである。つまり、事実を公表し、後もどりするよりは、事実が広まらないように隠ぺい工作を駆使し、このまま不正に生産を再開した方がはるかに合理的となる状況に陥ったのである。
 同様に、三菱自動車でも、顧客のクレームから社員は自動車に欠陥があることを早い時期から気づいていた。しかし、三菱自動車もまた事実を公表し、リセットできない状況にあった。つまり、リセットするには、あまりにも膨大な取引コストが発生する状況に置かれていたのである。
 たとえば、三菱自動車が事実を公表すれば、これまで築きあげてきた多くの良好な取引関係を喪失し、投資してきた資金は回収できない埋没コストになる可能性があった。事実、この事件発覚後、防衛庁と郵政省等との良好な取引関係を喪失し、膨大な埋没コストを生み出した。また、事実を公表すれば、再建をかけて、外国企業と良好な関係を形成する必要のあった三菱自動車にとって、この関係に特殊な投資も埋没コストになる可能性があった。したがって、もし事実を公表すれば、これらのコストを負担し、新しい戦略のもとに生産を再開し、信頼ある取引関係を回復するには、膨大な取引コストが発生する可能性があった。これに対して、もし事実を組織的に隠ぺいし、不正に生産を続けることができれば、これらの膨大なコストは発生しない。しかも、隠ぺいできる可能性もゼロではない。事実、これまで隠ぺいしてこれたのである。
 こうした状況におかれたために、三菱自動車はリセットできなくなったのである。つまり、事実を公表し、後もどりするよりは、現状を維持し、事実が漏れないように、不正に生産を続けた方が合理的だったのである

 5.いかにして組織は不条理を克服できるか―閉ざされた組織から開かれた組織へ―
 以上のように、雪印も三菱自動車も実は非合理ではなく、取引コストの存在のために、後もどりできず、合理的に事実を隠ぺいせざるをえない状況に陥ったのである。それは、非合理ではなく、合理的な不正という不条理な現象なのである。しかも、このような不条理な現象は特殊な現象ではなく、条件さえ整えばどこでも発生する現象なのである。しかし、なぜ雪印も三菱自動車もこのような後もどりできない状況に陥ってしまったのか。それは、両企業とも内部で批判的議論を拒絶する「閉ざされた組織」だったからである。
 閉ざされた組織では、各メンバーがあたかも完全合理的であるかのように振る舞うので、批判的議論は展開されない。与えられた戦略は無批判に受け入れられ、正当化され、たとえ不正や非効率が発生していても、見て見ぬふりをする。
 しかし、やがて不正や非効率は組織にとって無視できないほど大きくなる。不正は漏れるかもしれない。このとき、不正や非効率を排除するために、不正を公表し、新しい戦略のもとに出直そうとしても、組織はもはや変化できない。というのも、変化するにはあまりにもコストが高いからである。
 それゆえ、組織は現状の戦略を維持し、不正を隠し続け、非効率を放置しておく方が合理的となる。こうして、閉ざされた組織は不正と非効率を排除できないまま、不条理に陥り、やがて淘汰されて行く。
 このような組織であったために、雪印は事前に参天製薬の目薬のようにすぐに回収した事例があったにもかかわず、その事例から学ぶことができなかったのである。また、三菱自動車も事前にダイハツ工業のリコール届け出の遅れや富士重工のリコール隠し問題などが先行例としてあったにもかかわらず、学べなかったのである。
 これに対して、内部で批判的議論を認める組織では、メンバーは自らが限定合理的であり、無知であることを自覚しており、どんな戦略も決して完全ではないことを知っている。与えられた戦略には権威があり、その権威に抵抗できないかもしれない。しかし、それが不完全な人間が考案した戦略であるかぎり、一度は問うことが人間としての責務なのである。
 そして、もし戦略に問題がなければ、他でもなく自らの責任においてその戦略に従う。もしそこに不正や非効率がみいだされれば、様々な新しい戦略が提出される。どの戦略が選択されるかは、発生するコストよりもえられるメリットが大きいという条件を充たすかどうかにかかっている。 こうして選択された新しい戦略は、メンバー各自の責任をもって遂行される。必要とあれば、いつでもその戦略は批判的に議論される。そして、再び不正や非効率がみいだされるならば、様々な戦略が提案される。
 こうして、組織は絶えず非効率や不正を排除しながら進化して行くので、不条理に陥ることはない。このような組織には、「強制」という概念は成り立たない。それは自由人からなる組織であり、絶えず未来に向かって進化する「開かれた組織」なのである。
 幸い、今回の事件によって、雪印も三菱自動車も致命的な状態に陥っていない。むしろ、今回の事件から、二つの企業は勇気をもって批判的議論を進めれば、大いなる企業進化の機会をえたことになるだろう。

不条理を分析するための理論 NO1

 以下の小論は、「組織の不条理:限定合理性からのアプローチ」「ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー」 2001年6月号 131-13頁とは、別バージョンのものです。ダグラス・ノースについて書いています。関心のある方は上記も読んでみてくだざい。

          組織の不条理を理解するために
        ―なぜ組織は不条理に導かれるのか―
                  中央大学大学院国際会計研究科教授 菊澤研宗
1 現代企業の病理としての組織の不条理
 バブル経済崩壊後、日本では企業の不祥事が続発している。最近でも、雪印の食中毒事件、三菱自動車のリコール隠し、核燃料加工会社JCOの臨界被ばく事故などとどまるところを知らない。これら日本企業の一連の不祥事は、今日、いずれもマスコミから全く無知で非合理な行動として非難されている。
 しかし、これら一連の事件は、はたして無知に起因する事件だったのだろうか。本当に、非合理だったのだろうか。確かに、無知で非合理なために起こった事件もあるかもしれない。しかし、現代の日本企業で発生している不祥事のほとんどは、実は不正であることを知りつつ企業組織のためと思って発生した事件が多いように思われる。つまり、社会利益よりも企業利益を優先したために起こった事件が多いのである。
 今日、われわれは、しばしば企業利益と社会利益や社会倫理と一致しないような状況に置かれる。そして、企業人は、社会利益や社会倫理を捨てて、企業利益を優先することになる。それは、社会にとっては不利益で不正であるが、企業にとっては合理的な行動なのである。このような合理的な不正あるいは合理的な非効率が、今日、多発する不祥事の本質であると思われる。
 私は、このように合理的に不正に導かれたり、合理的に非効率に導かれる組織現象のことを、拙著「組織の不条理」(ダイヤモンド社 2000年)で、「組織の不条理」と呼んだ。そのような不条理に陥った組織は社会的に不正で非効率なので、やがて不正は暴かれ淘汰される。以下、現代の組織に宿る組織の不条理を理解するのに役立つ名著4冊を紹介したい。

2 人間の合理性には限界がある
 われわれは、いろんな広告や雑誌から情報を集め、ある店でブランド品を安く購入し、いい買い物をしたと思っても、後で同じブランド品が別の店でもっと安く売っていたという苦い経験があるだろう。また、この商品は絶対に売れると思っていたのに、実際にはそれほど売れなかったり、逆に全く売れないと思っていた商品が売れてしまうこともあるだろう。さらに、電車の中で座っていて前に立っている年輩の方に席をゆずるべきかどうか悩んだ末、実際にゆずってみると、その年輩の人は私は年寄りではないという顔で逆に迷惑がられた経験もあるかもしれない。
 このように、人間が頭の中で合理的、効率的、正当だと考えていることと実際に合理的、効率的、正当だということが必ずしも一致しないことを、最初に経営学分野に明示的に持ち桙qだのは、ノーベル経済学賞を受賞したハーバード.A.サイモンである。
 サイモンは、彼の著書『経営行動』で人間の能力には限界があり、限定された認識能力の中でのみ人間は合理的であること、つまり人間は意識的にあるいは主観的に合理的にしか行動できないとし、このような人間の限定合理性を学問の出発点にすることを主張したのである。
 この全く当たり前のことを学問上に持ち出すのに非常に時間がかかったのは、経済学において経済人という完全合理的な人間が仮定され、この完全合理的な人間の立場から現実を分析するというスタイルがすでに確立されていたからである。
 しかし、このような神の立場からの分析では、現実の行動はすべて非効率なものとして認識されることになる。しかも、この分析から導き出される政策提言は、結局、すべての人間は今後より完全合理的に行動すべきであるというほんとんど実行不可能で空虚な内容になってしまうのである。
 サイモンは、より意義ある政策を展開するために、限定合理的な人間の立場に立って現実を分析する必要があると主張した。この意味で、サイモンは著書『経営行動』を通して組織論研究を神の立場から人間の立場に戻したのである。

 3 取引コストが合理的に非効率な制度を維持する
 このサイモンの議論に影響され、限定合理的な人間はすきがあれば相手の不備に付け込んで、悪徳的に自己利害を追求すると考えたのは、オリバー・E・ウイリアムソン(『市場と階層組織』)である。そのために、市場取引する場合、駆け引きが起こり、この取引上の無駄つまり「取引コスト」が発生すると考えた。そして、この取引コストを節約するために市場取引に代わって組織的取引が制度として発生するとしたのである。
 しかも、ウイリアムソンは組織内部でも取引コストは発生すると考え、組織は組織内取引コストを節約するために仲間組織、階層組織、事業部制組織、コングロマリットなどの様々な効率的組織制度へと発展するとした。このように、ウイリアムソンは取引コストが様々な効率的な組織制度を生み出す原動力だと見なしたのである。
 しかし、このウイリアムソンの議論に歴史的立場から疑問をもったのは、ノーベル賞を受賞したダグラス・C・ノースであった。彼は、著書『制度・制度変化・経済成果』において、ウイリアムソンがいうように取引コストを削減する効率的制度を形成して発展している経済もあるが、取引コストを削減する制度を形成できずに停滞している経済もあるとした。なぜ貧しい国が豊かな国の制度を採用できないのか。この問題をウイリアムソンは解いていなかったのである。
 ノースは、企業組織が従う「ルール」のことを「制度」とよび、歴史的に効率的な制度だけでなく、非効率な制度も存在してきたとする。たとえば競争状態よりも独占状態を作り出すような制度あるいは機会を拡大するよりも制限するような制度は、それが社会的に非効率であったにもかかわらず、存在してきたのである。そして、ある国ではなおこのような非効率な制度のもとに置かれているのである。
 なぜこのような非効率な制度は消滅しないのか。なぜより効率的なものへと変化しないのか。ノースによると、制度はいかに非効率で非民主的であっても、それによって私的利益をえる人々が存在し、制度が変化することに抵抗するのだという。つまり、制度を変化させるためには、これらの利害関係者との間に取引コストが発生するのである。そして、このような取引コストがあまりにも大きい場合、社会は非効率な制度を維持することが合理的になるのである。
 このように、ノースは取引コストによって合理的に非効率な制度が維持されることを歴史的立場から明らかにしたのである。

 4 取引コストが合理的に非効率な(不条理)行動に導く
 取引コストが非効率な制度を合理的に維持するだけではなく、取引コストが組織を非効率に導くことを理論的に説明していたのは、ロナルド・H・コースだった。ノーベル経済学賞を受賞したコースは、ウイリアムソンやノースよりもずっと前になぜ組織は存在するのかを問い、人間の限定合理性を認識し、取引コストの存在を指摘して、すでにこの問題を解いていたのである。この組織の存在問題を解いたコースの著名な論文「企業の本質」ともう一つの彼の革新的論文「社会的費用の問題」を含む論文集が、彼の著書『企業・市場・法』である。
 コースは、後者の論文で取引コストがどのような非効率な効果を生み出すのかを説明するために、取引コストのない世界と取引コストのある世界を比較してみせた。この比較から導き出されたコースの議論は様々に解釈されているが、以下のような解釈も可能である。すなわち、取引コストがゼロの場合、社会的効率性と私的効率性は一致するが、取引コストが発生する場合、社会的効率性と私的効率性は必ずしも一致せず、個人は社会的効率性を無視して私的効率性を合理的に追求するということである。したがって、私的には効率的であるが、社会的には非効率な現象が起こるということである。
 このことを、コースを説明する際のおきまりの事例、すなわち企業と公害の例を用いて説明してみよう。いま、排煙を出す工場とそれに悩まされている近隣住民との間に紛争が発生しているとする。一方で企業は自己利益を追求するために環境を無視して過度に生産し、他方で住民は健康を考えて過度に企業の生産を抑制しようとしている。
 ここで、取引コストゼロの場合について考えてみよう。もし企業と住民が取引コストなく自由に交渉取引できるならば、一方で住民は企業にお金を支払って生産を減らしてもらい、公害による損害を減らそうとするだろう。他方、企業も住民からお金の支払いがあれば、生産を多少削減しても同じ収益をえることができる。このように、もし企業と住民が取引コストなく自由に交渉取引できるならば、企業は私的にも社会的にも効率的な生産に導かれる。
 しかし、実際には、人間は限定合理的なので、住民と企業との交渉取引には絶えず駆け引きや嫌がらせや感情的な問題が起こる。そのために、両者の交渉には取引コストが発生する。とくに、企業が市民を無視して公害を出し続ければ、市民の反感は高まり取引コストは増大する。また、企業も現状の生産体制にすでに多額の投資を行っていれば、簡単に後もどりできないので、取引コストは高まる。こうして、企業はたとえ社会的に悪といわれても、取引コストを考慮すると、公害を出し続けながら生産した方が合理的になるといった不条理に陥ることになる。
 このように、取引コストが発生する場合、私的効率性と社会的効率性は必ずしも一致しない場合がある。この場合、企業は、社会効率や社会倫理を無視して、私的効率性を合理的に追求するという不条理に陥ることになる。もちろん、このような企業行動は客観的には効率的ではないので、やがて淘汰されることになる。

5.いかにして組織の不条理を回避できるか―閉ざされた組織と開かれた組織―

 以上のように、サイモン、ウイリアムソン、ノース、コースの議論から、人間の限定合理性と取引コストが経済や組織を進化させるだけではなく、逆に経済や組織を不条理に導いて淘汰させる原因でもあることが理解できる。それでは、不条理に陥らずに、経済や組織を進化させるためには、どうすればよいのか。
 それは、われわれが限定合理性とどのように向き合うかにかかっている。もしわれわれが限定合理的であることを忘れ、あたかも完全合理的であるかのように傲慢になって内外からの批判を拒絶したり、あるいは逆に限定合理性のために極端に失敗を恐れて批判を拒絶するような「閉ざされた社会」や「閉ざされた組織」が形成されるならば、そのような経済社会や組織は非効率や不正を排除できない。時間とともに非効率は大きくなり、結局、変革よりも非効率な現状を維持する方がコストが安いといった不条理に陥ることになる。
 これに対して、限定合理的であるがゆえに経済や組織は進化できると考え、経済や組織に発生する非効率や不正を解決する案を提案し、内外からの批判を積極的に受け入れる「開かれた社会」や「開かれた組織」が形成されるならば、そのような社会や組織は絶えず非効率や不正を排除するので、不条理に陥ることはない。そのような社会や組織の未来は開かれている。
 このような開かれた社会や開かれた組織では、非効率や不正が発生した場合、まず批判的議論の前提となる独創的な解決案が提案される。例えば、それは新しい戦略かもしれないし、新しいビジョンかもしれない。しかも、それはGEのジャック・ウェルチのように強いリーダーによって提出されるかもしれないし、ゴールドマン・サックスのスチィーブ・フリードマンのように「暴れん坊たち」の委員会を設置して分権的に提出されるかもしれない。
 いずれにせよ、提出された解決案は常に批判にさらされることになる。そして、もし解決案に問題があれば、解決案は修正されるかあるいは別の解決案が提出されることになる。もし問題がなければ、真理ではなく、いまのところ問題がない解決案として組織メンバーはそれに自発的に従うことになる。このとき、その解決案にもとづく上からの命令はメンバーにとって強制ではなくミッションに変わる。このような組織や社会には、「強制」という概念は成り立たない。この意味で、開かれた社会や組織は自由人のための社会であり、組織である。それは、不条理にとらわれない進化する組織であり、成長する経済社会なのである。
 さて、あなたは、人間の限定合理性とどのように向き合うのだろうか?
 

2006年4月24日 (月)

新制度派登場の歴史 NO1

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 従来、経済学者は企業組織にはほとんど関心をもたず、市場の役割だけに注意を払ってきた。もし自由に交換取引できる市場があれば、能力のない人は財を売り、能力のある人は財を買い取るので、市場取引によって能力のある人に財が配分され、財は効率的に利用されることになる。このような効率的資源配分システムとしての市場の役割を厳密に説明してきたのが、《新古典派経済学》である。
 しかし、市場を唯一の効率的資源配分システムとして説明するために、新古典派経済学ではこれまで企業は「完全合理的」に「利潤極大化」する経済人として単純化されてきた。つまり、企業はあたかも組織的広がりをもたない物理学の質点のような存在として仮定されてきたのである。このような新古典派的企業観は、以下のように経営学分野と経済学内部から、それぞれ批判を受けることになった。

2. 企業の行動理論
 まず、経営組織論分野から批判してきたのは、サイモン*である。彼は、著書『経営行動』*において、人間は経済学で仮定されているような完全合理的な経済人ではないとし、何よりも人間の情報収集・処理・伝達能力は限定されており、制約された情報の中で意図的に合理的にしか行動できないということ、つまり人間は《限定合理性》に従っているとした。
 Simon しかも、サイモンは、このような制約された合理性に従う人間には行動に至るまでに多様な意思決定プロセスが存在し、どの意思決定プロセスを通して最終的に行動に至るかは、その人間の満足度・要求水準に依存すると考えた。そして、企業行動や人間行動を理解するためには、まず行動に至るまでの意思決定プロセスを明らかにし、そのプロセスを理解する必要があると主張したのである。
 このような考えのもとに、サイモン、サイアート/マーチ*等によって展開されたのが、《企業の行動理論きぎょうのこうどうりろん》である。彼らによると、新古典派の主張に反して、企業は必ずしも利潤極大化していないとする。というのも、企業組織は、株主、労働者、債権者、流通業者、供給者、顧客等の様々な固有の利害をもつ参加者の連合体とみなされ、株主の利害だけを極大化することは不可能だと考えられたからである。何よりも、これら異なる利害をもつ参加者間に発生するコンフリクトをいかにして解決するのか、その意思決定プロセスを記述することによって、企業行動を理解しようとする研究が企業の行動理論なのである。

3. 所有と支配の分離論
 他方、経済学内部から新古典派的企業観を批判してきたのは、企業の制度的側面に関心をもっていたヴェブレン*を中心とする制度派経済学者たちであった。この制度派経済学の流れから、質点としての新古典派的企業観に対して決定的な批判を行ったのは、バーリ/ミーンズ*であった。
 彼らは、著書『近代株式会社と私有財産』*において現代巨大企業では所有と支配が分離しているので、新古典派に反して現代企業は利潤極大化していないと主張した。彼らによると、現代巨大企業では株式は分散し、いかなる株主も企業を十分支配するだけの株式を所有していないとする。何よりも、企業を支配しているのは株式をもたない専門経営者であり、しかも所有者である株主と支配者である経営者の利害は異なるので、経営者は単なる株主の代理人ではないとした。したがって、現代巨大企業は新古典派経済学が仮定しているような単なる質点ではなく、所有と支配が分離した巨大組織であり、しかも所有者と支配者の利害が異なるために企業は利潤極大化できないとしたのである。

4. 経営者支配の企業理論
 このような事実を積極的に取り入れながら展開された一連の企業の経済理論が、ボーモル*、マリス*、そしてウイリアムソン*などによって展開された《経営者支配の企業理論》である。彼らによると、所有と支配の分離によって自由裁量を勝ち取った経営者は株主の忠実な代理人として利潤極大化するのではなく、何らかの制約のもとに経営者自身が望む固有の目的を追求するものと考えられた。
 例えば、ボーモルは経営者の報酬や名声が売上高に関係していることに注目し、企業は維持に必要な最低限の利潤を制約条件として売上高を極大化しているとする売上高極大化論を展開した。また、マリスは、現代企業が利潤極大化ではなく、物的、人的、知的資源の蓄積に関心をもち、成長率を極大化しているとする企業成長率極大化論を展開した。さらに、ウイリアムソンは現代企業の経営者は裁量可能な利益を極大化するという経営者効用極大化論を展開し、例えば経営者は自らの威信を高めるために大規模なスタッフ組織の上に君臨しようとするとした。これらのモデルは、それぞれ異なっているが、いずれも株主の利益を犠牲にして経営者が《効用極大化》するという点で同じであった。

5. 新制度派経済学
 以上のような経営学と経済学の流れから、人間は限定された情報の中で意図的に合理的にしか行動できないという「制約された合理性」の仮定と人間は効用極大化するという「効用極大化」の仮定を受け継いで登場してきたのが《新制度派経済学》である。
 この新しい企業研究の流れは、主に企業をめぐる組織制度の形成や発生を分析しようとしているために、制度派と呼ばれている。しかも、企業の制度的側面に注目した研究は、過去、ヴェブレン等によって展開されているので、この新しい制度論の動きは新制度派経済学と呼ばれているのである。

 しかも、この新制度派経済学は単一の理論ではなく、コース*やウイリアムソンによって展開された取引コスト理論、ジェンセン/メックリング(M. C. Jensen and W. H. Meckling)やファーマ*によって展開されたエージェンシー理論、そしてアルチャン(A.A.Alchian)やデムゼッツ(H, Demsetz)によって展開された所有権理論などの一連の理論から構成されている。

6. 取引コスト理論
 これらのうち、取引コスト理論は、ウイリアムソンの『市場と企業組織』*で展開されているように、制約された合理性と効用極大化(機会主義)という人間仮定のもとに、企業組織は市場の代替的資源配分システムとみなされる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 また、エージェンシー理論では、ジェンセン/メックリングの著名な論文"Theory of the Firm: Managerial Behavior, Agency Costs and Ownership Structure(1976)"で示されたように、企業は経営者を中心とする複数のエージェンシー関係から構成される契約の束(ネクサス)とみなされる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  さらに、デムゼッツの論文"Toward a Theory of Property Rights(1967)"で指摘されたように, 所有権理論では人々が取引しているのは実はモノそれ自体ではなく所有権であることが強調される。例えば、冷蔵庫を購入した場合、その冷却機能の所有権だけを購入しているのであって、金属物質としての特性を購入しているわけではない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  

 以上のような新制度派経済学*しんせいどはけいざいがくは、組織を経済学的に分析しているので、今日、狭い意味で《組織の経済学》とも呼ばれている。もちろん、広義には組織上の様々な制度をゲーム理論*によって説明しようとする研究も広く組織の経済学と呼ばれており、さらにネルソン/ウインター*たちによって展開された企業組織の歴史的発展プロセスを経済学的に説明しようとする進化経済学も今日組織の経済学と呼ばれている。これら広義の組織の経済学研究が、現代企業理論のフロンティアを形成しているのである。

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2006年4月23日 (日)

アジア編

アジア
(タイ・バンコク)
バンコクは大変エキサイティングな街です。
オリエンタルホテルでアフタヌーン・ティを飲みたかったのですが、タイのタクシードライバーは私を宝石店に連れて行き、結局、オリエンタルホテルには行けませんでした。タクシーは信頼できないので、タイシルクで有名なジム・トンプソン店へは電車で行きました。

タイのシャングリラホテルが行っているディナークルージングは最高です。また、オリエンタルホテルのアフタヌーンティーも最高です。

(マレーシア・クアラルンプール)
この街は、他の街とくらべて、夜でも静かな街です。さすがイスラム教の世界で、酒を飲んで酔っぱらっている人は少ないように思いました。.

(マレーシアのペナン島)
マレーシア最大のリゾート地ですが、少し地味。
船に乗って、釣りをしましたが、船がぼろくて、船酔いします。

また、パヤ島でシュノーケリングができ、
熱帯魚をみることができます。ただ、
魚がやたらに多く、時々、えさのパンと
間違えて、魚が足をかっじってくるのには
驚きました。

 また、ペナン島からパヤ島へ向かう船がぼろくて、乗客がほとんど全員船酔いで吐いていました。
あんな苦しい思いをしてまでパヤ島には二度と行きたくないという気持ちです。


(シンガポール)
 シンガポールでは、ナイトサファリが必見です。動物はやはり夜生き生きしています。マーライオンにはちょっとがっくりしました。あまりにも小さい。

(香港)
 香港は、すべてがおいしい街でした。しかし、ちょっと価格が高いような気がしました。女人街は、コピー商品であふれていました。

香港の夜のクルージングは本当にすばらしい。夜景がきれいです。昔、日本軍がこの島を占領したのか・・・・と、つい思ってしまいました。

(韓国)
ホテルでは、英語より日本語が通じるのには驚きました。韓国料理も思ったよりもおいしいとおもいました。

ヨーロッパ編

ロンドン
アジア諸国のタクシードライバーに何度もひどい目にあい,
未だにタクシードライバーに良い印象をもてないでいましたが、ロンドンのタクシーは素晴らしい。感動しました。とても親切でだますようなことはないとおもいました。遠回りしているときも、ちゃんとここは一方通行だと説明してくれました。街は、大きく複雑な感じがしました。歴史的な建物も多いのですが、何か東京に似ているような印象をうけました。


パリ
夜パリに着いたせいか、パリの夜景に感動しました。
すべてが映画に出てくるような街並み。
パリには、規制のため高層ビルがほとんとありません。
また、非常に計画的に街が作られており、とにかく
センスの良さを感じます。
セーヌ川のクルージングも素晴らしい。

また、ベルサイユ宮殿はすばらしい。ウィーンのシェ-ンブルン宮殿とどこか似ています。マリーアントワネットが嫁いできたからでしょうか。

パリでの問題は、レストランでした。
私が注文したものとは別のモノばかりもってくるので、
まいりました。
街でも、ときどき通行人に道をたずねてみましたが、
フランス人は思ったより英語がうまいとは思いませんでしたね。タクシードライバーも英語ができない人がいます。
しかも、タクシーは基本的に3人乗りなので、4人で行くときには交渉が必要です。

ローマ
ローマはひったくりが多く、少し怖いのでは、と思っていましたが、思った以上に良い街でした。どんな店でも、食べ物はおいしいです。街全体が古代ローマの雰囲気を残しています。
フランスに比べてレストランでは英語はよく通じました。ホテルでも、フランス人よりも英語は広く通じるようでした。


ベルリン
とくに、旧東側には歴史的建物が多く、驚きました。すべてが壮大な建物なのですが、なぜかどの建物も汚染されて真っ黒な状態です。

今は、建設ラッシュです。ドイツはこれからさらに発展するかもしれません。

ドレスデン
この街は、大戦中、歴史的な街ということで、多くのドイツ人が疎開していた街です。ほとんどドイツの敗戦が決定的であったにも関わらす、米英は航空攻撃によって数時間で街を破壊してしまいました。現在は、ドイツ人の執念で瓦礫を寄せ集めてもとの姿にもどそうとしています。

マイセン
陶器の街です。ここではマイセンも比較的安く買えるかなと、思っていましたが、やはり高いものでした。
マイセンの磁器工房で、英語で質問しようとしたら、英語のできる人がほとんどいなかったため、大変な騒ぎになってしまいました。私は、ただマイスター制度について質問したかったのですが・・・・・

ハイデルベルク
ハイデルベルグ城を歩くと、この同じ道をゲーテが歩いたのかと思うと感動します。
また、どのくらいドイツが環境政策が進んでいるかを
知るために、マクドナルドに入ってみました。やはり
ゴミの捨て方違います。どのようにか。みなさん自分で経験してみてください。


ローテンブルク
城壁で囲まれた街、とてもきれいです。
町全体がおとぎの国のようです。
・・・・・・・未完

フッツセン
新白鳥城(ドイツ語でノイシュバインシュタイン城)
はすばらしい。孤独な王子の城です。
・・・・・・未完


ウイーン
この街は、直感的に平和なのどかな感じのする街です。街はバイオリンの音色で満ちています。また、骨董品の店もも多く、楽しめます。
私は、ヴィトゲンシュタインの通っていた喫茶店に行き、こんなところで論理実証主義哲学を展開していたのだなあと、思いにふけってしまいました。


ザルツブルグ
すばらしい街です。
サウンド・オブ・ミュージックの世界です。
未完・・・・・・・


プラーハ
この街には、すばらしい歴史的建物がたくさんあります。ジプシーが多いということで、危険な街ニも言われていますが、それ以上にぼったくりタクシーが多いようです。
私も用心して、自分のホテルに帰るときには、有名なホテルにいってホテルのタクシーを利用しました。
プラーハでは、安上がりですまそうと、スーパーマーケットでサンドイッチを買おうと思い、通行人に場所をたずねましたが、全く英語が通じませんでした。ボディランゲイジを使って、何度も「マーケット!マーケット!」と言ってやっと理解してもらいました。

ブタペスト
ハプスブルグ王室御用達のヘレンドで有名な街です。
ヘレンドのことを全く知らず、いま思えば、買って置けばよかったなと思います。ハンガリーの一部の観光地では結構日本語を話す人がいました。

ドナウ川クルージングは少し地味でした。

米国編

米国

ニューヨーク滞在記

今年2003年9月1日から7日までニューヨークに滞在した。これまで1990年代ニューヨーク大学スターン経営大学院に留学し、その後、米国アメリカンセンターのご招待で視察した頃との経験を比較してみましよう。

1.日本人にとって治安がよくなった。
 10年前は、アメリカの景気が悪く、日本の景気がまだよたかった頃、ニューヨークの街を歩くと、ホームレスが多く、街の雰囲気が非常に悪い感じでした。ニューヨークの日本人は特に目立っており、すきあらば、日本人から金をとってやれという感じがあり、強い視線を感じました。
 しかし、今は日本人は特別ではなく、だれも日本人をそれほど意識していない感じでした。昔は、日本人と見られないように、ジーンズとスニーカーをはいてニューヨークになじめと言われていました。ジーンズをほとんどはいたことのない私が、ジーンズを買うために最初に入ったお店が当時まだ日本人にはあまり知らていないGAPでした。
 とにかく、いまは街がやさしい。豊かな感じ。夜も安心して歩けます。昔は行ってはいけないといわれていたロアーマンハッタンのABCストりートも今は若者の最先端のストリートになっていると聞いて驚きました。

2.ある意味で活気がなくなったチャイナタウン
 米国が不景気な90年代始め、ニューヨークのチャイナタウンはポロ・ラルフローレン、トミー、シャネル、そして高級時計などのブランドの偽物であふれかえり、非常ににぎわっていました。ですから、偽の時計を買うときには、「外見はブルガリで、中身はメイドインジャパンの印のある時計を買うと長持ちしていいよ」といわれていました。
 しかし、今回いってみると、偽ブランドはいっそうされていました。人もそれほど多くなく、中心であるモットー・ストりートも何か寂しい感じでした。言い方を変えると、やはり治安がよくなっているといえるのでしょう。

3.やはりミュージカルのチケットは劇場で

今回、ミュージカルを3つ観ました。
(モダン・ミリー)
これは最高!本当にアメリカらしい
カンザスからニューヨークへきた田舎娘がだんだん洗練されてニューヨーカーになって行く・・・・

(オペラ座の怪人)
これも最高!一押し!何回見てもいい
音楽、ストーりーすべてよし!
パリ・オペラ座の地下に住む天才化け物作曲家が
無名のオペラ歌手クリスティーに恋して
荒れ狂う・・・・・

(マンマミアー)
少し期待はずれ
ABBA世代の私としては、少し不満

70年代にはやったアバの曲に従って
無理矢理ストーりーを作った感じ・・・

チケットはどんなに人気のあるミュージカルでも劇場のボックス・オフィスに直接行って「Can I have todays ticket?」といえば100%購入でいます。MayIではなく、ニューヨークではCan Iです。

一番いいオーケストラ席は100ドル、これをホテルや旅行会社を通すと手数料20%(120ドル)をとられます。一度、お試しを!!!今回もこの方法で、いずれも舞台から正面3列目の席を確保できました。役者の表情がはっきりわかるので、最高!

今回、隣に座った米国人女性がやたらに「どうしてこのミューカルを選んだの?Why did you decide to choose this musical?」と何度も話しかけてきてちょっと解答に困りました。私の答えは、有名だから・・・・

4.グランド・ゼロでみたもの

 昔、ツインタワーがあったグランド・ゼロに行って来ました。本当に何もなく、びっくりしました。昔は、ミッドタウンのエンパイヤーステイトビルディングからダウンタウンを眺めるか、逆にダウンタウンのツインタワーからミッドタウンをながめるか。ニューヨークの二大展望場でした。

 しかし、もっと驚いたのは、ツインタワーのすぐ隣に「センチュリー21」というブランド品のデイスカウント店があったのですが、今でも全く壊れておらず、健在でした。たくさんの人でにぎわっていました。ブランドのデイスカウント店は強い!ここで、ブランドの財布でも買おうとおもいましたが、どうして米国の男性用の財布には小銭入れがないのでしょうか?・・・・

5.ファーストフード、レストラン
ニューヨークには、多くのファースト・フード店がありますが、相対的にみんな高くなっているように思いました。
私が好きなのは、スバロー(Sballow?)というイタリアンのチェーン店です。昔は、ピザ、パスタ、サラダ、飲み物で7ドルか8ドルでしたが、今回はパスタとサラダと飲み物だけで必ず10ドル以上でした。

10年前は、韓国人が経営するデリがニューヨークを支配していました。もともとデリはイタリア系でしたが、やがてそれを韓国系の人たちが買っていったということでした。今は、韓国系のデリだけではなく、イタリアン系、アメリカ系、・・・と多様化しているように思いました。

さらに、10年前には、寿司のファーストフード店が多くありましたが、今回はうまく出くわすことができませんでした。ほとんどなくなったのかもしれません。今回は、一度も日本料理を食べませんでした。なぜか。日本料理店はみな高級そうで・・・・一人では入りづらい・・・・

ファーストフード店の英語で、ニューヨークでは、順番を待っていると、店員が怒ったように「Who's next!!!」と言います。懐かしい。

6.日本的なGAP

昔、ニューヨークにはじめてきたとき、とにかくお店やスーパーがちらかっているのには驚きました。スーパーのウールワース、デパートのメイシーズ・・・果物が床に転がっていてもそのまま、お店で服が床に落ちていてもそのまま・・・とにかくルーズというか、少し汚いというか、これがニューヨークでした。

しかし、GAPは違います。今回、ニューヨークは小雨の日が多く、肌寒かったので、長袖を買おうとGAPに入ったところ、日本で見られる傘を覆うビニールを店員がわたしており、びっくりしました。日本的です。もう一店、先に紹介したブランドショップ「センチョリー21」でもビニールをわたしていました。

7.・・・・続く



ボストン
ボストンは、シーフードがおいしく、ニューヨークと違って英国風な街です。ボストンでMITから歩いてハーバード大学に行けると思ったのですが、思ったよりも遠く、ひどい目にあいました。アメリカの大学はとにかく広い。

ワシントンDC
地下鉄をはじめ、すべてが壮大で、人工的な街です。ただし、ジョージ・タウン大学近辺は、食べ物もおいしく、ざわざわしています。

フィラデルフィア
映画ロッキーが練習していたロケ場所である美術館に行きました。また、昔ながらの生活をしているアーミッシュも見てきました。なかなか良い街でした。

ニューオリンズ
素晴らしい街です。どこのレスランもおいしく、ジャズが聞こえてきます。ベニエというドーナッツもおいしい。
また、プランテーションと呼ばれる巨大農園もすばらしく、映画「風と共に去りぬ」を思い出しました。

アナポリス
この街は、米国海軍士官学校がある街です。海軍士官学校は本当に立派でした。小さい街で、黄色い家が多いように思いました。この街には、ワシントンが食事したというレストランがあり、とてもおいしいシーフードをたべました。

ウエストポイント
この街は、ニューヨークから北の方に位置しています。
陸軍士官学校のある街で、士官学校はお城の世界でした。
当時、私は防衛大の教官だったので、防衛大の校舎の貧弱さに恥ずかしい思いをしたものです。

サンフランシスコ
この街は、とても素晴らしい大人しい街です。
ツインピークス、金門橋、フィッシャーマンズ・ウオーフ、アルカトラス島など見るところがたくさんありますし、何よりもシーフードがおいしい。
チャイナタウンもあり、日本料理も食べれます。
ダウンタウンは、道も比較的広く、人もまばらです。

ロサンゼルス
とにかく街が大きいという印象です。
ニューヨークと違って、車がないと、
少し不便かもしれないという印象をもちました。
この街には、ジェーム・ディーンの撮影現場があり、
夜そこに行きました。
街自体というよりも、近くのデズニーランドやユニバーサルスタジオなどがおすすめかもしれません。

菊澤研宗著「比較コーポレート・ガバナンス論」有斐閣 第1回 経営学史学会賞受賞

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目次と「はしがき」および「序論」の一部を紹介します。
目 次

序 論:コーポレート・ガバナンスをめぐる三つの問題 

第Ⅰ部 コーポレート・ガバナンスの目的論

第 1 章   米国のコーポレート・ガバナンスの歴史
第 2 章   ドイツのコーポレート・ガバナンスの歴史
第 3 章   日本のコーポレート・ガバナンスの歴史   

第Ⅱ部 コーポレート・ガバナンスの方法論(1)

第 4 章  日米独コーポレート・ガバナンスの比較制度分析
第 5 章  米国型コーポレート・ガバナンスのエージェンシー理論分析
第 6 章  ドイツ型コーポレート・ガバナンスの所有権理論分析
第 7 章  日本型コーポレート・ガバナンスのエージェンシー理論分析

第Ⅲ部 コーポレート・ガバナンスの方法論(2)
 
第 8 章   日韓タイ政府によるコーポレート・ガバナンスの比較制度分析
第 9 章   韓国政府のコーポレート・ガバナンスのエージェンシー理論分析
第  10 章   タイ政府のコーポレート・ガバナンスのエージェンシー理論分析
第  11 章   日本政府のコーポレート・ガバナンスの取引コスト理論分析
 
第Ⅳ部 コーポレート・ガバナンスの主権論
 
第12 章  日米独企業概念の比較制度分析―イメージとして企業は誰のものか―
第13 章  日米独所有構造の所有権理論分析―実際に企業は誰のものか―
第14 章  日米独統治主権の所有権理論分析―理論的に企業は誰のものでありうるか―
  
 結 論: コーポレート・ガバナンスをめぐる三つの解決案
   ―進化論的コーポレート・ガバナンス論に向けて― 



はしがき

 現在、私は中央大学アカウンティング・スクール(会計専門職大学院)で比較経営論を講義している。この講義の中心的話題のひとつがコーポレート・ガバナンスの国際比較であり、その主な内容が本書である。この意味で、本書は「MBAで学ぶコーポレート・ガバナンス論」と呼んでもいいのかもしれない。
 中央大学のアカウンティング・スクールでは、実務家出身の先生方が半数を占め、日々、いい意味で刺激を受けている。いま、実務の世界ではコーポレート・ガバナンス問題が話題となっているため、いろんな方々がコーポレート・ガバナンスに関連した講義されている。ときどき、気を使って講義内容が重なっていないかどうか、声をかけてくださる先生もいる。こういった先生に対して、私はいつも「大丈夫。問題ないと思います。」と答えている。というのも、私自身も、実務家の方々に負けないように何とか特徴ある講義をしているつもりだからである。いわゆるアカデミックな「MBAで学ぶコーポレート・ガバナンス論」である。
  アカデミックなコーポレーg・ガバナンス論なんて古くて役に立たないと思っている人は多い。まったくカレントな話題をフォローしていない。そういった声も聞く。確かにそうかもしれない。しかし、ここ数年、社会人学生に教え議論してみて、実務の知識もそれほど進んでいるわけではないし、むしろ議論がバラバラで根拠のないものもかなり多いというのが私の印象である。また、実務家の方々が書かれたコーポレート・ガバナンスの本もかなり読んでみたが、同じような印象を受けた。このような印象から、やはり実務的といわれている経営学分野でもなおアカデミックな議論は必要なのだと再認識した。
では、アカデミックな議論とはどのようなものなのか。それは、議論を正当化する科学的な方法を具備しているかどうかである。その主張はなぜ正しいのか。それは理論的に正しいのか。あるいは経験的に正しいのか。それは単なる偶然ではないのか。こういった粘っこい方法論的な問いにも耐えうるような議論を展開することが、アカデミックなのである。単なる成功体験だけでは議論は正当化できないのである。
 本書は、こういった問いに対しても十分対処できるように、「組織の経済学」という近年経営学や経済学分野で急速に発展してきた理論を駆使するとともに、経験的な証拠も出すように努力した。興味深いことに、優秀な社会人学生ほど一見すぐに立ちそうな軽薄な話よりも、むしろ本書のような理論的バックグランドを具備したアカデミックな議論に強い関心をもち、まさにそのような議論を大学院に学びにきたという人も少なくない。
 本書は、そういった人々を対象にするとともに、これからコーポレート・ガバナンスを学びたいという学部学生にも十分理解できるように、できるだけ数学的表現を使わずに論理的に説明するように工夫したつもりである。このような目的を本書が達成しているかどうは、最終的に読者の判断に任せたい。・・・・・・


序 論 コーポレート・ガバナンスをめぐる三つの問題

1.本書の目的 
 前世紀末に出現した最大の企業問題は、コーポレート・ガバナンス(企業統治)問題である。この問題は、経営学的問題であるとともに、経済学的問題でもあり、法学的問題でもあり、そして倫理学的問題でもあった。それゆえ、これまでコーポレート・ガバナンス問題をめぐって、様々なアプローチのもとに様々な議論が展開されてきた。
 しかし、このようにガバナンス問題が学際的であったために、今日、この領域はコーポレート・ガバナンス・ジャングルと呼びうるような非常に錯綜した状況にあり、様々な誤解や混乱が巻き起こっている。そのため、大学や大学院ではじめてコーポレート・ガバナンスを学ぼうとする人々にとって、この領域は非常にわかりにくいという声を聞く。
 このような混乱を生み出している原因は、もちろんアプローチの多様性にもあるが、さらに問題なのはコーポレート・ガバナンス問題が本来複数の問題から構成されているにもかかわらず、一つだと思い込んで議論している点にもあるように思われる。コーポレート・ガバナンス問題をめぐる議論をできるだけ見通しのよいものにするためには、実はガバナンス問題が一つではなく複数の問題から構成されていると考え、これらを一つ一つ理論的に解いていく必要があるように思われる。
 このような観点から、コーポレート・ガバナンス問題を以下のような三つの問題に区別し、国際比較を通してこれら三つの問題を理論的に解く形でコーポレート・ガバナンス論を体系的に展開してみたいというのが本書の目的なのある。

(第一の問題領域)コーポレート・ガバナンスの目的論
 企業を統治する目的はいったい何か。何の目的で企業を統治するのか。企業行動の効率性や企業価値を高める目的で、コーポレート・ガバナンスが展開されるのか。あるいは、企業行動の正当性や倫理性を問う目的で、コーポレート・ガバナンスが展開されるのか。

(第二の問題領域)コーポレート・ガバナンスの方法論
 企業を統治する場合、どのような方法によって具体的に企業は統治されうるのか。市場型ガバナンス・システムを用いて企業は統治されるのか。あるいは組織型ガバナンス・システムを用いて企業は統治されるのか。あるいは、外部コントロール・システムを用いるのか、内部コントロール・システムを用いるのか。

(第三の問題領域)コーポレート・ガバナンスの主権論
 企業は誰のものか。誰が企業を統治するのか。企業統治の主権者は誰か。株主が企業をガバナンスするのか。あるいは債権者が企業をガバナンスするのか。あるいは広く利害関係者が企業をガバナンスするのか。・・・・・・・・・・・
本書では、これら三つの問題をコーポレート・ガバナンス問題とみなして議論を進めるために、コーポレート・ガバナンスの定義をひとまず以下のように非明示的に定義しておきたい。「コーポレート・ガバナンスとは、何らかの目的を達成するために(企業統治の目的問題)、何らかの方法(企業統治の方法問題)を駆使して、利害関係者の誰かが(企業統治の主権問題)企業を監視し、規律を与えること」、これである。
 本書では、これら三つの問題に対して体系的に答えを与え、最終的に上記の非明示的なコーポレート・ガバナンスの定義を明示的なものにする予定である。

2.本書の組織の経済学アプローチ
 2.1 限定合理性アプローチ
 さて、以上のような三つのコーポレート・ガバナンス問題を国際比較を通して理論的に解くために、本書では、今日、経営学や経済学分野でよく知られている「組織の経済学」あるいは「新制度派経済学」と呼ばれているアプローチを用いる。このアプローチは、主に「取引コスト理論」、「エージェンシー理論」、そして「所有権理論」といった理論群から構成されている。
 この組織の経済学アプローチの最大の特徴は、基本的にどんな人間も完全に合理的ではないが、逆に完全に非合理でもなく、人間は「限定合理的(Bounded Rationality)」だとみなす点にある。これは、H.A.サイモン(H.A.Simon)によって明示的に導入された人間観である。
 新古典派経済学では、これまで完全合理的な経済人が仮定され、このような人間仮定のもとに理想的な経済モデルが構築され、これにもとづいて現実が分析され、現実の非効率性が指摘されてきた。この完全合理的な分析から、これまで様々な経済政策が展開されてきた。しかし、結局のところ、このような完全合理性アプローチから導かれる政策提言は、今後、人間は完全合理的に行動すべきであるという実行不可能な政策提言に帰着してしまうのである。
 これに対して、あくまで人間を人間らしくみていこうとするのが、組織の経済学アプローチである。すべての人間は、情報収集、情報処理、そして処理した結果を伝達し表現する能力が限定されており、人間はこの限定された情報能力のもとに意図的に合理的にしか行動できないのである。このような限定合理的な人間観にもとづいて現実を分析する点に、このアプローチの特徴の一つがある。

 2.2 制度論アプローチ
 さて、組織の経済学アプローチによると、すべての人間は限定合理的であるので、絶えず人間は相手の不備に付け込んで、自己利害を追求するように悪徳的に行動する可能性がある。それゆえ、人間はすきがあれば契約どおりに行動するとはかぎらないし、機会があれば相手をだましても自己利害を追求するような行動にでる可能性がある。このような行動が「機会主義」あるいは「モラル・ハザード(道徳欠如)」と呼ばれる現象である。
このような機会主義的行動は、それが契約を守らないという意味で倫理学的に不正な悪しき行動であるといえる。また、不正を通して能力のない人が資源を無駄に利用する可能性があるという意味で、経済学的に非効率な行動でもある。
このような人間の機会主義的な行動は、企業内でも家庭内でも起こりうる。しかし、実際には、それほど多くの人々が相手をだましたり、不正をしたりしているわけではない。なぜか。組織の経済学では、このような不正で非効率な行動を可能なかぎり抑制する様々な統治制度、ガバナンス・ストラクチャー、ルール、慣習、法律などの「制度」が現実に展開されているからだと考えるのである。
このような見方からすると、コーポレート・ガバナンスとは不正で非効率な企業行動を抑止する一種の統治制度とみなされる。このように、コーポレート・ガバナンスを制度として分析する点が、本書で用いられる組織の経済学アプローチの特徴の一つである。

2.3 比較制度分析アプローチ
 さて、組織の経済学アプローチのもう一つの特徴は、それが「比較制度分析」を行うという点である。先に述べたように、従来の新古典派経済学では、人間の完全合理性が仮定され、理想的なモデルが形成され、この理想モデルと非合理な現実が比較され、より理想モデルに近づくような政策が展開されてきたのである。
 
  例えば、図0.1のAで表される楕円部分が理想的な経済状態でえられる利益であるとしよう。これに対して、図のBで表される部分が現実の経済状態でえられている利益であるとする。その差が現実経済の非効率であり、無駄であり、コストを意味することになる。この現実的なBの状態を、いかにして理想的なAの状態に近づけるか。これが経済政策となる。しかし、このような政策がどういった形で説明されようと、基本的にそれは実行不可能なものにならざるをえない。というのも、Aの利益をえるには、すべての人間は完全に合理的でなければならないからである。それは、人間にとって実行不可能なのである。

図0.1 完全合理性アプローチの比較分析   

これに対して、組織の経済学アプローチでは、唯一絶対的な方法はないとみなされる。ある状況のもとで、限定合理的ないくつかの実行可能な制度が比較され、どれがより効率的な制度なのかが分析される。そして、もしある制度が別の制度よりもより効率的であれば、それに移行したほうがよいという方向で政策提言がなされることになる。

例えば、図0.2のAが理想的な経済状態でえられる利益であるとしよう。これに対して、限定合理的な人間にとって実現可能な制度がα、β、γの三つあり、それらの制度のもとに獲得できる利益が図の楕円で描かれているとしよう。これら三つの制度のうち、αが最も効率的な制度であり、γが最も非効率な制度となる。もし現在の制度がγであるならば、理想的なファースト・ベスト解Aの状態ではなく、実行可能な制度を比較し、より良いセカンド・ベスト解αへ移行することを政策提言しようというのが、組織の経済学の比較制度分析なのである。

もちろん、別の状況では、別の制度がより効率的なものとして比較制度分析されることになるかもしれない。例えば、国が異なると、制度βへの移行がより効率的であることもありうる。この意味で、限定合理的アプローチは唯一絶対的な解を求める一元論ではなく、多元主義的なのである。

本書では、組織の経済学のこの特徴を利用して、日米独そしてアジア諸国のコーポレート・ガバナンスを比較制度分析する予定である。

図0.2 限定合理性アプローチの比較制度分析


 

3.本書の構成

 以上のような組織の経済学アプローチのもとに、本書の目的を達成するために、本書では以下のように国際比較制度分析を展開するつもりである。

 まず、第Ⅰ部では、第一の問題領域であるコーポレート・ガバナンスの目的について議論する。ここでは、コーポレート・ガバナンスという名のものとに、日米独各国でこれまでどのような議論が展開されてきたのかを歴史的に考察して答えを与える予定である。特に、第1章では、米国でコーポレート・ガバナンス問題がどのように発生してきたのかを説明し、その後、議論がどのように変化していったのかを歴史的に説明する。第2章では、ドイツでのコーポレート・ガバナンス問題の発生とその後の歴史的展開について説明する。第3章では、日本におけるコーポレート・ガバナンス問題の発生と歴史的展開を説明し、最後に日米独の歴史分析を通して、今日、求められている企業統治の目的が何かを明らかにしてみたい。

 第Ⅱ部では、コーポレート・ガバナンスの第二の問題領域としてガバナンスの方法について分析する。ここでは、まず日米独企業統治の方法の特徴を明らかにし、次にそれぞれの方法の効率性と非効率性を比較制度分析する。具体的にいえば、第4章ではエージェンシー理論にもとづいて日米独コーポレート・ガバナンスの方法を比較制度分析し、それぞれの方法の強みと弱みを明らかにする。次に、第5章では、米国型コーポレート・ガバナンスの方法として1980年代に展開された敵対的買収、特にLBO(Leveraged Buy Out)に焦点を当て、これをエージェンシー理論にもとづいて分析する。第6章では、ドイツ型コーポレート・ガバナンスの特徴の一つである労資共同決定法に焦点を当て、この制度を所有権理論にもとづいて分析する。第7章では、日本型コーポレート・ガバナンスとしてメイン・バンク制に注目し、これをエージェンシー理論にもとづいて分析する予定である。

 第Ⅲ部でも、引き続きコーポレート・ガバナンスの方法について考察する。ここでは、近年注目されている東アジア諸国における政府によるコーポレート・ガバナンスについて考察する。まず、第8章では、アジア諸国の政府によるガバナンスが多様であったことを明らかにするために、取引コスト理論にもとづいて日韓タイの政府によるコーポレート・ガバナンスを比較制度分析する。次に、第9章では、より具体的に韓国政府によるガバナンスに注目し、エージェンシー理論にもとづいて、なぜ1980年代初期まで韓国企業が成功し、やがて通貨危機に導かれたように韓国企業が失敗していったのかを政府によるガバナンスの観点から分析してみたい。第10章では、経済通貨危機に導いたタイ政府によるコーポレート・ガバナンスをエージェンシー理論にもとづいて分析してみたい。最後に、第11章では戦後展開されてきた日本政府によるコーポレート・ガバナンスを取引コスト理論にもとづいて分析する予定である。

 第Ⅳ部では、コーポレート・ガバナンスの第三の問題領域であるコーポレート・ガバナンスの主権問題について検討する。特に、第12章では、企業は誰のものかをめぐるインタビューから日米独の企業概念の違いを明らかにし、特に日本の企業概念を所有権理論にもとづいて分析してみたい。次に、第13章では、日米独企業の実際の所有構造を所有権理論にもとづいて比較制度分析し、今日、日本企業の所有主体が誰なのかを明らかにしてみたい。最後に、第14章では、所有権理論にもとづいて、理論的にはどのような主体が主権者として企業統治することがより効率的なのかを説明する。

 以上のような一連の議論から、最後に、結論としてここで提起した三つのコーポレート・ガバナンス問題に対して一貫した見解を与え、非明示的に定義したコーポレート・ガバナンスの定義を明示的なもの変える予定である。そして、今後、求められるコーポレート・ガバナンスについて述べてみたい。本書の研究によって、体系的コーポレート・ガバナンス論に向けて、第一歩が踏み出されることになるだろう。

      

菊澤研宗「組織の不条理」 ダイヤモンド社

47837323

私の本が、以下の本に取り上げられていることを教えていただきました。関心のある方は、どこに私の本が引用してあるのかを探してみてください。

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(1)「会計戦略」の発想法
木村 剛 (著) 単行本 (2003/07/02) 日本実業出版社

(2)心理戦の勝者―歴史が教える65の絶対法則
内藤 誼人 (著), 伊東 明 (著) (2001/02) 講談社

(3)MBA100人が選んだベスト経営書
東洋経済新報社 (編集)(2001/02) 東洋経済新報社

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本書は、組織の経済学理論にもとづいて旧日本軍の不条理な行動を分析した書です。本書は、軍事の歴史を経営・経済学理論で分析するという点で、従来の正統派の歴史家から異端視されています。しかし、その斬新さに魅力を感じてくださる方も多く、勇気づけられています。

 また、本書は、あの不朽の名著「失敗の本質」と逆の主張をしている点でも、注目して頂いています。これまでの多くの軍事史家は、日本軍が非合理であったために失敗したとしていますが、本書では日本軍が合理的に失敗したことを理論的に説明しています。とくに、本書では「ガダルカナル戦での日本軍の失敗」と「インパール作戦での日本軍の失敗」を分析しております。

 日本軍と同じ様な不条理な現象が、実は現代の日本企業にも起こっているように思います。企業人は、不正であることを知りつつ、不正を合理的に行っているのであり、非効率であることを知りつつ非効率な行動を合理的に行っているのではないかと思います。

 一度、本書を読んで、感想でも頂ければありがたいと思います。以下、プロローグを紹介します。

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  プロローグ―不条理な日本陸軍から何を学ぶか―

 本書のねらい 
大東亜戦争における日本陸軍の行動は不条理に満ちている。本書は、この不条理な日本軍の戦闘行動に注目し、なぜ日本軍が不条理な行動に陥ったのかを問うものである。たとえば、ガダルカナル戦では、近代兵器を装備した米軍に対して、日本軍は銃剣をもって肉弾突撃する白兵突撃作戦を一度ではなく三度にわたって繰り広げた。そして、当然、日本軍は全滅した。なぜ日本軍はこのような不条理な白兵突撃作戦を三回にわたって繰り広げたのか。また、インパール作戦では、前線で戦う兵士に武器や食料を継続的に補給できないために大量の兵士が無駄死することがわかっていた。しかし、この作戦は実行され、必然的に多くの日本兵が餓えと病気で死んた。なぜこのような作戦を日本軍は実行してしまったのか。
 このような問いに対して、これまで多くの正統派研究者は、日本軍に内在する非合理性を指摘してきた。人間の非合理性がこのような不条理な組織行動に導いたのだということである。しかも、このような不条理な日本軍の行動は、戦場という異常な状況で発生する例外的な行動であり、日常的にはほとんど起こりえない異常な現象とみなされてきた。
 しかし、このような不条理な行動に導く原因は、実は人間の非合理性にあるのではなく、人間の合理性にあるというのが本書を貫く基本的な考えである。しかも、このような不条理な行動は決して非日常的な現象ではなく、条件さえ整えばどんな人間組織も陥る普遍的な現象であり、現在でもそしてまた将来においても発生しうる恐ろしい組織現象なのである。
 たとえば、今日、高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏洩事故をめぐる組織的隠蔽工作、大和銀行の不正取引をめぐる組織的隠蔽、そして神奈川県警内部の不祥事をめぐる組織的隠蔽などが注目されている。これらはいずれも人間の非合理性が生み出した事件ではない。それらはいずれも隠蔽することが不正であることを知りつつ、意図的に事実を隠蔽しようする「合理的な不正」なのである。
 本書は、このような現代に蔓延する組織の不条理を解明するために、戦争の世紀と呼ばれる二〇世紀末に、改めて大東亜戦争で繰り広げられた日本軍の不条理な組織行動を問い直し、その不条理の背後に人間の合理性があることを明らかにする。しかも、このような不条理な現象は決して戦争に固有の過去の現象ではなく、現代組織にも起ることを明らかにする。さらに、将来、このような不条理な組織行動に陥らないように、不完全なわれわれ人間が何をなしうるのかを明らかにする。これらが本書のねらいである。

 本書のアプローチ
これらの目的を達成するために、本書では、今日、経済学や経営学の分野でよく知られている「新制度派経済学」と呼ばれている最新のアプローチを用いる。この新制度派経済学アプローチは、今日、「組織の経済学」とも呼ばれており、様々な組織行動を分析するために応用されている。とくに、本書では、このアプローチを不条理な組織現象を説明する理論として新しく解釈し直して利用する。
 この新制度派経済学アプローチの特徴は、どんな人間も完全合理的ではなく、限定合理的(bounded Rationality)だとみなす点にある。つまり、すべての人間は限定された情報獲得能力のもとに意図的に合理的にしか行動できないと考える点に、このアプローチの特徴がある。それゆえ、人間が頭の中で考えている世界と現実の世界とは必ずしも一致しないことになる。
 このような限定合理的な世界では、人間の合理性と効率性と倫理性が一致しないような不条理な現象が発生する。つまり、人間が頭の中で合理的だと思って行動したとしても、実際にはその行動は非効率になってしまったり、不正行為になってしまうこともありうる。たとえば、人間は頭の中で合理的に車を運転していると思っていたとしても、事故に巻き込まれ大けがをするかもしれない。また、ある従業員が会社の利益ために合理的に働いたとしても、実際にはその行動は不正で違法なものとみなされるかもしれない。このように、人間の限定合理性を仮定する新制度派経済学アプローチによって、人間組織が合理的に不正を行い、合理的に非効率を追求し、そして合理的に淘汰されるという不条理が説明されることになる。
 本書では、このような理論的アプローチのもとに、大東亜戦争における日本軍の戦闘行動を分析し、日本軍の非効率で不正な行動の背後に人間の合理性が潜んでいたことを明らかにする。そして、また、現代の企業組織や官僚組織にみられる非効率で不正な行動の背後にも人間の合理性が潜んでいることを明らかにする。

      目 次
プロローグ―不条理な日本陸軍から何を学ぶか―

第Ⅰ部 組織の不条理解明に向けて

第1章 組織はどのようにみなされてきたか―経営学と経済学の歴史入門―
  1 経営学は組織をどのようにみなしてきたか
  2 経済学は組織をどのようにみなしてきたか
  3 組織は資源配分制度である
   
第2章 組織の新しい見方―新制度派経済学入門― 
  1 取引コスト理論がもたらす新しい組織の見方
  2 エージェンシー理論がもたらす新しい組織の見方
  3 所有権理論がもたらす新しい組織の見方
 
第3章 組織はなぜ不条理に陥るか
   ―不条理な組織行動を説明する理論―

  1 組織の不条理を説明する取引コスト理論
  2 組織の不条理を説明するエージェンシー理論
  3 組織の不条理を説明する所有権理論
  
第Ⅱ部 組織の不条理と条理の事例
 
第4章 大東亜戦争と日本軍の戦場
  1 日本軍の南方作戦
  2 日本軍勝利への道
  3 日本軍敗退への道

第5章 不条理なガダルカナル戦
    ―なぜ組織は後もどりできなかったのか―
  1 ガダルカナル戦
  2 取引コスト理論と歴史的経路依存性について
  3 なぜ日本軍は白兵戦術を変更できなかったのか

第6章 不条理なインパール作戦
   ―なぜ組織は最悪の作戦を阻止できなかったのか―
  1 インパール作戦
  2 エージェンシー理論について
  3 なぜインパール作戦を阻止できなかったのか
 
第7章 不条理を回避したジャワ軍政
   ―なぜ組織は大量虐殺を回避できたのか―
  1 今村均のジャワ占領地統治 
  2 所有権理論について
  3 なぜジャワ占領地統治は効率的だったのか

第8章  不条理を回避した硫黄島戦と沖縄戦
    ―なぜ組織は大量の無駄死にを回避できたのか―
  1 硫黄島戦と沖縄戦について
  2 組織形態の取引コスト理論分析
  3 なぜ戦争末期の日本陸軍は効率的に組織変革できたのか

第Ⅲ部 組織の不条理を超えて

第9章 組織の本質―軍事組織と企業組織―
  1 組織が不条理に導かれた事例
  2 組織が不条理を回避した事例
  3 組織の本質は限定合理性である

第10章 組織の不条理と条理―進化か淘汰か―
  1 後もどりできない組織現象
  2 組織はなぜ不条理に陥るか
  3 組織はいかにして不条理を回避できるか

第11章 組織の不条理を超えて―不条理と戦う企業戦士たち―
  1 組織の勝利主義がもたらす不条理を超えて
  2 組織の集権主義がもたらす不条理を超えて
  3 組織の全体主義がもたらす不条理を超えて
  4 組織の不条理を超えてー「開かれた組織」に向けてー

エピローグ―不条理な日本陸軍から何を学ぶことができたか―

参考文献

菊澤研宗著「日米独組織の経済分析」文眞堂

4830942886

本書は、組織の経済学理論にもとづいて、日米独の経営組織を比較制度分析したものです。

 第一部では、最近、大学レベルで流行っている組織の経済学理論あるいは新制度派経済学を数学を一切に用いずに非常にやさしく説明してあります。取引コスト理論、エージェンシー理論、所有権理論に関心がある人は、一度読んでみてください。

 組織の経済学のテキストとしてミルグラムとロバーツの「組織の経済学」という良書もありますが、初心者にはこの本はかなりレベルが高く、読みづらいと思います。

 第二部では、組織の経済理論を用いて、日米独の企業組織を比較分析しました。これまで、比較経営の名の下にいくつかの本が出版されていますが、いずれも理論的ではないように思います。ここでは、理論的に比較分析しています。

 日米独の企業組織をめぐる理論的分析に関心のある人は是非一度本書を読んでみて頂きたいと思います。
以下が序論です。
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1.本書の目的
これまで、経済学では新古典派経済学によって説明される市場経済システムが最も効率的な資源配分システムであり、それが目標とされるべき唯一の普遍妥当な経済システムと考えられてきた。しかも、この経済システムの近似とみなされるアメリカ経済は、第二次大戦後、最も繁栄し、世界の各国が手本にしたこともあって、それは新古典派経済学の妥当性を証明するものであった。
 同様に、経営学分野でも、第二次世界大戦後、経営学といえば、すべてアメリカ経営学であった。アメリカ経営学は、すべての国に普遍的に妥当するものとみなされ、日本でもドイツでも積極的にアメリカ経営学は研究され、その経営システムが積極的に取り入れられた。とくに、日本では、戦後比較的最近まで、日本型経営システムの特殊性は日本企業の後進性や非効率性を示すものとみなされ、それを一掃し、できるだけ早くアメリカ型経営システムへと移行する必要があると考えられていた。
 しかし、1970年代になると、一方でアメリカ経済が徐々に衰退し、他方で日本やドイツが経済大国として相対的に伸し上がってくると、経済経営システムをめぐる認識に変化が現われ、アメリカ型経済経営システムの効率性とそれを正当化する理論の妥当性に疑念が生まれた。というのも、日本もドイツも必ずしも新古典派経済学によって説明されるような教科書的経済システムをそのまま採用してこなかったからであり、またアメリカ型経営システムがそのまま日本企業でもドイツ企業でも採用されてこなかったからである。 そして、1980年代に入り、日本企業の国際競争上の優位性が明確に認識されるようになると、日本型経営システムの強さが世界的に注目され、それを支える要因を解明しようとする動きが急速に広まった。とくに、この時期、理論経済学の研究成果を応用して、日本型経営システムの経済合理性が積極的に分析され、一転して日本型経営システムの普遍妥当性と効率性がいくぶんナショナリズムともあいまって強調されるようになった。しかし、1990年代にバブル経済が崩壊し、日本企業の勢いが急速に衰え、しかも日本企業をめぐる不祥事が国内外に次々に明るみにでると、再び欧米では日本型経営システムの非効率性や異質性がささやかれている。
 このように、今日、日本型経営システムをめぐる評価は揺れ動いており、一方で日本型経営システムを特殊で後進的とみなし、それを一掃しようとする極端な古典的な見方には限界があり、他方、日本型経営システムを普遍的で効率的システムとみなす別の意味で極端な最近の見方にも限界があるといえる。何よりも、日本型経営システムを客観的に理解し評価するためには、どの経営システムも基本的には完全ではなくメリットとデメリットを併せ持つといった観点から、国際比較を通して、日本型経営システムの効率性とその限界を分析する必要があると思われる。このように、日米独経営システムを様々な観点から国際比較し、日本型経営システムの効率性だけでなく、その限界についても理論的かつ経験的に解明することが、本書の目的である。

2.本書の分析アプローチ
さて、日本型経営システムの効率性と限界を分析するために、本書では新古典派経済学のような普遍主義的な理想モデルと現実の日本型経営システムを比較するようなアプローチはとらない。ここでは、経済経営システムには理想的で普遍的に妥当するモデルが一元的に存在するというよりも、実は多様なシステムが多元的に共存しているのではないかといった多元主義的観点(青木,1995)から、日米独国際比較を通して日本型経営システムの相対的な効率性と限界を分析する。そして、そのために本書で採用されるアプローチは、こうである。
 まず、多様な経営システムを分析するために、それらを分析し説明する理論もまた多様である必要はない。多様な経営システムも、ある共通の理論と歴史的文化的に異なる初期条件のもとに演繹的に体系的に分析することができる。とくに、本書では、このような理論として、近年、新制度派経済学(New Institutional Economics)の名のもとに注目されている取引コスト理論、エージェンシー理論、そして所有権理論といった三つの理論を利用する(1)。
 これら三つの新制度派経済理論によると、企業組織は市場と同様に一種の資源配分システムあるいは資源配分制度とみなされ、経済効率性の観点から統一的に企業組織を分析することができる。とくに、これら三つの理論のもとに日米独経営システムの効率性と限界を分析し、その分析の帰結を国際比較することによって日本型経営システムの相対的効率性と限界を理論的に明らかにすることができる。
 このように、新制度派経済理論にもとづいて、本書では日米独経営システムを理論的に分析し、説明し、そして比較し、これによって日本型経営システムの相対的効率性と限界を明らかにする。このように、本書は、新制度派経済理論を理論的基礎とする国際比較研究という点に、そのユニークさがあるといえる。

     目  次
第1章 序 論
 1.本書の目的
 2.本書の分析アプローチ
 3.本書の構成

      第1部 理論的研究

 第2章 組織の経済理論の理論的補完性:新制度派経済学のメタ科学的分析
1.はじめに
2.理論間関係のメタ科学的分析
 2.1.理論の経験的内容
 2.2.理論の科学的取り扱い
 2.3.理論間関係のメタ科学的分析
3.新古典派経済学と新制度派経済学の分析
 3.1.新古典派経済学の分析
  (a)新古典派市場理論の説明範囲
  (b)新古典派企業理論の説明範囲
  (c)新古典派経済学の限界
 3.2.取引コスト理論の分析
  (a)契約理論としての取引コスト理論
  (b)新古典派経済学との関係
  (c)他の新制度派理論との関係
 3.3.エージェンシー理論の分析
  (a)契約理論としてのエージェンシー理論
  (b)新古典派経済学との関係
  (c)他の新制度派理論との関係
 3.4.所有権理論の分析
  (a)所有権構造理論としての所有権理論
  (b)新古典派経済学との関係
  (c)他の新制度派理論との関係
4.新制度派経済学をめぐる理論間関係のメタ科学的分析
 4.1.新古典派経済学と新制度派経済学の関係:理論的包摂関係
 4.2.新制度派経済諸理論の理論間関係:理論的補完性
 4.3.新制度派経済学をめぐる理論間関係
5.結 語

 第3章 組織の経済理論としての取引コスト理論
1.はじめに
2.取引コスト理論の理論的基礎
 2.1.コースの新古典派経済学批判
 2.2.コースの素朴な取引コスト理論
 2.3.ウイリアムソンの洗練された取引コスト理論
3.取引コスト理論の応用(1):組織形態論への応用
 3.1.ピア・グループと単純階層組織
 3.2.統合型組織と多事業部制組織
 3.3.中間組織
  (a)中間組織
  (b)中間組織の特徴
  (c)中間組織の取引コスト理論分析
4.取引コスト理論の応用(2):経営戦略論への応用
 4.1.垂直的統合戦略の取引コスト理論分析
 4.2.水平的多角化戦略の取引コスト理論分析
  (a)多角化戦略
  (b)関連的多角化戦略
  (c)無関連的多角化戦略:コングロマリット
 4.3.多国籍化戦略の取引コスト理論分析
5.結 語
 第4章 組織の経済理論としてのエージェンシー理論

1.はじめに
2.エージェンシー理論の理論的基礎
 2.1.新古典派経済学モデル
 2.2.エージェンシー理論の理論的基礎と基礎概念
 2.3.エージェンシー理論の理論的構想
3.エージェンシー理論の応用(1):経営財務論への応用
 3.1.自己資本とエージェンシー・コスト
 3.2.負債とエージェンシー・コスト
 3.3.最適資本構成とエージェンシー・コスト
4.エージェンシー理論の応用(2):人事労務論への応用
 4.1.情報の対称性のケース
 3.2.情報の非対称性のケース
  (a)予備的考察
  (b)リスク中立的エージェント
  (c)リクス回避的エージェント
 3.3.情報の一部対称性のケース
  (a)予備的考察
  (b)リスク中立的エージェント
  (c)リクス回避的エージェント
 4.4.拡張された研究
  (a)複数エージェント・モデル
  (b)複数期間モデル
5.エージェンシー理論の応用(3):組織形態論への応用
 5.1.契約のネクサスとしての企業組織
 5.2.組織形態分析
 5.3.組織形態のエージェンシー理論分析
6.結 語
 
 第5章 組織の経済理論としての所有権理論

1.はじめに
2.所有権理論の理論的基礎
 2.1.新古典派ワルラス・モデルの理論的基礎
 2.2.所有権理論の理論的基礎と基礎概念
 2.3.所有権理論の理論的構想
3.所有権理論の応用(1):法と歴史への応用
 3.1.コースの社会的コスト論
  (a)コースの研究意義
  (b)所有権構造が問題とならないケース:コースの定理
  (c)所有権構造が問題となるケース
 3.2.デムセッツのインディアンの土地所有制発生の所有権理論分析
 3.3.バーゼルの奴隷制崩壊の所有権理論分析
4.所有権理論の応用(2):経営組織論への応用
 4.1.企業形態論の所有権理論分析
  (a)アルチャンとデムセッツのチーム生産の理論
  (b)デムセッツの株式会社の所有権理論分析
  (c)ピコーの企業形態分析
 4.2.組織文化の所有権理論分析
  (a)取引コスト、所有権、そして組織文化の関係
  (b)生産文化の分析
  (c)官僚文化の分析
  (d)プロフェッショナルな文化の分析
 4.3.ハートの経営戦略論の所有権理論分析
  (a)残余コントロール権
  (b)統合戦略の所有権理論分析
  (c)GMとフィッシャー・ボディ社合併の事例
5.結 語
      第2部 経験的研究

 第6章 日米独コーポレート・ガバナンスのエージェンシー理論分析
1.はじめに
2.コーポレート・ガバナンスのエージェンシー理論分析
 2.1.エージェンシー理論概説
 2.2.コーポレート・ガバナンスをめぐる二つのエージェンシー問題
 2.3.エージェンシー問題とその解決案としてのコーポレート・ガバナンス
3.日米独コーポレート・ガバナンスのエージェンシー理論分析
 3.1.アメリカ型ガバナンス・システムの分析
  (a)資本構成、株式保有構造、そしてエージェンシー問題
  (b)アメリカ型ガバナンス・システム
  (c)アメリカ型ガバナンス・システムの限界
 3.2.ドイツ型ガバナンス・システムの分析
  (a)資本構成、株式保有構造、そしてエージェンシー問題
  (b)ユニバーサル・バンク制度とドイツ型ガバナンス・システム
  (c)共同決定法、ドイツ型ガバナンス・システム、そしてその限界
 3.3.日本型ガバナンス・システムの分析
  (a)中間組織とメイン・バンクによるガバナンス
  (b)中間組織とセルフ・ガバナンス
  (c)日本型ガバナンス・システムの限界
4.結 語

 第7章 日米独コーポレート・ガバナンスの所有権理論分析
1.はじめに
2.コーポレート・ガバナンスの所有権理論分析
 2.1.所有権理論概説
 2.2.コーポレート・ガバナンス問題の所有権理論的解釈
 2.3.所有権構造の所有権理論分析
3.日米独コーポレート・ガバナンスの所有権理論分析
 3.1.ドイツ型コーポレート・ガバナンスの所有権理論分析
  (a)ドイツ企業の所有権構造
  (b)ドイツ企業の所有権構造と共同決定法の影響
  (c)所有主体の明確化とドイツ型コーポレート・ガバナンス
 3.2.アメリカ型コーポレート・ガバナンスの所有権理論分析
  (a)アメリカ企業の所有権構造
  (b)市場によるコーポレート・ガバナンスの限界
  (c)所有主体の明確化とアメリカ型コーポレート・ガバナンス
 3.3.日本型コーポレート・ガバナンスの所有権理論分析
  (a)日本型コーポレート・ガバナンスの歴史的背景
  (b)現代日本企業の所有権構造
  (c)日本型コーポレート・ガバナンスの問題と解決
4.要約と結語

 第8章 日米独企業組織の所有権理論分析
1.はじめに
2.企業組織の所有権理論分析
 2.1.所有権理論
 2.2.企業組織の所有権理論分析
 2.3.堅固な所有権構造と柔軟な所有権構造
3.日米独企業組織の所有権理論分析
 3.1.アメリカ型企業組織の所有権理論分析
 3.2.ドイツ型企業組織の所有権理論分析
 3.3.日本型企業組織の所有権理論分析
4.日本型組織の効率性と経験的データ
 4.1.日本型組織の効率性と限界
 4.2.日米独企業の利益性比較
 4.3.日米独企業の生産性上昇率比較

菊澤研宗著「市場と財務の相互作用論」千倉書房

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本書は、私が若いときに書いたドイツ経営学の本です。会計構造をミクロ経済学理論(一般均衡理論)によって分析し、説明しようとする大胆な目的をもった本です。現代風にいうと「会計制度の経済分析」というタイトルがあてはまります。

 古典的なドイツ経営学はほとんど会計学です。シュマーレンバッハ、ワルプ、シュミットの研究を進めているうちに、彼らの会計学が基礎にしている経済世界観が実はミクロ経済学が説明している市場経済学と同じであることに気づき、両者を対応させてみました。

 とくに、本書では、今日、話題になっている時価主義会計の正しさがミクロ経済学によって正当化できることが論証されています。もし関心があったら是非読んでみてください。

 本書は、少し数学的なためかあまり売れず、ほとんどの人が無関心でした。しかし、一部の著名な会計学の先生は関心を示して頂きました。それだけで、意義がありました。
 以下が内容の一部です。

**************************
はじめに

 これまで日本では伝統的に経営学研究は、ドイツとアメリカで展開された学説を深く理解しようとするものでした。しかし、近年の日本の経済的繁栄とともに、もっと実践的で役立つような経営学研究が強く要求されだし、この伝統的な学説研究は一つの限界につきあたっております。
 しかし、他方自然科学の分野では、逆に近年実践的で役立つ応用的工学的研究だけでなく、理論的な基礎研究への要求が高まっております。そして、それは必然的に人々の関心を既存の理論や古典的学説の研究に向けさせるのではないかと思います。
 したがって、これらのことを考えると、学説研究のような基礎研究それ自体が実はナンセンスなのではなく、むしろそれがいくぶん解釈学的な傾向に留まっており、実践的知識の基礎となるような理論への展開に至っていなかったことに問題があったのではないか、と思います。
 本書は、このような経営学説研究の限界を越えて、ドイツ経営経済学上で展開されてきた古典的な学説を、国民経済学上で展開された一般均衡理論によって、かなり大胆に理論的に洗練化しようとしたものです。そして、これによってこれまでほとんど注目されていなかった市場経済と企業内の財務会計との間の関係、およびそれらの間の相互作用メカニズムを明らかにしようとしました。
 このような研究は、わたくしの知るかぎり、いまだ未知の分野であり、それゆえに本書はいろいろな意味でリスキーな研究であると思っております。このリスキーな研究を絶えず激励してくださった一橋大学教授平田光弘先生、そして本書のような研究に出版の機会を与えてくださった一橋大学名誉教授藻利重隆先生に、心からお礼申し上げます。
 さらに、日頃からわたくしの研究に関心を示し、適切な助言を与えてくださった慶應義塾大学の榊原研互助教授、防衛大学校の武藤功講師、国学院大学の土田寿孝助教授、海野潔教授に感謝します。そして、何よりもわたくしを研究者として育ててくださった故慶應義塾大学教授小島三郎先生に、心から感謝したいと思います。
 最後に、本書の完成を望みつつ亡くなられた千倉書房の鈴木敏也さんのご冥福をお祈りするとともに、この本の出版を全面的に引き継いでくださった塚越俊治さんに、心からお礼申し上げたいと思います。
1992年初夏 横須賀にて
菊沢 研宗
 

目次

序言(Introduction)
 

第Ⅰ部 方法論
第1章 批判的合理主義と論理実証主義
序論
第1節 方法論の基本問題
1-1 方法論の定義をめぐる二つの立場:本質主義と唯名論
1-2 方法論的問題の洗練化
1-3 科学方法論上の基本問題
第2節 論理実証主義の解決案と批判的合理主義によるその批判
2-1 論理実証主義の解決葉
2-2 批判的合理主義による論理実証主義批判
(a) 有意味性の基準に対する批判
(b) 帰納法に対する批判
(c) 実証に対する批判
2-3 批判の帰結
第3節 批判的合理主義の解決案
3-1 科学の境界設定基準の問題(P3)に対する解決
3-2 科学的知識の正当化の問題(P3)に対する解決
3-3 科学的知識発生の問題(P1)に対する解決
結語
第2章 批判的合理主義と科学哲学上の論敵
序論
第1節 批判的合理主義と約束主義
1-1 約束主義からの攻撃
1-2 約束主義哲学
1-3 約束主義の限界
第2節 批判的合理主義と科学史からの攻撃
2-1 クーンのパラダイム論とその問題
2-2 ラカトシュの科学的研究プログラムの方法論に内在する矛盾
2-3 二律背反とその解決
第3節 批判的合理主義と知のアナーキズム
3-1 ファイヤアーベントか1らの攻撃
3-2 知のアナーキズム
(α) 理論負荷性と多元論
(β) 理論負荷性と共約不可能性
(γ) 理論選択と自由
3-3 知のアナーキズムの限界
(α) ファイヤアーベントⅠ
(β) ファイヤアーベントⅡ
(γ) ファイヤアーベントの矛盾とその疑似-解決
結語
第3章 批判的合理主義と経営経済学上の論敵
序論
第1節 ウェーバーの価値自由原理をめぐる三つの方法論的価値自由主義
1-1 科学の境界設定基準としてのウェーバーの客観性
1-2 客観性をめぐる三つの価値自由原理としての方法論的規則
1-3 価値自由原理をめぐる三つの方法論的価値自由主義
第2節 伝統的な方法論的価値自由主義批判
2-1 ウェーバー0批判
(a) その伝統的問題性
(b) アルバートによる没価値主義の復権
(c) 方法論的没価値主義批判
2-2 ウェーバー1批判
(a) その伝統的経営経済学方法論との関係
(b) ミュルダール、ハイネン、ディテールの見解
(c) 素朴な方法論的価値自由主義批判
第3節 ウェーバー2すなわち洗練された方法論的価値自由主義
3-1 境界設定基準の修正
3-2 消極的価値自由原理
3-3 積極的価値自由原理
結語
 

第Ⅱ部 理論
第4章 一般均衡理論とドイツ経営経済学
序論:ドイツ経営経済学と市場経済と企業会計
第1節 批判的合理主義によるドイツ経営経済学上の偏見批判
     ―本質主義批判―
第2節 批判的合理主義による会計学上の偏見批判
     ―相対主義批判―
第3節 批判的合理主義による経済学上の偏見批判
     ―約束主義批判―
結語
第5章 一般均衡理論と損益計算論
序論
(a) 現金主義対発生主義
(b) リーガーの私経済学的見解対シュマーレンバッハの共同経済学的見解
(c) ノイマンーシュマーレンバッハ体系展開のためのプログラム
第1節 v.ノイマンの均衡成長モデル
1-1 v.ノイマンの生産経済系の仮定
1-2 v.ノイマンの均衡成長モデル
1-3 v.ノイマンの均衡成長モデルに関する注意
第2節 シュマーレンバッハの理論的基礎の演譯
2-1 シュマーレンバッハの共同経済世界の導出
2-2 シュマーレンバッハの個別企業像の導出
2-3 シュマーレンバッハの共同経済的生産性と個別企業利益の関係
第3節 シュマーレンバッハの動的計算論の演譯
3-1 シュマーレンバッハの動的損益計算シューマの演譯
3-2 シュマーレンバッハの動的貸借対照表シェーマの演譯
3-3 損益計算シェーマと貸借対照表シェーマの相互作用
結語
第6章 一般均衡理論と貸借対照表論
序論
(a) 静態論対動態論
(b) シュマーレンバッハ、ワルプ動的貸借対照表論対ニックリッシュ静的貸借対照表論
(c) ヒックス―ワルプ体系展開のためのプログラム
第1節 新古典派経済学のミクロ的基礎
1-1 消費者行動
1-2 企業行動
第2節 マクロ経済への展開
2-1 実物経済
2-2 貨幣経済
第3節 超ミクロ経済への展開
3-1 ミクロ的基礎とワルプ会計論の基礎
3-2 演譯論としてのワルプの勘定分析
3-3 演譯論としてのワルプの戻し計算と追加計算
(A) 戻し計算のモデル的説明
(B) 追加計算のモデル的説明
3-4 貸借対照表のミクロ経済学的基礎づけ
(a) 静態的機能1について
(b) 動態的機能2について
(c) 動態的機能3について
結語
 

第Ⅲ部 政策
第7章 一般均衡理論とドイツ経営経済政策序
序説
第1節 正確な利益計算をめぐるシュマーレンバッハのジレンマ
第2節 取得原価主義会計政策
2-1 正確な計算問題とマールベルク
2-2 資本維持問題とワルプ
第3節 時価主義会計政策
3-1 資本維持問題とゲルトマッハー
3-2 経済攪乱問題とシュミット
整理
第8章 一般均衡理論とインフレ会計政策
序論
第1節 パティンキン型生産の一般均衡理論の限界
1-1 ミクロ的基礎としての経済人行動のモデル的表式
1-2 パティンキン型生産の一般均衡理論
1-3 貨幣増大による効果と経済連行:パティンキン体系の限界
第2節 シュミット経営経済学の限界
2-1 シュミットの国民経済学的分析
2-2 シュミット経営経済学理論
(α) シュミットの企業観
(β) 価格変動状況下の企業
(γ) 正しい計算および誤った計算がもたらす効果
2-3 シュミット経営経済学の限界
第3節 市場と会計の有機的関係とインフレ会計政策
3-1 経済人と会計人の分子論的見方
3-2 貨幣増加と取得原価主義会計政策の効果
     ―慢性的インフレおよび企業の実体資本減少のメカニズム―
3-3 貨幣増大と時価主義会計政策の効果―限定されたインフレ・メカニズム
結語:インフレ会計政策
第9章 一般均衡理論とインフレ配当政策論
序論
第1節 シュミット経営経済学と仮装利益
第2節 一般均衡理論と仮装利益
2-1 一般均衡理論概説
2-2 パティンキンの実質現金残高効果
2-3 仮装利益とインフレ現象
第3節 MMの配当政策論と仮装利益
3-1 株価
3-2 企業価値と配当政策
3-3 仮装利益と株価
結論:株式市場を含む市場と企業会計の有機的関係とインフレ配当政策
主張(Theses)
参考文献

2006年4月 7日 (金)

ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女

  結婚し、子供ができ、年をとると、映画というものに対する関心は薄れるものだ。同様に、音楽に対してもだ。

 もっと正確にいうと、実はもともと私は若いときから、映画や音楽それ自体に関心がなかったのかもしれない。あくまで、私は女性とデートするための戦略的な(生き残り)手段として関心をもっていたのかもしれない。

 こうした状態にあったために、子供にせがまれて映画館にいくと、必ず途中で居眠りしてしまうのだ。映画館の温度、暗闇。眠るのに絶好の場所だ。

 米国のように、チップをバリバリ食べる人も少ない。少ないどころか、独占状態に近いときもある。

 昔、私の指導教授のお子さんと話をしたとき、私の先生も映画館でよく居眠りしていたらしい。その同じことを、いま、私はしている。

ディズニーのターザン、ハリーポッター、ロード・オブ・ザ・リング・・・・・・・・みんな睡眠薬だ。

ニモ、MR.インクレディブルは、何とか、持ちこたえた。

しかし、私に心的革命をもたらした映画がある。

   「ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女」だ。

 http://www.disney.co.jp/movies/narnia/shell_content.html

 これはすごい!!眠らないどころか、不覚にもどきどきした。この私が。固唾を呑む場面もあった。すばらしい映画だ。同じ値段で、他の映画を見る気が全くなくなった。逆にいえば、同じ値段で、この映画を見るのは非常にお徳だ。

私は古い人間なので、おそらくこの映画のストーリーの背後に流れているシンプルでわかりやすい古典的なテーマに感動したようだ。

          善悪、勇気、正義、友情、兄弟愛、正直

 この映画は非常に道徳的なので、まさに文部科学省がこの映画を推薦し、補助しても子供たちにみさせせるべきだと、いい年して思ってしまった。

 

2006年4月 5日 (水)

入ゼミをめぐるエージェンシー問題

 慶応大学商学部の入ゼミ試験が終わったにもかかわらず、その後も入ゼミ希望者がいたりして、驚くとともに、肉体的にも精神的に非常に疲れている。

 今回、初めての入ゼミ試験に臨んだため、全く情報が入手できず、(しかも、当時、正確にいえば、いまだ他大学に所属していたこともあり)私はエージェンシー問題にさらされた。

 組織の経済学を構成する重要な理論の一つであるエージェンシー理論とは、人間と人間との取引を、依頼人(プリンシパル)と代理人(エージェント)の関係で分析しようとするものである。

 依頼人と代理人の利害は異なり、互いに情報も非対称的で、依頼人が代理人についての情報が不完全ならば、代理人は依頼人の不備につけ込んで、不正で非効率な行動をとる。これがエージェンシー問題だ。

 このような問題にさらされないために、来年は非常に厳しくのぞみたいという気持ちに傾いている。とにかく、今年はまずは20人ではじめたいので、みなさん、もうこれ以上、ご遠慮、お願いしたい。

 とにかく疲れた。現20人もあくまで暫定的なメンバーなので、入ゼミ後、エージェンシー問題、モラルハザードを起こさないように、7月まで厳しくいきたいと思っています。

 

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