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2006年1月24日 (火)

批判か好きかー研究の基本態度

 論文を書くとき、先生から対象を批判的に扱うことが大事だといわれたことがないだろうか。対象となる人物の学説を批判的に考察し、問題を見つけ出す。これが、研究論文だというわけだ。

 しかし、私は不思議なことに、好きな人の学説を研究しなさいといわれて、学者として育ってきた。そして、この意味を、いつの頃からか、よく理解できるようになった。

 結局、相手を批判ばかりしていると、相手がよく見えないということだ。極端にいえば、はじめから好きではないのだから、はじめから相手を見ようとしていないのだ。このようなやり方をして、良い分析、鋭い分析、革新的な分析などできるわけがない。対象を批判することからはじめると、結局、批判し、問題を見つけ、それでオサラバだ。ただそれだけだ。

 これに対して、分析対象を好きになると、他人には見えないものが観えてくる。これは恋愛と全く同じだ。他人にはわからないが、自分だけが彼女のよさがわかる。他人がどれだけ彼女を悪く言おうと、彼女の良さは自分だけが観える。自分が彼女のすばらしさを最も知っているし、それを語りたい。「have to」 ではなく、「must」なのだ。

 その分析は、現実とは異なる妄想かもしれない。しかし、そんなことはもうどうでもいいのだ。その分析は恐ろしく深く、鋭く、しかも革新的ですらあることが多い。むしろ、対象自体を批判するのではなく、対象の良さを理解できないやつらの浅はかさを逆に批判することになるのだ。

 研究も全く同じだ。これをやってのけている人物の一人は、有名な批評家「小林秀雄」だ。彼は、自分が好きな人物しか、彼の評論の対象としない。ときに、彼の評論は事実無根とか、あまりにも空想的といわれている。しかし、その分析の深さや新しさは、他の評論家を遥かに凌駕し、他の評論家をよせつけない。

 特に、彼の「モーツアルト」という文章は絶品だ。モーツアルトをこよなく愛する人しか見えないモーツアルト論である。それは、恐ろしく深く、恐ろしく鋭い分析だ。この評論を読めば、彼がいかにモーツアルトを愛していたかがわかる。モーツアルトの一見陽気で楽しい音楽の背後にはいつも悲しみが走っていると彼はいう。そんな魅力的なモーツアルトの音楽とはいったいどんなものか、一度聞いてみたい、と素人でもつい思ってしまう文章である。

 「そんな研究者に私はなりたい」と、宮沢賢治風で文章を終えたい。

 

 

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