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2006年2月

2006年2月28日 (火)

いいかげんにしてよ、イノベーション研究者 by ポパー

 2000年に入ってから、学会ではイノベーションの研究が盛んである。しかし、この種の研究に対して、私はものすごい偏見をもっていて、いまだに全く関心や意欲がわかない。つまり、私はあきれるほど時代遅れの学者なのだ。

 特に、成功的なイノベーションにいたるプロセスの研究、科学的発見の論理、科学的知識発生にいたる論理的なプロセス研究などといった研究テーマをみると、最初から、「馬鹿馬鹿しい、いいかげんにしてほしい」と鼻で笑ってしまう不届きものなのだ。昔、林真理子がアグネスチャンに向かって「いいかげんにしてよ、アグネス」といったタイトルの文章を書いたときの気持ちだ。

しかし、こんな気持ちになる理由がそこにはある。

1いいかげんにしてよ、イノベーション研究者 常識的批判1

 そんな理論や論理があったら、みんな成功的なイノベーションを起こしてしまうし、みんなアインシュタインやニュートンになってしまう。そんな馬鹿な・・・・・

EINSTEIN2

2いいかげんにしてよ、イノベーション研究者 論理的批判2

 今日、研究されている「イノベーションにいたる論理的・理論的プロセス」は、100%成功的なイノベーションにいたるプロセス研究なのか、99%成功的なイノベーションにいたるプロセスなのか、98.999%成功的なイノベーションなのか。・・・・・・・・・・・つまり、目指すべきイノベーションの状態は数学的に無限に想定可能であり、そこにいたるプロセスも無限に存在するはずだ。だとすれば、そのようなプロセスを研究することは、馬鹿げたことだ。無限にあるイノベーションプロセスをひとつひとつ研究し、記述することは、そのプロセスが「偶然だった」ということと同じなのだ。だから、このような研究をしている人はいったい何を研究しているのだろうか???神様か、インチキコンサルか。

3いいかげんにしてよ、イノベーション研究者 3 科学哲学的批判

現在、真理の定義は二つ。一つは、無矛盾性=数学・論理学の真理、もう一つは言明と実在との一致=経験科学の真理である。

もしイノベーションにいたる真なるプロセスがあるとすれば、(a)それは論理学的に真なるプロセスか、(b)経験科学的に真なるプロセスか。(a)そのような真の論理、数学の定理、論理学の定理が発見されたという話題は聞いたことがない。(b)の場合、そのプロセスが経験と一致し、真であることを説明するために、さらに言明が必要となる。しかし、ここで終わらない。その証明に使ったその言明が真であることを証明するために、さらに言明が必要となり、無限に後退するだけで、真理は確定できない。

popper2

結論、イノベーションにいたる真なるプロセスなど存在しないのだ。たとえ存在しても、それを真として証明できないのだ。もっと気楽に、イノベーションが起ったら、ラッキーなのだ。

もし学会で上記のような研究発表される方がおられたら、いつかこのような質問をしますので、どうかよろしくお願いします。

K.R.ポパーより

2006年2月23日 (木)

経営者と経営学者の違い

 昔、社会学者から、「経営学なんって、有名な経営者がやればいいのではないか」といわれたことがある。当時、私も若く、むっとして「では、社会学は社会人がやればいいのか」と言い返したことがある。

 しかし、この問いには深い何かがある。

 「結局、経営者は自慢話を年に24回も講義できなのだ」という経営学者もいる。「経営者は実践することが専門であって、説明することが専門ではない」という経営学者もいる。しかし、私が考える経営者と経営学者の違いはこうだ。これはコンサルタントと経営学者の違いでもある。

 経営者は成功話や失敗話を生々しく語ることができるだろう。その体験をいかにリアルに迫力をもって語るか、それに力を注ぐかもしれない。

しかし、経営学者はそのようなことにそれほど関心はないのだ。問題は、そのような成功話がなぜ正しいのか。その成功談が正しいとすれば、どういう意味でか。それは経験的か。あるいは統計的に正しいのか。あるいは理論的に正しいのか。あるいは数学的に正しいのか。論理的に正しいのか。つまり、言明の正しさや正当性をどのようにして証明するのか、その方法論にこだわるのだ。

 おそらく、この点が経営者やコンサルタントとは全く異なるのだ。だから、ある社会人学生が「あの会社は、こうして、ああして、こうしたので、利益はあがった」などと発表すると、われわれ経営学者は、その言明の内容よりも、「その言明がなぜ正しいのか。統計的にか、経験的にか。理論的にか、論理的にか。」と聞きたくなる。そして、その言明の正当性を保証するものが何もなければ、「それは根拠のない単なる偶然、真面目に聞いて損した」などと皮肉を言いたくなるのだ。

 学者というのは、何ていやな集団だ。全く非生産的な集団だ。みなさん、そう思うかもしれない。残念。

 

 

2006年2月16日 (木)

なんとなくシカゴ学派

 第二次大戦前、ナチスの影が広がるウィーンで、自由主義を標榜する経済学者たちがひっそりと地下室で研究会を開いていた。その研究会には、ゲーム論で知られる若き日のフォン・ノイマンも参加していたはずだ。

ナチスの圧力が及んでくると、やがて彼らは米国へと移動していった。その学派の名前は、オーストリー学派である。オーストリー学派の一部はニューヨーク大学(NYU)へ、一部はシカゴ大学へと生き延びた。前者の代表が超自由主義者フォン・ミーゼスであり、後者の代表が天才ハイエクである。

hayek

ニューヨーク大学には、その思想を受け継いでいる研究者、カーズナーがいる。また、シカゴ大学では、その思想はさらに進化し、フリードマン以後、シカゴ学派として大きく発展している。

 これらのうち、シカゴ学派の特徴は、ご存知の通り、自由主義、反政府介入主義、レッセフェールである。しかし、私が魅力を感じるシカゴ学派の特徴とは以下の点にある。

1. 数学を多用しないで、英知で勝負すること。

2. 日常の事例から真理を引き出そうとすること。

3. 用語・定義の整理がすばらしいこと。

4. 体系的というよりもゲリラ的な論文が多いこと。

 この魅力を知るには、M.フリードマン、R.コース、G.スティグラー、H.デムゼッツ、マッハループたちの論文を読むしかない。彼らのようなすばらしい論文を人生に1本でもかければと・・・・、ときどき、なんとなく、思うことがある。

                                                         

 ただし、いまの私には、無理だ。モーツアルトのように、お金儲けに忙しい。仕事が追いかけてくる。走っても。走っても。

2006年2月12日 (日)

東欧での交渉術

 海外に行ってお土産を買うときは、注意しなければならない。はじめに、相手は法外な値段をいってくるからだ。だから、買う前には、「デイスカウント プリーズ」といって、一度は交渉した方がいい。呪文のように、「デイスカウント プリーズ、デイスカウント プリーズ・・・・・」

 日本人は、こういった買い方に慣れていないので、言われたまま買ってしまう人が多い。そうすると、売ったほうの外国人もびっくりして、本当にこの値段で買うのかという不安な顔をしたりする。

 東欧諸国、例えばハンガリーのブタペストやチェコのプラーハで交渉するときは、注意が必要だ。お土産品を売っている露店で女性が販売している場合、「デイスカウント・プリーズ」とお願いしても、ほとんどまけてくれない。交渉するならば、男性の露店をターゲットにした方がいい。男性のほうがまけてくれる確率は非常に高いというのが私の観察だ。

 これは、男女差別にもとづく私のバイアスのかかった分析ではない。所有権の問題なのだ。つまり、露店の女性販売員のほとんどは、隣接する露店の男性に雇われているのだ。彼女たちはお店や商品を所有していないので、そもそも値引きする権限をもっていないのだ。

 だから、もし交渉するならば、所有者であり、所有権をもっている確率の高い男性が販売している露店をターゲットすべきなのだ。これが東欧での交渉術だ。こういった東欧事情に気づいたとき、なぜか、私は、有名なイタリア映画の「道」を思い出した。

 みんな「道」という映画を知っているのだろうか?

 

2006年2月 2日 (木)

私の先生

 私が、昨年、第1回経営学史学会賞を受賞したとき、何が嬉しかったかといえば、これで天国にいる私の先生(慶応義塾大学教授 故小島三郎先生)に喜んでもらえると思ったからだ。

 私の先生は、経営学説史の専門家であり、K.R.ポパーの科学哲学に基づいて経営学の科学性を日本ではじめて問うた学者であった。役に立つことばかり追求している現在の経営学は科学ではないのではないか。そういった厳しい問題を経営学会に投げ掛け、経営学会は揺れた。

 そんな先生は、経営学ではなく、哲学がやりたくてゼミにきましたという生意気な私を受け入れ、暖かく見守ってくれた。しかし、その先生も、私が博士課程の2年のときに癌で死んだ。まだ、私が学者としてデビューする前だったので、多くの経営学者は小島先生にまだ弟子がいることに誰も気づかなかった。その後、一匹狼的に活動していた私のことを不思議に思う人も多かっただろう。

 こうした状態にあったため、私の学会での受賞の言葉は、「私は小島先生の最後の弟子だ」と宣言することだった。快感だった。慶応出身で小島先生を知る長老の先生は、こんな私をみて涙してくれた。

 こんな私が敬愛してやまない小島先生とはいったいどんな先生だったのか。小島先生がなくなられ、私の将来を最も心配し、アカノ他人の私に愛情を注いでくれた小島ゼミ1期生の国学院大学教授 海野潔先生のみごとな弔辞の一部を紹介したい。

「 先生は、お若く、お元気であられました頃は、私達と一緒によくお酒をお飲みになられました。ご健康を損ねられましてからは、お酒もタバコもお止めになられましたので、若い門下生の中には知らない方もいると思いますが、酒席では、先生はよく歌を唱って下さったのです。

 先生は「僕はあの”山男”という歌は嫌いだ。男としてあんな無責任な歌はない。僕が一番好きなのは”仕事の歌”だ」とおっしゃられ、いつも”仕事の歌”を唱われました。”仕事の歌”と申しますのは、ご存知の方もおられることと思いますが、それは例の「楽しい歌、悲しい歌、沢山聞いた中で、忘れられぬ一つの歌、それは仕事の歌、忘れられぬ一つの歌、それは仕事の歌」という歌詞のロシア民謡であります。

 その歌を先生が愛唱されたましたのは、きっと次の一節「死んだ親が、後に残す宝物は何ぞ、力強く、男らしい、それは仕事の歌、力強く、男らしい、それは仕事の歌」がお好きだったからに違いありません。

 先生はこうもおっしゃられたことがあります。「僕はどっちに決めたらいいのかわからない時には、どっちが男らしいかを基準にして決めるんだよ」と。つまり、”男らしさ”は先生の男としての美学であり、行動規範だったのです。”男らしい””男らしく生きる”ということ、それは正に男としての、また人間としての”正義”であり、”責任倫理”にほかなりません」

 このような先生に会えたことを、私は感謝したい。

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